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1572年8月 いきり立つ次子と戦う次子



康徳六年(1572年)八月 山城国(やましろのくに)伏見城(ふしみじょう)




 一方、伏見城総構えの西側には前田利家(まえだとしいえ)指揮する七千五百余りがこの方面への攻撃を行うべく展開。この陣には亡き織田信長(おだのぶなが)の次男である織田信意(おだのぶおき)が加わっており、信意は目の前に立ちはだかる総構えの様子を馬上から鼻息を荒げつつ、戦いへの興奮を抑えきれないような様子で利家に語り掛けた。


「利家よ、この方面で守備を取るのは、織田家を裏切って秀高(ひでたか)についた柴田勝豊(しばたかつとよ)であると申すぞ。勝家(かついえ)昵懇(じっこん)であったそなたからすれば、その首を取ってやりたいと思わぬか!!」


「はぁ…左様ですな。」


 血気に逸っている様子を見せている信意の言葉を、利家は馬上でやや冷めたように聞いていた。するとその顔をみて不満を募らせた信意は目の前にある長大な総構えを睨みつけ、自ら戦う姿勢を打ち出すような言葉を発した。


「ここで我らが総構えを突破すればそれだけで味方の士気が上がろう!利家!攻撃の合図じゃ!!」


「まぁ落ち着かれよ。まずは敵の出方を(うかが)うべきかと。」


 何の考えも無く総構えへの攻撃を提示した信意に対し、利家は長年の勘から慎重に攻めるべきだと遠回しな言い方で信意を諫めた。するとその言葉を聞いた信意はふんと鼻で笑った後に、尻込みしていると感じた味方の尻を叩くように語気を強めた。


「そのような悠長なことを申している時ではあるまい!法螺貝を鳴らせ!全軍、攻撃開始!!」


「信意殿!?」


 この突拍子もない攻撃開始の言葉を聞き、利家は大いに驚いて声をかけたが最早号令は止められず、信意の言葉を聞いた足軽は手にしていた法螺貝を吹いて味方に総構えへの攻撃開始を促した。これを聞いた信隆勢が竹束を持って総構えへと近づく様子を、隅櫓の中から勝豊家臣の佐久間盛次(さくまもりつぐ)佐久間盛政(さくまもりまさ)父子と毛受照昌(めんじゅてるまさ)が勝豊と共に見つめていた。


「ほう、向こうの軍勢は随分と勇ましいご様子ですなぁ。」


「あの旗印…恐らくは前田利家であろう。だがここまで短慮な攻めをあの利家が取るとは思えんが…。」


 水堀の向こうに布陣していた信隆勢から聞こえる法螺貝の音を聞き、隅櫓の窓から外を見ていた盛政と盛次が互いに(いぶか)しみながら会話を交わすと、それを聞いていた勝豊は両名に対してこう言葉を返した。


「報告によれば、あの陣には信長が次子・茶筅丸(ちゃせんまる)…今は信意と名乗っておりまするが、その者が居るとの事。おそらくはその者が号令を発したかと。」


「やれやれ、信長の子供は凡庸以下のようじゃな。何の考えも無しに攻め込んでくるとは…。」


 勝豊の言葉を聞いて照景があきれ果てながら言葉を発すると、そこに柴田勝豊が家臣・拝郷五左衛門家嘉はいごうござえもんいえよしが階段を駆け上がって現れると、主君・勝豊に向けて素早く報告した。


「殿!秀利(ひでとし)さまが参られました!」


「何、秀利さまが!?」


 家嘉が勝豊に向けて高秀高(こうのひでたか)が次子・高秀利(こうのひでとし)の来訪を告げていると、その後ろの階段を登って秀利本人が姿を現した。その姿を見た勝豊らは一斉に秀利らの方を振り向くと、秀利は自身の方を振り向いた勝豊に対して早速に言葉をかけた。


「勝豊、敵が攻め掛かって来たようだが?」


「はっ、既にご覧の通り敵が押し寄せて参りまする。若君がここにいては危のうございまする!」


 本丸からわざわざ前線に当たる総構えの場所までやって来た秀利の御身を、気遣うように勝豊が言葉を秀利に返すと、その様な気遣いを受けた秀利は首を横に振ってから勝豊に気丈な返事を返した。


「いや、俺は曲がりなりにも父・高秀高(こうのひでたか)が次子だ。相手に信長の子供がいるのなら、その腕前を見ておきたい。」


「若君…分かり申した。ならば若君はここにいて頂き、万が一の際はそのお力をお借り致したい。」


 勝豊は秀利に隅櫓の中に留まるよう頼むと、それに秀利は首を縦に振って答えた。そしてそれからしばらくして寄せ手の信隆勢はこの総構えへの攻撃を開始。利家は信隆同様に矢倉門の前に軍勢を進めると竹束(たけたば)を前面に押し出させ、その裏から城方めがけて矢を放たせた。


「矢を放て!塀の奥に隠れる敵兵を射抜くのだ!!」


 矢倉門の両脇に伸びる漆喰塀の備えを見て鉄砲で撃ち抜くことは困難と判断した利家は、鉄砲兵より弓兵を多く配置し兵の奥に隠れる兵たちを射抜かせた。この指示は功を奏して漆喰塀に隠れる守兵を打ち倒し、それによって城からの射撃が弱まったと利家は判断して側にいた味方の将兵に号令を発した。


