1558年6月 今川義元出陣
永禄元年(1558年)六月 駿河国今川館
諸々の準備を終え、万全の態勢を整えた今川義元はついに、尾張侵攻の兵を挙げようとしていた。時に六月の二日のことである。
「面を上げよ。」
今川館内の居間。ここに呼び寄せられたのは、他でもない松平元康であった。元康は上座に座る義元にこう言われると、頭を上げて義元の顔を見たのである。
「元康よ、いよいよ出陣が近くなった。この尾張侵攻ですべてを片付けるつもりだ。そなたの働きを期待しておるぞ。」
「ははっ。身に余るお言葉、恐悦至極に存じまする。」
義元はその言葉を受けて喜ぶと、元康に手短に今回に戦の役割を伝えた。
「…元康よ、そなたは此度、我が本隊の先鋒として、高秀高が支城の沓掛城攻略を行ってもらう。」
「…沓掛城の、攻略を?」
元康が義元にこう言うと、義元は小姓を通じてある物を手渡した。それは今川本隊の陣割が書かれた物であった。
「うむ。そなたは朝比奈泰朝、瀬名氏俊らと共に先鋒隊九千の一隊となって動いてもらう。そなたの兵の宛行は三千だ。」
「…三千ですか。」
その言葉を聞いた元康は驚いた。前回の寺部城攻めで率いた軍勢よりも多い人数を従えて、尾張侵攻に従軍することになったのである。
「案ずることはあるまい。此度の戦には、そなたの父の広忠の元で従っていた家臣たちを多くつける。この一線で首尾よく働けば、そなたを岡崎に戻そうとも考えておるのだ。」
「…某を、岡崎に?」
義元が発した言葉を聞いて、元康はとても驚いていた。この尾張侵攻の働き如何では、先祖代々の土地でもある岡崎への帰城が叶うというのだ。
「うむ。その為にも、そなたにはしっかりと働いてもらわねばならん。そなたの出陣は明後日だ。それまでは館に戻り、瀬名とゆっくり過ごすが良い。」
「…ははっ。」
そう言われた元康はただ、承諾して頭を下げた。そしてその居間から去り、館の外に出たところで、元康は手に持っていた陣割の書物を見ながらこう思った。
(この出陣は並々ならぬものがある。駿河だけではなく、遠江や三河の国衆までも呼ばれておる。)
元康はこう思いながら、馬に跨って自身の邸宅に戻りつつも、日が沈み始めていた方角を見つつこう思った。
(だがもし、これで秀高殿に負けようものなら、今川の打撃は尋常ではあるまい…そうなったとき、わしはどうするべきか…)
元康は秀高と面会した時の印象が忘れられず、その才能の片鱗を感じた時の事を思えば、ただで義元に負けるわけがないと考えていたのだ。そしてもし義元が倒れた時、自身の身の振り方をも、思案し始めていたのである。
そしてそれから四日建った六月の六日。ついに今川義元率いる総勢三万八千の軍勢は尾張への進軍を開始しようとしていた。目標は今川を離反した高秀高一党、並びに尾張北部に鎮座する織田信長であった。
「氏真よ、これより出陣する。国元の事、親永や母を置いておくゆえ、しっかりと固めておくのだぞ。」
「承知しました。父上もお気を付けて。」
その今川館の正門前。用意された輿に乗ろうとする義元が氏真に言葉をかけると、氏真は父である義元にねぎらいの言葉をかけた。それを受け取った義元は頷くと輿に乗り込み、こう号令した。
「出陣!目標は尾張だ!いざ進め!」
その号令を受けた輿の担ぎ手たちは、輿を持ち上げるとそのまま歩き始めた。こうしてここに、今川軍本隊一万二千余りが、尾張へと進軍を開始した。だがこの本隊の進軍前に、既に先鋒隊や別動隊が、既に尾張へと進軍を開始していたのである。
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義元、遂に動く。
この報せは、伊助とその配下の忍びたちによって逐一秀高に報告され、秀高は次々と更新されるその情報を吟味していた。
「…では、これより軍議を始める。」
今川軍本隊が駿府を進発する一日前。鳴海城内の評定の間において、秀高の重臣たちが一同に会して軍議を始めた。その席上、進行役を務める筆頭家老の三浦継意は、その場に居並ぶ諸将たちに対して話を始めた。
