1572年8月 哀れなり細川京兆家
康徳六年(1572年)八月 山城国淀城
一方、所変わって此処は騒動の火元となっている畿内・京にほど近い宇治川と木津川の合流地点にある淀城である。時は「浜松評定」が行われた二十五日の夜の事。京における高秀高の拠点の一つとして機能していたここには、室町幕府において代々管領の役に就いていた細川京兆家当主・細川輝元が幽閉の身として閉じ込められていたのだ。
「…輝元殿、ご無礼仕る。」
その幽閉されている淀城内の館の一室の襖を開け、輝元に面会しにやってきたのは近隣の勝龍寺城の城代を兼ねている秀高家臣・浅井政貞である。政貞は手荷物を持った数名の武者を引き連れて一室の中に入ると、武者に襖を閉めさせて自身は輝元と相対した。この来訪に輝元は机にて書協していた筆を止め、来訪した政貞の方を振り返って言葉を返した。
「そなたか、何用じゃ。」
「いえ、我が主より贈り物がありまして、それをお渡しに参りました。」
政貞は秀高からの贈り物と呼んでいる布に覆われた物を輝元の前に差し出すと、ふと政貞は一室の中を見回す様に視線を動かしながら、輝元に向けてあることを問いかけた。
「そういえば輝元殿は、昨日に京の将軍御所が襲われて上様(足利義輝)が亡くなられたのをご存知か?」
「…何じゃと?」
この問いかけに輝元は僅かな動揺を見せて政貞に返答した。実はこの幽閉されていた輝元にしてみれば将軍御所襲撃の一報に接したのは今が初めてであり、将軍の落命という大事にその場で誰よりも衝撃を受けていたのは他でもない輝元であった。しかし輝元と相対している政貞は、至って険しい表情を崩さずに輝元に言葉を続けた。
「貴殿は幽閉の身ではあるが由緒正しき細川京兆家の当主。それに事を起こしたのはこともあろうに弟君であらせられる覚慶殿。その覚慶殿が将軍となり貴殿を管領に推すとなればそれこそ当家の一大事。」
「貴様、まさか…?」
政貞の言葉を聞いた輝元が自身の身に降りかかる災難を予測したかのような言葉を発すると、政貞は自身の脇にあった物の上に被せられている布を取り、その下にあった物を見せつけながら輝元に言葉をかけた。
「輝元殿、ここは名を授けになられた上様の後を追われるべしと心得まする。」
「は、白扇…!?」
輝元の目の前に差し出されたのは、三方の上に置かれた一本の白扇であった。これ即ち腹を切って自害せよとの暗示であり、これを見た輝元はその場で大いにたじろいでそれを差し出してきた政貞に反論した。
「き、貴様、このわしに対して無礼であろう!」
「畏れながら、貴殿は幽閉の身とは言えど当家への恨みは人一倍あり申す。その様な者を野放しにし、覚慶を勢い付けさせるような事をするほどお人好しではござらん!!」
秀高上洛以降、高家と細川京兆家の間で起こった数々の事件は、秀高のみならず家中の誰しもが知っている事実であった。そのような事実がある以上細川京兆家の当主でもある輝元がこの機に覚慶に呼応するかもしれないという懸念が、高家の家中でも共有されていたからこそ、政貞がこの様な強引な手段を使って輝元に自害を強要する原因になっていたのだ。
「さぁ、貴殿も武士の端くれならば、潔く自刃なされよ。」
「くっ!!」
輝元の目の前へ短刀を差し出した政貞に、輝元がその促しに反抗するようなまなざしを政貞へ返すと、政貞は身を乗り出して輝元に更なる強要を与えた。
「…腹を切れぬというのならば、このわしが手助け致す!」
「お、おのれぇっ!!」
