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1572年8月 決意表明と時局傍観



康徳六年(1572年)八月 山城国(やましろのくに)(みやこ)




「おぉ殿、御所の中にいた改革派の幕臣を粗方(あらかた)召し捕えましたぞ。」


「そうですか。」


 京・勘解由小路町(かげゆこうじちょう)にある足利義輝(あしかがよしてる)の将軍御所で起こった一大事…世にいう「康徳(こうとく)の変」によって将軍・義輝は力戦の末にその命を散らした。義輝の死後、襲撃した織田信隆(おだのぶたか)らによって迅速な御所制圧が行われている中で、家臣・前田利家(まえだとしいえ)は配下の村井長頼(むらいながより)らと共に御所内にて抗戦していた改革派の幕臣たちを縄にかけて捕縛。それを信隆が大広間にて引見するとその顔触れは政所執事(まんどころしつじ)摂津晴門(せっつはるかど)柳沢元政(やなぎさわもとまさ)細川藤賢(ほそかわふじかた)三淵晴員(みつぶちはるかず)といった大物の幕臣たちばかりであった。


「利家、よく召し捕えました。これだけ大物を捕縛出来れば上出来です。」


「はっ、何名家の幕臣を逃してしまったのが、心残りでございますが…。」


 大広間の畳の上に一つ、血の海の中に横たわる義輝の胴体と首桶の上に置かれた義輝の首が、その場に連れられてきた晴門ら幕臣たちに義輝の死を正確に告げていた。これら晴門らを捕縛した利家と信隆が会話を交わすと、その中で信隆に食って掛かるように発言したのは他でもない晴門であった。


「信隆…そなたが上様を討ったのか!」


「摂津晴門…(あわ)れな物ですね。」


 信隆は晴門からの詰問を物ともせず、逆に政所執事という幕府の重職にある幕臣が今、縄をかけられて虜囚の身となっている現状を憐れむような発言を信隆はすると、義輝の首が晴門らの方を向いている中で信隆は晴門を逆に詰問した。


「貴方は幕臣でありながら秀高(ひでたか)の跳梁を見過ごし、幕権を(ないがし)ろにした事は万死に(あたい)します。よってここにいる幕臣共々、打ち首獄門に処します。」


「信隆!こんな事をして己は何を成そうというのだ!」


 詰問された晴門に代わり側にて縄目を受けていた元政が信隆に反論したその時、その場に現れた仏僧を見て晴門ら幕臣たちは大きく驚いた。その人物こそこうして首になっている義輝の弟でもある一乗院(いちじょういん)の門跡・覚慶(かくけい)であり、覚慶を連れて来た明智光秀(あけちみつひで)より目配せを受けた信隆は驚いている晴門らに向けて先程の問いかけの答えを述べた。


「我らはここにいる覚慶さまを擁し、将軍職に就けることによって幕府の流れを正常なものとします。」


「か、覚慶…やはり貴様らは!!」


「なるほどな。その為に上様を…。」


 信隆の隣に立った覚慶を見て藤賢と晴員がそれぞれに発言すると、それまでのやり取りを黙って見ていた晴門は立っている信隆を下から睨み付け、将軍殺しという所業を成した信隆を嘲笑(あざけわら)うような発言をした。


「…これで満足か?こんなことをしたところで、幕府は思い通りにはならんぞ。」


「何とでも言いなさい。ただ今となっては、今後の為に貴方がた幕臣を一掃します。利家、外の庭先に連れて行き彼らの首を打ちなさい。」


「ははっ!」


 この命を受けた利家は長頼と共に捕縛した晴門ら幕臣たちを大広間から連行していった。晴門はその去り際に首となった義輝の顔を一目見ると、観念したように目を(つむ)りながら外の庭先へと引っ立てられて行った。やがて庭先に用意された茣蓙の上に座らせられると、隣に着座した元政はなおも足掻くようにその場で姿勢を揺らした。


「くっ…上様!」


「じたばたするな元政。見苦しい真似は止めよ。」


 元政を制するように晴門はそう言うと、元政は歯ぎしりをした後に姿勢をピタリと止めた。そして藤賢や晴員が口々に念仏を唱える中で刑吏を務める侍大将たちは刀を高く構えると、斜めにするように足軽から背中を押さえつけられている中で晴門は黙したまま心の中で呟いた。


(秀高よ…そなたの天下、あの世より見ておるぞ…)


 晴門が心の中でそう思った直後に、晴門の首は胴体から(わか)たれたように高く飛んでいった。その晴門共々に元政や藤賢、晴員の四名は粛々と斬首され、やがてその者らの首が再び、大広間の中の信隆や覚慶の目の前に持参されると信隆は光秀に向けて撥ねられた首の処置を伝えた。


「この者らの首、御所の門前に罪人として梟首(きょうしゅ)にしなさい。」


「ははっ。」


「…。」


 その命を受けた光秀は配下の明智左馬助秀満あけちさまのすけひでみつ明智次右衛門光忠あけちじえもんみつただに命じて獄門に晴門らの首を晒す様に命じて持っていかせた。それを覚慶は黙りながら見つめ、更には義輝の首を背後に感じながらもその場に入れ替わりで大舘晴光(おおだちはるみつ)ら保守派の幕臣たちが入ってくるとそれを確認した信隆は覚慶に発言を促した。