「よし、梯子を掛けよ!塀をよじ登れ!」


 信隆が攻め掛かった総構えの北側と違うのは、利家はこの総構えの突破方法として梯子を用いた強硬策を敷いた事である。竹束の背後から利家配下の弓隊は城方の守兵たちを射抜きつつ集められた決死隊とも言うべき将兵たちが矢倉門の突破ではなく、両脇にあった土塁をよじ登ってその上にあった漆喰塀に梯子を掛けてそこを登り始めた。これを城方の将兵は防ぐべく敵めがけて打ち掛けたが、やがて数に物を言わせた将兵は漆喰塀をよじ登り裏側に進入。そこへ一番乗りした武将が周囲にいた城方の将兵を討ち取って名乗りを上げた。


「前田利家が家臣!篠原弥助長重しのはらやすけながしげ一番乗り!いざ、我らに続け!!」


 この篠原長重、利家の正室であったまつの実兄であり前田利久(まえだとしひさ)の元にいるまつに代わって利家配下として参戦していた。長重は周囲に立ちはだかった城方の兵を倒しつつ味方が梯子を登ってくる援護を行った。そしてその間、長重は自らめがけてやってくる城方の兵を一人ずつ倒すと、自らの武勇を誇示するような言葉を発した。


「どうした!!このわしに敵う者はおるか!!」


「おう!ここにおるぞ!!」


 その長重の前に立ちはだかったのは、隅櫓よりこの場所に飛ぶようにやってきた秀利であった。秀利は得物の槍を構えて長重の前に立ちはだかると、改めて自身の名前を名乗った。


「高秀高が次子、高源次郎秀利こうのげんじろうひでとし!いざ勝負!」


「おう、貴様あの秀高が子供か!その首取って名を上げてくれるわ!!」


 若武者でもある秀利の名乗りを受けた長重はその名に功名ありと感じるや、槍を構えなおして襲い掛かって来た秀利の槍を受け止め、そこで一騎打ちを繰り広げた。長重は老練の槍(さば)きであるときは秀利に突きを繰り出し、またある時は槍を用いて秀利の突きを防いだ。しかし若くて英気のある秀利はその力で少しずつではあるが長繁より優位に立っていった。


「せいっ!」


「くっ、やるな若造。だがそんな腕でこのわしは倒せんぞ!!」


 秀利の突きを受けた長重はその若さに感嘆しつつも、まだまだ未熟であることを告げて秀利を挑発した。この挑発を受けた秀利が再び素早く突きを繰り出すと、それを待っていたかのように長重は秀利の突きを払い、その次には逆に秀利へ槍を突き出した。


「はぁっ!!」


「くっ、しまっ…!」


「ふん!」


 自らの最期を悟った秀利だったが次の瞬間には、その背後より別の槍が音を立てずに長重へ突き出され、長重はそれをうけると秀利から一歩下がって間合いを取った。するとその秀利の背後から老練な武将が一人現れ、その場にいた秀利に向けて言葉をかけた。


「下がっておれ若造。ここはこのわしが相手致す。」


「何者か!!」


 長重は突如として加勢してきたその武将に素性を尋ねた。すると軽装姿の武将は槍を構えながら相対する長重に向けて自身の名を名乗った。


国司信濃守元相くにししなののかみもとすけ。」


「国司…!?貴様もしや毛利(もうり)の!!」


 長重はその名前を聞いて大いに驚いた。今、目の前にいるのは毛利隆元(もうりたかもと)の家臣でありながら、「槍の鈴」と呼ばれるほどその槍(さば)きが有名な国司元相(くにしもとすけ)その人だったからだ。そしてその元相はというと、大いに驚いている長重めがけて音を発さないほどの素早い突きを繰り出し、それに反応できなかった長重は槍を受けて苦悶の表情を浮かべると、槍を抜かれたと同時にその場へどうっと倒れ込んだ。


「な、なんと…。」


「ふっ、大事ないか?」


 長重が地面に倒れ込んだのを見て驚いている秀利に、元相は秀利の方を振り返って言葉をかけた。周囲にいた利家勢の足軽たちが長重の死を受けて一人、また一人と倒されていく中で元相は秀利に対して助太刀を行った理由を述べた。


「今、ここにいるのは毛利家臣としてではない。一人の武士として取るべき道を取っただけの事よ。それを忘れるな?」


「元相殿…。」


 元相の言葉を秀利はしっかりと耳に収め、ふと周りを見回すと長重に続いて侵入して来た敵兵たちは全て討ち果たされていた。それを見た秀利は周囲の味方を鼓舞するべく槍を掲げて呼び掛けた。


「敵将は討ち取り、敵は追い払った!者ども怯むな!!」


 この秀利の呼びかけを聞いた城内の将兵たちは士気を取り戻し、外から打ち掛けられてくる矢を物ともせずに防戦に努めた。この伏見城総構えの北・西の二方向からの攻勢は城方の奮戦によって停滞。これを受けた織田信隆(おだのぶたか)は戦術を変えて竹束を纏めた竹束牛(たけたばうし)築山(つきやま)を築いて城方からの射撃を防ぐ「仕寄り」戦術に切り替えた。この結果、初日の損害より塀の被害を減らすことに成功したが、これによって数日の時を総構え突破に費やす事になったのである。





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