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1572年8月 秀高の葛藤



康徳六年(1572年)八月 遠江国(とおとうみのくに)浜松城(はままつじょう)




 浜松城の本丸に(そび)え立つ三層三階の天守閣。その最上階の部屋の中から高秀高(こうのひでたか)床几(しょうぎ)に腰掛けて西の方角を向き、地平線に沈みゆく西日をじっと見つめていた。将軍・足利義輝(あしかがよしてる)の死去という一報を受けて以降、秀高は情報の収集を大高義秀(だいこうよしひで)小高信頼(しょうこうのぶより)ら家臣たちに一任するや、自身は早々にこの天守閣の最上階であるここに昇り、そのまま数刻をここで過ごしていた。


「…」


 秀高はこの最上階に昇ってからというもの、何の一言も発さずにただじっと部屋の中心に腰を下ろし居座っていた。この時、秀高の脳裏には将軍死去という一大事が起こったことにより、濃霧のような物によって自身の取るべき道が全く見えなくなったような感覚に(おちい)り、その場でずっと考えこんでいたのは正に、今後自身、引いては高家が取るべき指針その物であった。それを考えている最中、秀高の脳裏に反芻(はんすう)するように響いていたのは、出陣前に自身に発せられた義輝からの一言であった。




(…秀高、もし万が一、我が身に何かあった時はそなたが天下を統べよ。)




 この義輝の一言を秀高は当時、自身に発破をかける義輝の鼓舞であると受け止めていたが、同時にそれはそうあって欲しいという秀高自身の願いでもあった。秀高はこの当時、襲撃の首魁たる織田信隆(おだのぶたか)とその一党、並びに覚慶(かくけい)との不穏な噂を耳にしており、本来ならば出陣の前に不穏分子の一掃をしておけば良かったと、襲撃の一報を受けた今になって後悔の念を強くしていていたのである。


「…秀高、ちょっと良いかな?」


 と、そこに声をかけて下の階層からの階段を上ってきたのは小高信頼(しょうこうのぶより)であり、その背後には大高義秀(だいこうよしひで)(はな)夫妻が続いていた。信頼の声を受けて閉じていた瞳を開けた秀高は信頼の方を振り返り、同じ階層に上がって目の前に立った信頼らに向けて話しかけた。


「あぁ…皆か。情報は纏まったのか?」


「うん。襲撃の首魁は他でもない織田信隆とその一党。信隆は覚慶を擁立してその下に保守派の幕臣を糾合。上様を討ち取った後は朝廷に覚慶への将軍宣下工作を行う一方で、伏見(ふしみ)を始めとした近隣の諸城攻略に兵を繰り出す気配があるって。」


「それだけじゃないわ。(みやこ)に在留していた毛利隆元(もうりたかもと)ら毛利家に近い諸侯衆は今回の騒ぎに傍観の態度を決め込み、同時に襲撃した信隆らに京にいる諸侯邸への手出しを阻んだお陰で、増田長盛(ましたながもり)ら京の留守居たちは伏見への逃亡を望む他家の留守居たちと共に落ち延びたそうよ。」


 信頼に続けて華が先ほどまで到達した稲生衆(いのうしゅう)からの情報を秀高へ事細かに伝えた。それを聞いた秀高は床几に座り込んだまま、顎に手を当てて考え込むように信隆らの動きを予想した。


「そうか…やはり奴らは伏見を狙って来るか。」


「秀高、こうしている場合じゃねぇぜ。一刻も早く(みやこ)に帰らねぇと取り返しのつかない事になる!」


 秀高の言葉を聞くや、義秀は信頼の背後から単身歩き出して秀高の目の前に立ち、床几へと座り込む京への撤退を進言した。すると秀高は話しかけてきた義秀の方を振り向くと、その撤退の策を受けての返答を返した。


「…そうしたいのは山々だが、ここですぐさま引き返す事は出来ない。」


「どうしてだ!?」


 秀高の冷淡とも取れる返答を聞いて義秀が怒るように言葉を発すると、秀高はスッと床几より立ち上がるや、話しかけてきた義秀や信頼、それに華がいる最上階の中をぐるぐると歩き回りながら撤退できない理由を義秀らに語った。


「俺たちは今、攻めてきている鎌倉府(かまくらふ)の軍勢と目下交戦中だ。その状況で兵を引き返そうものなら敵は何事かあったと思い、こちらの後背を襲わんばかりに遠江の徳川(とくがわ)諸城に攻勢を強めるのは必定だ。」


 秀高が不穏になりつつある京から離れてこの浜松に来ているのも(ひとえ)に、上杉輝虎(うえすぎてるとら)によって始められた鎌倉府による侵攻を迎え撃つ為であった。もしここで秀高が参陣する諸大名の軍勢と共に京へ引き返そうものならば、その後背を動くべく鎌倉府の諸大名軍が攻勢を強めるのは自白の明であった。その懸念を秀高は義秀らに伝えた後、もう一つの懸念事項を秀高の言葉に耳を傾けている義秀らに伝えた。


「…それに今この浜松には、幕府に従属する各地の大名衆がいる。曲がりなりにも覚慶は足利将軍家の血縁者だ。それを討つとなれば今の幕府を崩壊させかねないことになる。そうなったら幕府傘下の諸大名達の中には俺たちから離反する者も出てくるだろう。」


 毛利隆元が京にある諸侯邸への手出しを阻んだことにより、襲撃した信隆らはその屋敷にいる妻子や留守居たちを人質に取る事は出来なくなった。しかしそれは逆に妻子たちの身柄が安泰な事により、諸侯衆たちの中から幕府の実権を握ろうとしている覚慶に応じようとする者も出てくるであろうという見通しが立つ事にもなる。それらを危惧している秀高は義秀が進言した京への即座撤退を拒否し、改めて言葉にして義秀らに返答した。


「それを踏まえればここで即座の撤退は出来ない。最低でも遠江から鎌倉府の軍勢を追い払わない限りはな。」


「そんなことを言ってる場合じゃねぇだろう!!ここで時を費やせばその分、伏見にいる(れい)たちの身に危険が及ぶんだぞ!!」


 秀高の言葉を聞いて義秀が前に出て、歩いていた秀高と相対するように立って戦場となるであろう伏見城にいる玲や三浦継意(みうらつぐおき)らの安否を気遣うように怒鳴った。すると秀高はその怒気を受け止めるように怒ってきた義秀の両肩に手を置き、怒りを鎮めるように懇々と説得した。


「分かってくれ義秀。それと同時に諸大名達からの誓詞血判を得て初めて京への転進が出来る。それが無いと俺たちは安全に京への転進は出来ないんだ。」


「…そこまでヒデくんは、京への転進を拒むのね。」


 秀高の言葉を聞いて、華が京への転進を拒絶する秀高に(あき)れるような発言すると、秀高は両手を掛けていた義秀の肩から離し、華の方を振り返って言葉を返した。


「どう受け取ってもらっても結構です。京への転進をするならば万全の手を打たなくてはなりません。その途中でそれこそ一つでも打つ手を間違えれば俺たちが滅亡するんです。そうなる訳には…」


「…全く、そんな事を気にしている場合では無かろう。」


 と、その時に最上階の部屋の中に響いた声を聞いて秀高が驚き、その声が聞こえてきた階段の方を振り向いた。見るとそこには先刻浜松城より出立した徳川家康(とくがわいえやす)が階段を上ってきて最上階の床に立っていたのだ。それを見た秀高は大いに度肝を抜かれるように見つめ、そしてその場に現れた家康は秀高の事を険しい表情を崩さずにじっと見つめていた。





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