1572年8月 康徳の変
康徳六年(1572年)八月 山城国京
明けた康徳六年八月二十四日の丑三つ時。京の中が寝静まった頃合いを見計らったように、洛北の岩倉・小倉山城より発った織田信隆が手勢三百ほどは、鎖帷子を着物の下に着込み、黒の小袖に小手・臑当を装着…読者に分かりやすく言うのならば、あの「赤穂浪士」が吉良邸討ち入りの際に着ていた装備に似た軽装で、宵闇に紛れ込むように進軍していた。その間、足音を極力立てずに南へ進軍していた信隆の所に、京の将軍御所を内偵して来た虚無僧がやって来て信隆に報告した。
「殿、将軍御所の様子を探って参りました。御所は二層の構えとなっており外側の構えには東西南北四つの門がありますが、その中で北門の備えに穴が見受けられまする。」
「そう…なら北門から攻め掛かるのが良いわね。」
虚無僧からの報告を受けた信隆は、味方の兵士が前進するのを脇目に立ち止まって攻め寄せる方策をその場で練った。勘解由小路町にある将軍御所は東西南北の四方にそれぞれ四つの門があり、この内北門というのは御所の殿舎がある内郭へ向かう道から見れば遠回りな道であった。その為にこの門を守る歩哨の足軽たちの中には、立っている場所で居眠りをするほど気が緩んでいたのだ。これを信隆に報告したその虚無僧は、内偵の際に得たもう一つの情報を信隆に報告した。
「はっ、それと守兵の多くは南側の長屋にて寝静まっておりまするが、主郭部の内側にある御所の殿舎には義輝の近臣を含め数十名ほどが寝泊まりしていると。」
「分かったわ。」
虚無僧からその報告を受けて信隆が返事を発すると、虚無僧は相槌を打たずに会釈しその場から風のように消え去っていった。それを見届けた信隆は隊列に加わって夜の闇の中を行軍。やがて一隊は北小路から京極大路へと曲がり、上京の町を迂回するように勘解由小路へと進入。やがて花山院の邸宅の奥に将軍御所が見渡せる位置までたどり着くと、信隆はその場で姿勢を屈めてから背後にいた前田利家ら家臣たちに声をかけた。
「…良いわね?」
この信隆の問いかけに利家ら信隆配下の将兵たちは声を一言も発さずに頷くと、それを見た信隆は声を上げずに采配を振った。これを受けると信隆配下の将兵たちは得物を片手にすり足で駆け出し、花山院の邸宅を越えて将軍御所の手薄な北門へと襲い掛かったのである。
「…ぐっ!」
「うぐぅ!」
将軍御所の北門へと疾風のように襲い掛かった信隆勢は、利家や前田家臣の村井長頼を先頭に歩哨に立っていた足軽たちを迅速に制圧。やがて北門前を制圧すると門の裏へと忍び込み、閂を抜いて門を開けた。それを見た利家が篝火を掲げると、それを花山院の邸宅裏で見ていた信隆は采配を振り、全員で御所の北門へと殺到した。そして利家らは先行して御所の外郭に進入。その場から東方向にある内郭の門へと向かったが、その途上で運悪く歩哨に立っていた足軽たちに発見されてしまった。
「て、敵襲じゃあ!」
「出会え、出会え!!」
歩哨に立っていた足軽たちは声を上げて味方に緊急を告げたが、その次にはこの者たちは利家らによって斬り伏せられていた。だがこの騒ぎを聞いた近くの足軽たちが利家らを見つけて交戦を開始。続く信隆や織田信忠らも加わって戦いが始まった。この騒ぎは内郭にある御所の殿舎にて寝ていた足利義輝の耳にも聞こえ、はたと目が覚めた義輝は布団から起き上がると、襖を開けて外に出て騒ぎが聞こえる方角を見つめた。と、そこに殿舎に寝泊まりしていた政所執事の摂津晴門が義輝の側に駆け込んできた。
「…晴門、何事か?」
「はっ、どこからともなく敵が攻めて参りました!」
義輝の側に傅く晴門が義輝に向けて報告する間にも、漆喰塀を挟んだ外郭の方角から喚き声がひっきりなしに聞こえてきた。これを耳にした義輝はすぐにただならぬ事態だと察し、その場にいた晴門に向けて指示を伝えた。
「…直ちに南にいる者達を起こせ!応戦せよ!」
「既に使いは走らせておりまする故、ご安心を。」
「う、上様!」
そう言って義輝の側に駆け込んできたのは、同じくこの日に殿舎に詰めていた細川藤賢である。藤賢は血相を変えたような顔色をしながら、ひっ迫してきた状況を義輝に報告した。
「応戦が間に合いませぬ!敵は風の如く外郭を突破し、この殿舎と目と鼻の先まで迫って来ておりまする!」
「なに、もうそこまで来ているのか!?」
