1572年8月 浜松評定
康徳六年(1572年)八月 遠江国浜松城
それから数刻後、浜松城本丸館の広間に高秀高に従軍する諸大名と監軍として同行する幕臣が集められた。松永久秀・細川藤孝・荒木村重・別所安治に加えて小寺政職の名代である小寺官兵衛孝高の五名、それに幕臣の京極高吉と三淵藤英が広間の中に集まり、そこで小高信頼から秀高の登場前に報告されたのは、今の今まで報告されてきた上方…京における将軍御所の襲撃から端を発する一連の動向全てであった。足利義輝の死から始まって下手人の名前、そしてその後の動向全てを知った諸侯衆の中で村重や安治は大いに色を失い、義輝の股肱の臣であった藤孝や幕臣の二人に至っては、主君である義輝の死を未だ受け止めきれなかった。一方、事前に情報を耳にしていた久秀や官兵衛孝高は腹積もりを決めたかのように決意に満ちた表情をして耳を傾けていた。
そしてその後、秀高が広間に現れて上段に座すと両脇に大高義秀・華夫妻、それに秀高家臣である山内高豊らと北条氏規が座し、全員が揃ったのを確認した秀高はその場で初めて口を開いた。
「諸将には先程信頼から、将軍・義輝公の御落命並びに下手人・覚慶の名とその後の動きを聞いたと思う。我々は皆幕府の臣下であり、将軍は義輝公を置いて他にいない。それに先刻入った情報では、義輝殿のご生母慶寿院殿がご嫡子・輝若丸君共々誅されたとの事。」
「な、何と…!」
秀高が広間へと向かう丁度その時、京から稲生衆が知らせてきた報告というのがその訃報であった。報告しに来た忍びによれば慶寿院や輝若丸の他、もう一人の義輝の弟・周暠も織田信隆配下の虚無僧によって粛清されたというのだ。この情報を受けた秀高は信隆の容赦ない粛清劇を諸将の敵対心を煽ることが出来ると踏み、この席で持ち出したのである。
「覚慶は義輝公の弟でありながら信隆の煽動を受け、剰え自身の産みの母にまで手を掛ける不忠者だ!この様な者に将軍職を引き渡しては日ノ本に再び戦乱を巻き起こしかねない!!」
秀高の言葉を受けて久秀ら諸大名衆に幕臣二人は黙したまま耳を傾け、その様子を両脇に控えていた義秀ら高家の家臣たちが見守っていた。その中で秀高は目の前にいる諸将の顔を一人一人見つめながら、慎重に本題を切り出した。
「そこで我らは戦の最中ではあるが全軍速やかに転進して京に向かい、覚慶らを討ち果たし義輝公の敵討ちを成したいと思う!しかし、それに際して懸念事項もある。」
秀高は参加する諸将に向けて自身の取るべき指針を告げた。それを聞いた諸将の中には目を丸くして驚く物もいれば一つも表情を変えずに聞き入っている者もいた。秀高はそんな諸将に向けて自身が発した懸念事項について丁寧に語った。
「諸大名衆は幕府諸侯衆として列する幕府配下の諸大名。そして監軍として同行する幕臣二人は、ここにいる義秀や信頼らと違い主君と家臣の関係じゃない。それに転進して覚慶を討つという事は言うなれば足利将軍家を倒す事と同義である。諸将の中には幕府への忠節深い者もいるだろう。」
秀高は諸将に向けてそう言いながら、従軍する諸大名の中でも幕府の関係が深い藤孝の顔を一目見た。藤孝はその場でやや下を俯いて耳で秀高の言葉を聞いているのを感じ取った秀高は、言葉を続けて諸将に提案した。
「そこでもし、幕府に忠節を尽くすという者がいるのであれば明日までに陣を引き払い領国へ帰るか、新将軍になる覚慶の組下に加わるのも結構だ。我ら高家はそれを一切引き止めないし、何なら行路の無事も保証する。」
つまり秀高はこの場で、諸将に対して幕府に従うか、それとも秀高に従うかを天秤にかけさせたのである。それを聞いた諸将は意外な申し出に驚いた後、それぞれの立場になってどちらが御家の為になるかを脳内で考え始めた。その中で秀高は目の前に相対す諸将に向けてダメ押しの一言を語った。
「だがもし、この俺と一緒に幕府滅亡という重荷を背負い、共に天下統一に邁進してくれるのならば嬉しい限りだ。諸大名の存念を伺いたい。」
秀高は諸将にそう告げた後、誰がいの一番に発するかを上段の上座から見つめていた。するとスッと立ち上がって一番先に発言したのは、意外にも政職の名代として参陣していた官兵衛孝高であった。
「秀高殿、この小寺官兵衛孝高は秀高殿こそ天下人の器量に相応しいと思っておりまする。義輝さま亡き後の覇業を継ぎ、天下平定の大望を成せるのは他でもない秀高殿のみにござる!その覚悟を示すためにも、我ら小寺は秀高殿に従いまする!」