「…さぁ覚慶さま、これで将軍職は空位となり、御所の実権を掌握致しました。どうかここで改めて、御所に残る幕府直参の諸侍に号令を。」


「…うむ。」


 その命を受けた覚慶は、勢揃いした保守派の幕臣たちに一歩前へ進み、背後にあった義輝の首を指しながら将軍職になったつもりで号令を発した。


「…兄・義輝は不慮の死を遂げ、それを聞いた母や弟は自害して果てた。これ全て皆、天下を狙う秀高の陰謀による物である!よってこのわしは還俗して将軍職を継ぎ、上杉輝虎と連携し秀高を討つ!」


「おぉーっ!!」


 ここに保守派の幕臣たちは覚慶を室町幕府の次期将軍として仰ぐことに一致し、朝廷に将軍職継承の工作を行い始めた。しかしこれは事変を主導した信隆からすればほんの序章に過ぎず、真の目的である高秀高(こうのひでたか)打倒に向けてその野心を胸中で大きく燃やしたのだった。




「…御所で異変が起こっただと!?」


 丁度そのころ、この将軍御所で起きた異変は等持寺(とうじじ)の近くにあった毛利隆元(もうりたかもと)(やしき)に素早くもたらされた。この情報を受けて毛利邸に参集したのは同じく京に在留していた吉川元春(きっかわもとはる)小早川隆景(こばやかわたかかげ)宇喜多直家(うきたなおいえ)三村親成(みむらちかなり)といった毛利家臣やその配下のでもあった幕府諸侯衆たちであった。


「あぁ。何でも上様は僅かな間に命を落とされ、御所の西門には摂津晴門ら数名の幕府重臣が獄門として晒されたそうだ。」


「そうか…上様が…。」


 毛利邸の広間で元春が兄の隆元に向けて御所襲撃の顛末を語っていると、その隆元の元に家臣の井上元満(いのうえもとみつ)井上就在(いのうえなりあり)の子)が襖を開けて現れて隆元に用件を伝えた。


「申し上げます、御所より使者と名乗る者が来訪し、隆元様に御所への参上を(うなが)しております。」


「暫し待たせておけ。」


 元満から御所参上要請を受けた隆元は即座に返答を返し、それを受けた元満が会釈した後に襖を閉めると、それを見届けた隆景が隆元に向けて報告の一つを伝えた。


「兄上、世鬼衆(せきしゅう)の報告によれば、一乗院(いちじょういん)の門跡であった覚慶が姿を消したとの事。おそらくこの凶行を行ったのはその覚慶ではあるまいか?」


「覚慶…確かその覚慶の元に、信隆配下の者が接触していたのだろう?という事はさしずめ、それを担ぎ上げたのは織田信隆…。」


「兄上、我が毛利はどうするのだ?」


 覚慶の名を耳にした隆元は即座にその背後関係を見抜くように発言した。それを聞いて元春が毛利としての去就を尋ねると、隆元はその場にて円を囲うように座っている五人の真ん中にある蝋台(ろうだい)灯火(ともしび)を見つめながら毛利家の方針を発した。


「…我が毛利は時局が定まるまで傍観の姿勢を取る。各々はそれぞれの屋敷に留まり、守兵と防備を固めて何人たりとも近づけるな。」


「傍観、ですか。」


 隆元の発言を聞いていた五人の中の一人、直家が隆元の顔を見つめながら反応すると、隆元は直家の方を振り向いてこくりと頷き、近くにいた元春を視界に収めながら言葉を発した。


「そうだ。元春、元満に御所からの使者への伝言を伝えよ。「我ら毛利は傍観を決めた。それに伴い、もし我ら毛利をはじめ京在留の諸侯衆邸に兵を繰り出せば、毛利は御所の敵になる。」とな。」


「承知!」


 この隆元が御所の使者…言うなれば信隆・覚慶の使者に告げた内容には裏の意味があった。これ即ち、覚慶らが諸侯衆の妻子を人質に取って覚慶への臣従を迫るのを阻止する意味合いもあり、更には京の高家屋敷への襲撃を牽制させる意図があったのだ。隆元が元春に向けて御所の使者への返答を告げた後、次いで隆景の方を振り向き声を小さくしてあることを伝えた。


「…隆景、このこと伏見(ふしみ)に知らせてやれ。」


「兄上、それは如何なる訳か!」


 隆元が伏見城への伝言を頼むことを聞いた元春が、その場で大きな声を上げた。毛利家の家中では秀高に不信を抱く元春の言葉を聞いた隆元は、元春の方に視線を向けて宥めるように発言した。


「あくまで情報を伝えるだけだ。他意はない。隆景、それともう一つ伏見の留守居に伝えてやれ。「伏見城が落ちるまでは、我が毛利は高家と敵対せず。」とな。」


「なるほど、ならばそのお役目、元相(もとすけ)に任せてみては?。」


 隆景は伏見への伝言役として重臣の一人・国司元相(くにしもとすけ)を推薦すると、その人選を受けた隆元はこくりと頷いた。するとその場で座り込んでいる元春は隆元に対し伏見城の備えについて尋ねた。


「兄上…伏見はそれほど固い城なのか?」


「…あの秀高が築いた城だ。そう易々と落ちはすまい。」


 隆元は一目置く秀高が築き上げた伏見城は、並大抵の城ではない事を熟知していた。その為に隆元は秀高にも、そして御所の実権を握った覚慶にも(くみ)さぬという「局外中立(きょくがいちゅうりつ)」の姿勢をこの時より鮮明にし、同時に伏見城に御所襲撃の顛末を伝えに向かわせた。その間に他の諸侯衆邸にも御所襲撃の一報が届き、その中でも高家邸の他徳川(とくがわ)浅井(あざい)といった高家に近い邸の留守居たちは、邸を捨てて一路伏見へと落ち延びていったのである。





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