「既に今川の軍勢、続々とこの尾張へと進軍を開始しておる。よってここに一同の配置場所を確認しておく。」
継意はそう言うと、その一同の中間の辺りに敷かれている絵図を指しながら、各地に配置されている軍勢の数を申し述べた。
「…まず沓掛城には既に、近藤景春以下、兵およそ四百余りが配置されておる。」
その紹介を受けた景春は、頭を下げてそれに応えた。その後継意はそのまま、話を続けた。
「次にこの、大野城には佐治為景・為興父子並びに、殿の本隊から山内高豊らを加えた兵六百。そしてここ鳴海城には、殿の旗本八百余りが詰めておる。」
継意はそう言うと、今度は残る砦に指揮杖を差してこう言った。
「なお、この善照寺砦には、山口盛政と兵二百五十。中島砦には、山口重俊と兵三百を配備する。」
その説明のすべてを聞き終えた秀高は、継意から発言を求められるように目配せを受けると、一同に発言をした。
「…俺たちの軍勢は総勢約二千五百余り。対して今川の軍勢は約四万。普通に戦えばまず勝てない。だが、みんなで知恵を出し合えばきっと勝てるはずだ。ここでみんなの意見を聞いておきたい。何か意見はあるだろうか。」
秀高から一同に対し、忌憚のない意見を求められると、それに率先して動くように発言を行ったのは、沓掛城主の近藤景春であった。
「殿!我が沓掛城は敵に対していの一番に攻め込まれる土地。我が軍勢は死力を尽くして戦いまするが、より多く敵に打撃を与える為にも、何卒鉄砲を幾らか回してくだされ!」
「…鉄砲をか。信頼、どうだろうか。」
そういって秀高から意見を求められた小高信頼は、景春に対してこう言った。
「そうだね…じゃあ、鉄砲を百挺ほど回そう。これでどうかな?」
「ありがたい!それで敵に大打撃を与えられまする!」
景春がこう言って感謝し、秀高や信頼に向かって頭を下げていると、そこに伊助が新たな情報知らせて来た。
「殿!申し上げます!今川の一隊、境川を渡り大野城方面へ進軍してきております!」
「…来たか。それでその陣容は?」
秀高から報告を求められた伊助の口から出た情報は、その場の一同をどよめかせた。
「はっ。大将は譜代家臣の葛山氏元。これに水野忠重、鵜殿氏長、奥平貞能ら三河の国衆を集めた、総勢九千の軍勢にございます!」
「そうか…たった一隊でも、約一万ほどの軍勢か。」
秀高がこう言うと、その心配を安心させるように為景が秀高にこう言った。
「ご案じなさいますな。地の利はこちらにありまする。それに敵は農繫期にもかかわらず徴用された農兵がほとんど。士気は低いかと思われます。」
「…そうだな。よし、信頼、城下や尾張一帯の商人たちにこのことを触れ回ってくれ。」
すると秀高は、信頼に自身の考えを元にした提案を言った。
「これよりこの城に兵糧や武器弾薬を蓄えるので、商人たちの伝手で物の買い揃えを頼むとな。」
「…確かに、籠城戦をするにはそれしかないけど、果たして蓄えが出来るかどうかは…」
「いや、触れ回るだけでいい。本当に兵糧などを集める必要はない。」
「どういうこと?」
信頼は秀高のその言葉を聞くと、その真意を秀高に尋ねた。秀高は信頼の言葉を受けると、静かに語り始めた。
「俺たちが急に兵糧などを買い揃えるという情報は、商人たちの口を通じて駿河に流れ込もう。そうなれば、敵は俺たちが籠城戦の準備をしていると思い、まさか野戦には出てこないだろうと思い込んで更に慢心するだろう。」
「…なるほど。それは良き策かと。」
継意が同意するようにこう言うと、秀高は意を決して伊助にこう言った。
「よし。じゃあ伊助。このことを尾張国内に触れ回れ。国内だけじゃない。出来れば三河辺りにも流してやれ。」
「ははっ!しかと承りました!」
この秀高の狙いは、農兵たちを主戦力とする今川勢の士気をさらに下げ、逆に慢心を高める策であった。事実、その後にこの情報が広まると、今川勢は更に勝利を確信して慢心の度合いを更に高めてしまったのである。