1572年8月 敵来たる城中にて
康徳六年(1572年)八月 山城国伏見城
翌八月二十六日。高秀高が京にて居城にしている伏見城に、織田信隆が指揮する軍勢が襲い掛かった。京にある将軍御所を出立した時、信隆指揮する軍勢は一万一千しかいなかったが、途中で畿内に潜伏していた三好・六角らの残党武士たちや様子を見ていた幕府配下の国衆が加わり、伏見城の目前に着いた時には一万五千ほどの軍勢に膨れ上がっていた。
「敵は一万五千に膨れ上がったか。随分我らは嫌われておるようじゃな。」
伏見城の北方、伏見稲荷大社の方角からやってきた信隆軍の陣容を、伏見城の外郭部にあたる総構えに構築された三層の隅櫓から三浦継意が望遠鏡を覗き込みながら発言した。これを聞いた伏見城守将の一人、柴田勝豊は相槌を発した後に言葉を返した。
「はっ、されど信隆配下が将兵は僅か五千。残りの一万は成り行きで敵に回った元幕府の直轄軍にて、士気はそこまで高くありますまい。」
「勝豊、確かに攻め寄せる軍勢はそうであろうが、相手はあの信隆じゃ。油断は禁物と心得よ。」
継意が望遠鏡から離した後に慢心する勝豊を戒めた。それを聞いて言い淀んでしまった勝豊の背後から守将の一人であった岸和田城代・高浦藤吉郎秀吉が配下と共に階段を駆け上がって来て大将の継意に報告した。
「申し上げます!北、西の方角の総構えを中心に守兵七千を均等に配置いたしました!」
「うむ。兵糧の手配はどうじゃ?」
継意は秀吉からの報告を聞くと、籠城に際しての兵糧の備えを尋ねた。すると秀吉は自身の側にいた一人の家臣を振り向いて言葉を継意に返した。
「はっ、兵糧の方は既にこの吉房が事細かに手配しておりまする。吉房、継意殿に報告致せ!」
「は、はっ!既に仰せの通り糧食を多く拵えておりまする!それに城内にも十数万石もの兵糧が備蓄されておりますれば、何の心配もござりませぬ!」
秀吉の促しを受けて発言したこの家臣、名前を高浦弥助吉房と言い秀吉の姉・智を妻にしている関係で秀吉家臣となっていた。因みに余談ではあるが、その脇にいたもう一人の家臣も秀吉とは母が姉妹である青木一矩である。兎にも角にも、この吉房の言葉を聞いた継意はその報告に満足するように首を縦に振って頷いた。
「そうか。良くやってくれた!秀吉、そなたは北側の守備を任せる!勝豊は西側の守備に当たれ!」
「ははっ!!お任せくだされ!!」
秀吉と勝豊にそれぞれの配置について敵の迎撃を一任した継意は、秀吉からの勇ましい返事を聞くと隅櫓の階段を降りてその場から去って行った。この継意の命令に従い、北側の総構えには秀吉が守備に就き、西側の総構えには勝豊がそれぞれ防衛にあたることになり、継意本人は馬に跨って伏見城へと向かって行った。
「おぉ、奥方様に姫様。」
「継意、総構えの防備は万全なの?」
伏見城の門を潜ってその場で下馬し、本丸の表御殿に入った継意はその場で出迎えてくれた秀高の第一正室・玲と静姫と顔を合わせ、その中で静姫から城外・総構えの防備を尋ねられると二人の不安を払拭させるように勇ましい返事を返した。
「ご案じなさるな。既に北と西を中心に総構えの一円に守兵を配置しておりまする。敵は一万五千にも上りまするが攻城兵器の備えは不十分。石垣や水堀で固められた城の門を破るのは一筋縄では参りますまい。」
「そう。それならば秀高が戻ってくるまで持ち堪えられそうね。」
継意の答えを聞いて少し安堵した表情を静姫が浮かべていると、そこに一人の侍大将が現れて継意に用件を報告した。
「申し上げます!城内に匿った諸大名の留守居役が面会を申し出ておりまする!」
「何、すぐに通せ!」
継意が侍大将からの報告を受けてその場に留守居たちを連れてくるように命じると、侍大将はすぐに踵を返して一旦その場から去り、再びその場に戻ってきた時には伏見城内に逃げ延びていた徳川家康・浅井高政両大名家の京留守居役たちを連れてきた。