藤賢が義輝に報告したとおり、信隆らの侵攻は正に電光石火というべきものであった。この時にはすでに外郭で集まり始めた御所の守兵と戦いながら、内郭の門を突破して殿舎に攻め掛かっていた。無論この先陣を切るのは「槍の又左」と呼ばれた利家であり、立ちはだかる幕府の守兵や近臣たちを薙ぎ倒しながら、背後から来る信隆の道を開けるように進んでいた。
「上様を探せ!上様はどこか!!」
「…ここにいるのは改革派の幕臣のみ。大身の幕臣と思しき者達がいたら捕縛するように。」
「ははっ!!」
信隆は側にいた家臣の三木国綱に向けてこう指示した。無論、信隆らの目標は他でもない義輝の首そのものであったが、この幕府重臣を捕らえるという事は信隆にとってもう一つの意味があったのである。一方、将軍御所の大広間にて外の騒ぎの声が大きくなってくるのを実感した義輝は、側に控えていた側近に向けて命令を伝えた。
「これ、秘蔵の刀を全て持って参れ!」
「ははっ!!」
その命を受けた側近たちは近くの宝物庫から将軍家秘蔵の名刀を持ってくると、それを受け取った義輝は全ての鞘を抜いて上座の畳の上に突き刺した。そうして万全の態勢を整えた所に、獲物を片手に近臣たちを排除した信隆配下の兵たちが大広間に到達した。
「無礼者め、ここがどこだか知っておるか!?」
「やぁっ!!」
上段から下段へと降りて目の前に相対した兵たちを義輝が一喝すると、兵たちは得物を片手に義輝に挑みかかっていった。すると義輝は襲い掛かってきた兵の一人を素早く斬り捨て、その後に三~四人を斬り捨てると上段から突き刺さっている刀を抜き取り、また攻めて来た兵たちを斬り倒していった。やがて大広間に信隆が来た時には、義輝の目の前に三十数名ほどの死体と血塗られた数本の刀が横たわっていた。
「…流石は新当流・塚原卜伝より剣術を教わっただけはあるわね。」
「その声…貴様、輝虎の使者として来た織田信隆か!」
大広間に姿を現した信隆を、視界に収めてから聞き覚えのある声だと感じた義輝はその場で襲撃してきたのが目の前にいる信隆だと察した。すると信隆は脇にいた味方の将兵に向けてこう指示した。
「皆、時は一刻を争うわ。四方から上様に襖を被せなさい!」
この命を受けた将兵たちは大広間にあった襖を敷居から外し、それを持った四人の侍大将が義輝の四方を囲うように並んだ。そして侍大将たちは一斉に義輝めがけて駆けだし、それを見た義輝は襲ってくる一方の襖に刀を突き刺し、それを受けた侍大将の一人は床に倒れ込んだ。しかし次の瞬間には三方から襖を被せられて義輝は身動きが取れなくなり、それを見た国綱や明智秀満などが槍を携えた上で義輝に被せられている襖へと槍を突き刺した。
「御免!」
「…うぐっ!!」
三方の襖から合わせて五本もの槍を前身に受けた義輝は呻き声を上げ、相手に致命傷を与えたと判断した秀満らは槍を襖から引き抜き、その後に侍大将たちは襖を下げると全身血塗られた義輝はその場で膝を付き、最期の力を振り絞るかのようにか細い声で言葉を発した。
「…秀高よ…後は…頼む…。」
最後の遺言をその場で発した義輝は力が抜けるように床へと倒れ込んだ。それを見て義輝の遺体を信隆らが周囲を取り囲むように立つと、事切れたのを確認した信隆はその場にやってきた信忠の方を振り向いてすぐに指示した。
「…早々に義輝の首を取りなさい。これで御所の中の敵を鎮めるわ。」
「ははっ。」
信隆の命を受けた信忠はすぐさま脇差を抜き取り、手慣れた手つきで義輝の首を取った。その後、殿舎の別の場所で晴門や元政らと相対していた利家の元に、長頼がやってきて耳打ちで義輝の死を報告すると、利家はこくりと頷いた後に相対する晴門らに向けて義輝の死を伝えた。
「上様の首は取った!潔く刀を捨てよ!」
「何…上様が!?」
この場所で戦っていた晴門らにしてみれば、義輝の死は正に寝耳に水の事であり、それまで周囲を敵に囲まれながらも力戦していたのは、単に義輝の生存を信じていたからだった。しかしその望みの綱が祟れたことを悟った晴門ら幕府の重臣たちは、戦う姿勢を捨てるとそれを示す様に床に刀を捨てた。
「…貴殿の命は取らぬ。縛り上げよ!」
「くっ…おのれ…。」
利家らは刀を捨てた晴門ら幕府重臣たちを一斉に捕縛し、義輝の首を取った信隆の下へと向かって行った。この日、八月二十四日早暁。室町幕府十三代将軍・足利義輝は織田信隆の凶刃によってその命を散らした。享年三十六…後の人々はこの襲撃を年号を取り「康徳の変」と呼んだ。




