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1572年8月 大返し、始動。



康徳六年(1572年)八月 遠江国(とおとうみのくに)浜松城(はままつじょう)




 康徳(こうとく)六年八月二十六日。前日夜に浜松評定(はままつひょうじょう)において(みやこ)への転進を従軍する諸大名らと取り決めた高秀高(こうのひでたか)は、評定の終了後に諸大名らの武具を満載させた二頭立ての馬車百数十台を夜のうちに進発させ、そしてこの日の朝、秀高は鎧兜などの装備を身につけていない軽装姿で馬上から味方の将兵に号令を発した。


「聞け!これより俺たちは京に向けて全速力で行軍する!既にお前たちの武具を載せた馬車は先行して三河吉田(みかわよしだ)に向かい、そこから水上輸送で伊勢(いせ)安濃津(あのつ)まで運ばせる!よって武具の事は気にせず、走り抜ける事のみを考えろ!」


「おう!!」


 城内に勢揃いする味方の将兵へ告げられた号令を聞き、秀高配下の足軽や侍大将たちは呼び掛けてきた秀高に勇ましい返事を返した。その喊声を聞いた秀高は一回首を縦に振った後、今日の日程を将兵たちに改めて伝えた。


「まず今日は三河(みかわ)国境を踏破し、吉田城へ入城する!距離は長いがここを走り抜ければ敵の度肝を抜くことも出来る!全てはお前たちの力にかかっているぞ!」


「おぉーっ!!」


 この秀高配下の将兵たちの完成の後、それに呼応するかのように秀高の背後にあった棟門の扉が音を立ててゆっくりと開かれた。背後の門が開いたのを背中で感じ取った秀高は、馬首を返して門の方を振り返ると、手にしていた采配を振るって味方に号令を発した。


「行くぞ!!走れぇっ!!」


「うぉぉぉっ!!」


 秀高は号令を発した後に手綱を引き、門の外に出て馬を駆けさせたその後に秀高配下の将兵たちは具足一切を身に纏わず、軽装のいで立ちで走り始めた。これに従属する諸大名の軍勢が続くその列は数里に伸び、一路本日の目的地である吉田城へと向かって浜松城を出発したのであった。




「…あぁ!お武家様!どうぞ食ってくだせぇ!」


「あぁ、すまない!」


 浜松城を出発してから数刻後、上杉輝虎(うえすぎてるとら)との決戦を行った宝渚寺平(ほうほうじだいら)より西にある三ヶ日(みっかび)の集落付近に秀高一行がたどり着いたころ、沿道にて走っている将兵たちに握り飯や竹筒に入った水筒を配布している住民たちより握り飯を差し出された秀高は馬上からそれを受け取り、そこから離れた場所まで馬を駆けさせて停まると、背後から馬に乗ってやってきた大高義秀(だいこうよしひで)の方を振り返った。


「義秀、隊列はどうだ?」


「概ね順調に進んでるぜ。おそらくだがこの先を進んでいる連中は、もう三河国境の峠に差し掛かってるはずだぜ。」


 この時、秀高らがいた位置は本隊の後方にあり、その後ろには松永久秀(まつながひさひで)細川藤孝(ほそかわふじたか)らの軍勢が本隊の後を追うように進んでいた。そしてこの頃、山内高豊(やまうちたかとよ)が先導する先頭は既に三河国境部の本坂峠(ほんさかとうげ)の入り口に差し掛かっており、今回の強行軍がいかに迅速であるかを示すものであった。その義秀の話を目の前で通り過ぎていく味方の姿を見つめながら聞いていた秀高は、水筒に口を付けて水を一回飲んだ後に義秀へ尋ねた。


「諸大名の軍勢は?」


「やや遅れがちだが、日没までには吉田城に着くと思うぜ。だが問題は…」


「明日の日程と味方の体力、だね。」


 と、秀高の近くに馬を付けて来た小高信頼(しょうこうのぶより)が、今回の強行軍における一つ目の懸念を口にして語った。今現在、味方の将兵たちは英気たっぷりにこの強行軍を駆け抜けてはいるが、それでも京までの距離でいうとまだまだ序の口であり、それが今後の士気や兵たちの体力にどれだけの影響が出るかが秀高の中で一番の悩みの種であったのだ。