政貞のこの言葉を聞いた輝元は、遂に怒り狂って差し出された短刀を抜き、刀身を露わにして政貞めがけて突き刺そうとした。しかし政貞はその突進を華麗に交わすと、一瞬の間に輝元の背後に回り、輝元の背後から自らの手を出して短刀を手にする片手を取り、じたばたする輝元をもう片方の手で制しながらその短刀を輝元の腹に突き刺した。
「ぐ、ぐふぅっ…。」
「見苦しい…それが由緒正しき京兆家の振る舞いか!!」
短刀を突き刺された輝元が苦悶の声を漏らし、背後から政貞が輝元にあきれ果てるような言葉を吐きながら、切腹の作法に見立てて輝元を処した。やがて短刀が輝元の腹から抜かれるとその場にうつ伏せに輝元は倒れ込み、政貞が輝元の首筋に手を当てて息が絶えたのを確認すると、同行していた武者に対して即座に命令した。
「…亡骸を棺に収めよ。この城は放棄し、兵力を勝龍寺城に集める!」
「ははっ!!」
ここに、秀高上洛以来の因縁があった細川京兆家が当主・輝元は将軍御所襲撃から始まる混乱の中に命を落とし、同時に細川京兆家はここに断絶と相成ったのである。その後、輝元を処刑した政貞は淀城の放棄を決定。守兵全てを自城の勝龍寺城に結集させ、来る覚慶軍の侵攻に備えたのであった。
「輝元が死んだ!?」
「はい、淀城で秀高の手の者に討たれたとの事です。」
細川輝元の最期は、勘解由小路町の将軍御所に陣取る覚慶の元へ報告された。覚慶を擁立した織田信隆が両脇に保守派幕臣たちが居並ぶ中で輝元の死を報告すると、言葉を続けて詳細を語った。
「細川輝元の命を奪った浅井政貞は淀城を放棄。勝龍寺城への入城を果し籠城の支度を始めているそうです。」
「信隆よ!伏見はまだ攻め取れんのか!!」
将軍御所の大広間にて覚慶が上段から、伏見城などの京における高家への拠点攻撃の進捗を問うと、信隆は表情一つ変えずに味方する兵力の見通しを立てた。
「ようやく幕府直轄軍を合わせた兵力の概算が確かになったところです。現時点の幕府直轄軍の兵力は一万八千程。これに旧三好・六角などの足軽たちを合わせれば総勢二万二千ほどにもなりましょう。」
「二万二千…それだけあれば戦えるか。」
この頃、東国戦役に従軍するために出陣した朽木元綱の軍勢を除き、京周辺に残っていた幕府直轄軍は総勢二万七千ほど、その内摂津にいた軍勢を除いた凡そ一万八千ほどが信隆・覚慶らの組下に加えられ、これに結集させていた各地の残党武士たちを合わせた二万二千がこの時の信隆・覚慶配下の兵力であった。この兵力に満足している覚慶に、信隆はその言葉にこくりと頷きながら返答した。
「はい、既にこちらは丹波の内藤宗勝へ武田信実指揮する六千ほどを派遣しています。ここは残りの一万六千で山城国内の高家拠点を攻め取ります。光秀!」
「はっ。」
信隆は背後に控えていた家臣・明智十兵衛光秀の名前を呼ぶと、目の前にて傀儡として祭り上げている覚慶の事を気にせずに、その場で命令を出した。
「六千の兵を率いて勝龍寺城、並びにその先の摂津方面に攻め掛かりなさい。頼みましたよ。」
「お任せくだされ。信隆様。」
光秀の返事を聞いた信隆は首を縦に振って頷くと、突然その場でスッと立ち上がり、その場に居並ぶ自らの家臣や幕臣たちに向けて、覚慶の事など気にも留めぬように命令を発した。
「残りの全軍で伏見城を攻めます。幕臣の方々などの近臣衆千人余りを将軍御所の守備に残し、一気呵成に伏見城を攻め取りましょう!」
「おぉーっ!!」
ここに大広間の中では、信隆の命令を聞いた織田家臣団を筆頭に保守派の幕臣たちの中からも喊声が上がり、同時にそれは上座にポツンと座る覚慶の事など誰も気にしていない証左になっていた。この後、信隆は自らを総大将として将軍御所を出立。一万一千の兵で伏見城に攻め掛かっていったのである。