「…良くぞ言ってくれた!官兵衛!」
官兵衛の覚悟を受け取った秀高はこくりと頷いた後に感謝の言葉をかけた。すると官兵衛に続いて発言したのは、紆余曲折あって幕府の臣下に入った松永弾正少弼久秀である。
「官兵衛の申す通り。この久秀はかつて義輝公とは敵対していた仲。それを取り持ってくれたのは他でもない秀高殿にござる。義輝公が亡くなったとならば今の幕府に未練などありませぬ。この松永弾正、喜んで秀高殿に従いましょうぞ。」
「このわしもじゃ!」
久秀が秀高に向けて味方になる事を表明した後、それに続かんとばかりに発言した村重は官兵衛同様に立ち上がって上座の秀高に向けて己の存念を語った。
「そもそも覚慶を推す信隆らが軍を派遣して我が領土、のみならず内藤宗勝殿を襲おうなど無礼千万じゃ!そのような奴にどうして首を垂れることが出来ようか!秀高殿!この荒木摂津守村重の心証をお預けいたす!!」
「秀高殿、この別所安治も村重殿と同じじゃ!!」
村重の言葉につられるように安治が反応して立ち上がると、視界に今だ項垂れている藤孝ら幕府の臣下たちを収めながら秀高に己の決意を表明した。
「我らは義輝殿を慕って幕下に加わったのではない!秀高殿が義輝殿を補佐しているがために従ったのじゃ!その秀高殿が将軍家と相対すというのならば、喜んで逆賊の汚名を被りましょうぞ!!」
安治が秀高に味方を表明した事によって、幕府とは関係の深くない諸将が挙って秀高の味方になる事を表明した。この事を見た秀高がゆっくりと首を縦に振って頷くと、それまで黙して考え込んでいた藤孝が目を見開き、重たい口を開いて秀高に己の存念を語った。
「…秀高殿、この細川藤孝も同心致す。」
「藤孝!!」
藤孝の意見を聞いて兄である藤英が言葉をかけて反応すると、藤孝は藤英と同じ父である三淵晴員の死に触れて秀高に味方する理由を語った。
「義輝さまのみならず我が父、晴員を誅殺した信隆や覚慶に従うなど御免蒙る。例えそれで先祖から不義不忠を咎められようとも、このわしは秀高殿のお味方を致す。」
「藤孝殿…お気持ち感謝します。」
藤孝の壮絶な覚悟を感じる言葉を聞いた秀高は、その判断をしてくれた藤孝へ感謝の意を込めて深々と頭を下げた。するとそのやり取りを見ていた高吉は、未だ幕府を捨てきれない藤英へ向けて説得するような言葉をかけた。
「藤英殿、ここは我らも腹を決める頃合いであろう。」
「高吉殿、何を仰せになられる!幕臣が幕府を見捨てるなどと!!」
幕府を見捨てる事を暗に決めた高吉に向けて藤英が言葉を返すと、高吉は上座の秀高の方を振り向きながら藤英に説得の言葉をかけた。
「恐らくここに管領(畠山輝長)殿や浅井高政殿がいればいの一番に秀高殿に従ったはず。それに我らは義輝公の幕臣。藤英殿は父や主を殺した覚慶に頭を下げるとでも?」
「…もはや幕府もここまでか。」
ここにおいて高吉の言葉を聞いた藤英は観念したかのように一言発すると、上座にて座る秀高に向けて自身の思いを託すかのような言葉をかけた。
「秀高殿、天下取りの大望を決めたのであれば上様に代わって必ずお果し下され!そのお手伝いをこの三淵藤英、弟共々致したく所存!」
「…諸将の思いは受け取った。」
秀高はその場にいる諸将全ての存念を聞き、全てが自分に味方するのを確認するとスッと徐に立ち上がり、その場から下座にいる諸将たちに向けて号令を発した。
「ならば共に発ってくれる諸将に告げる!我らはこれより京に転進し逆賊・覚慶を討つ!諸将は兵たちの武具等をこちらに預け、身一つで取りあえずは近江まで向かってくれ!」
「近江!?」
秀高から告げられた驚きの下知を受けて、諸将の中から藤孝が言葉を発して反応した。すると秀高は反応してきた藤孝の方を振り向き、首を縦に振って頷いてから言葉を続けた。
「そこで武具を改めて支給する手はずを既に打っている。その為諸将は何も気にせず、明日より駆け足で上方に昇る事だけを考えてくれ!良いか!?」
「おぉーっ!!」
ここに秀高らは一心同体となって京への転進を決定。京にいる覚慶らの迅速な討伐へと決心したのであった。この日、康徳六年八月二十五日。後の世に「浜松評定」と呼ばれる乾坤一擲の転進策が採択され、秀高らは逆賊・覚慶討伐に動き出す事となったのである…。