「…明日の内に岡崎城(おかざきじょう)まで入ることが出来れば、それで三分の一を進んだことになる。だが浜松から吉田までそれなりの距離がある上、明日の吉田から岡崎も結構距離がある。強行軍としては厳しい距離だな。」


「うん。軍勢の事を考えると、どこかで一息つける必要があるね。」


 信頼の言葉を耳にしている間、片手に持っていた握り飯に一口付けて食べた後、暫く考えこんだ後に一先ずの休息地となる城の名前を義秀らに向けて告げた。


「ここはいっその事、岡崎で一日休息をとるか。その先の船などの渡河の用意を手配する都合も考えると、そこで休息を取るのが現実的だな。」


「岡崎か…俺としちゃあ鳴海(なるみ)まで進みてぇんだが、そこらが現実的な線か…。」


「ヒデくん!」


 秀高の案を受けて義秀らがその場で納得していると、そこに後方から続々と来る味方の将兵たちの中から義秀の正室・(はな)が馬を駆けさせてやって来た。


酒井忠次(さかいただつぐ)殿の元からさっき早馬が来たわ。高天神城(たかてんじんじょう)を包囲していた里見(さとみ)らの軍勢が、包囲を解いて小山城(おやまじょう)まで下がったそうよ。」


「高天神城の包囲が解かれた!?これは味方の士気を上げるに十分だよ!」


 八月に入って以降、丹羽氏勝(にわうじかつ)が籠る高天神城は鎌倉府(かまくらふ)傘下の里見義堯(さとみよしたか)里見義弘(さとみよしひろ)父子、結城晴朝(ゆうきはるとも)千葉胤富(ちばたねとみ)らの包囲を受けていたが、上杉本隊撤退の報を聞いたこれら房総(ぼうそう)勢は形勢の不利を悟って城の包囲を解き、駿河(するが)国境にほど近い小山城への撤退を採択したのだった。高天神城救援に向かっていた徳川家臣の忠次より届けられたこの報は、京へと向かう中において味方の不安要素の一つとなっていた物を払拭させるに十分の報告であり、それを聞いた秀高は握り飯を喰らいながら義秀に命を伝えた。


「よし…この事を味方に知らせてやれ。ただでさえ敵に背中を見せて走ってるんだ。その脅威が一つ去った事を知れば、味方の胸中も少し晴れやかになるだろう。」


「分かったぜ。早速にも伝えて回ろう!」


 秀高の下知を受けた義秀は相槌を発すると、正室の華と共に馬を駆けさせてその場から去って行き、味方に向けてそれらの事を触れ回った。これによって味方の将兵たちの士気は上がり、より一層京への強行軍に邁進することになったのである。義秀らが去った後に残った握り飯を全てくらい尽くした秀高は、水筒を手にしながら信頼に向けて尋ねた。


「信頼、北陸(ほくりく)にいる輝長(てるなが)殿に事の次第を伝えたか?」


「うん。既に稲生衆(いのうしゅう)を通じて伝えに行かせてるから、心配いらないよ。」


「そうか。分かった。」


 京での凶事が起こった後、秀高は信頼に北陸道(ほくりくどう)にて戦っている畠山輝長(はたけやまてるなが)らに向けて事の次第と協力を仰ぐ密使を昨日の夜に派遣していた。その返事を水筒の中の水を飲みながら聞いた秀高は返事を返すと、水筒を手にしながら手綱をしっかりと握りしめ、背後にいた信頼に呼びかけた。


「さぁ信頼、行くぞ!」


「うん!」


 秀高は信頼と共に馬を駆けさせて全速力で駆け抜けている味方の輪の中に入り、一路吉田城へ向けて走って行った。この日の内に秀高本隊、並びに諸大名の軍勢は三河・吉田城へと到達。その距離十一里(約43km)にも及ぶ長距離を駆け抜けた秀高勢は翌二十七日、信頼配下の軍勢を糾合して約八里と十町(約32.5km)先の岡崎城へ向けて進軍。そこで脱落者との合流も兼ねて一日を過ごすことになった。しかし僅か二日の間で約十九里(約75km)以上に及ぶ強行軍によって秀高らは鎌倉府軍の追撃圏内からの離脱に成功し、京への転進に向けた大きな一手となったのである。





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