「おぉ、これは継意殿!」
「大久保殿、それに安居殿まで…。」
継意の目の前に姿を現したのは、徳川家の京留守居役である大久保新十郎忠世・大久保弥八郎忠佐兄弟、そして浅井家の京留守居役である安居景隆・安居景健父子であった。その中で継意の言葉を聞いて意の一番に言葉を返したのは、徳川家の留守居役である大久保兄弟であった。
「継意殿、是非とも此度の籠城戦、我ら徳川も戦わせてくだされ。我らが父・忠員は三方ヶ原で華々しく散ったと聞き及び、ここで戦わねばあの世の父に顔向けできませぬ!」
「然り!我ら大久保兄弟、亡き父や叔父・常源への贐として此度の戦にお加えいただきたい!」
忠世・忠佐兄弟の父であった忠員は三方ヶ原の戦いにおいて上杉輝虎配下の軍勢相手に奮戦し、壮絶な討死を遂げていたことは既に両名も知っていた。その父への手向けとばかりに加勢を申し出てきたのを見た継意は、背後にいた玲や静姫と視線を合わせた後に、申し出て来た両名へ返答を告げた。
「左様か…そこまで言われるのであれば、是非ともお力をお貸しくだされ。」
「ははっ!!」
忠世・忠佐兄弟は継意から参陣の許しを得ると、自らの本望が叶ったことに喜び勇むような返事を継意へ返した。それを見た継意はもう片方にいた景隆父子の方を見てその様子に驚いた。見れば景隆はどこか生気を失ったような表情を見せ、時折咳き込んでいる状況に身体の具合が悪いと即座に察し、景隆に身体の具合を率直に尋ねた。
「景隆殿…お加減が宜しくないと見えまするが?」
「何の、某の病で浅井家の名を汚すわけには参りませぬ。例えこの最中に命失おうとも、刀を振るって死ねれば武士の本望にござる!」
「継意殿、どうかこの父の闘志を汲み取って参陣をお許しいただきたい!!」
その悲愴なまでの景隆の信念と、それを支える息子の景健の懇願を受けた継意は、この戦に身命をかけている景隆の覚悟を受け止め、首を縦に振って頷いた。
「相分かり申した。ならばその闘志、喜んで受け取りましょう。」
「忝い…継意殿!」
景隆は継意からの許しを得ると少し表情を晴れやかにして、活気に満ち満ちとした表情を浮かべて継意に感謝の念を伝えた。それを聞いた継意は首を縦に振った後、その場にいた徳川・浅井の両留守居役に対して守備に当たる担当場所を伝えた。
「では…徳川勢は北、浅井勢は西の防備に当たってくだされ。万が一、総構えが突破されそうになった時にはおいおい、早馬にて下知を飛ばしまする。」
「承知致した!!ではこれにて!」
この命を受けた忠世・忠佐兄弟と景隆父子は一礼をした後に踵を返し、それぞれの守備場所に向かうためにその場から去って行った。その後姿を見送っている継意たちの中で、静姫が去って行く景隆の後姿を見つめながら言葉を発した。
「あそこまでの覚悟を見せられたら、この城を攻め落とされるわけには行かないわね。」
「うん。継意さん、私たちの方も準備は万端ですから、心置きなく戦ってください。」
「これは頼もしきお言葉じゃ。戦の事はこの継意にお任せあれ。それでは!」
静姫と玲からの言葉を受け取った継意は、にこやかな表情を見せた後にその場から去って行き、敵が迫りつつある前線…総構えの方角へと戻っていった。それを見届けた静姫と玲は本丸の中にて侍女たちと共に糧食の準備や負傷者の受け入れ準備を進め、一心同体でこの伏見城を守り抜く覚悟をより一層固めたのであった。
そしてその数刻後の二十六日正午、世にいう「伏見城攻防戦」の幕が寄せ手の信隆勢が攻め掛かった事により、切って落とされたのである。この時、城内にいた継意らを始め寄せ手の信隆勢ですら、この日に秀高本隊が遠く浜松城を発し強行軍を以て京に引き返している事を誰も知らなかったのである…。