1572年8月 東国戦役<東海道side> 反攻の狼煙
康徳六年(1572年)八月 遠江国浜松城
翌八月二十五日、浜松城の本丸館にて高秀高は浜松城にいた諸将を招集して軍議を開いた。この席には戦傷から回復したとされた徳川家康(世良田二郎三郎元信)も参列し、同時に高輝高ら高家の家臣団や細川藤孝・松永久秀ら幕府傘下の諸大名も勢揃いしていた。
「まずは三河殿、戦傷が無事に癒えて何よりだ。」
「はっ、中将殿にはご心配をおかけしました…。」
本丸館の広間で開かれた軍議の席の冒頭、秀高は同じ広間の上段に座っていた家康に向けて声をかけた。この気配りを受けた家康が気丈な返事を返した後、秀高はこくりを頷いた後にやや少し悲しそうな表情を見せながら、諸将の方を振り向いて言葉を続けた。
「三河殿の傷は癒えたものの、先の三方ヶ原にて我らは少なからず損害を負った。三河殿は大久保忠員殿、長坂信政殿など三河譜代の臣を、そしてこの俺は…佐治為景や坂井政尚を失った。」
「父上…。」
秀高は諸将に向けてそう言った後に視線を下に向け、床板を見つめながら一拍、間を置くように黙った。その言葉を受けて嫡子の輝高が言葉をつぶやき、やや下を俯いていた秀高の方を振り向くと、秀高は顔を見上げて自身の方に視線を送っている諸将たちに向けて、重苦しくなった空気を切り替えるような言葉をかけた。
「…だが、俺たちは日を跨いだ昨日、宝渚寺平の戦いにて上杉輝虎配下の軍勢を撃破して大勝した。討ち取った雑兵将兵の数は八千にも上り、名のある兜首だけでも十数個に上った。これを見れば、泉下の者達も浮かばれるだろう。」
「…如何にも。」
秀高の言葉を聞いた家康がきりっとした表情で首を縦に振って頷いた。これに続いて軍議に参加していた諸将も晴れやかな表情を浮かべて秀高を見つめると、それらの晴れやかな表情を見て安堵した秀高は、首を縦に振って頷きつつも言葉を続けた。
「先ほど来た早馬によれば、上杉勢は二俣城より北に向けて進軍し始めたと聞く。これは明らかに兵を越後に下げたと見るべきだろう。今こそ遠江や駿河に攻め込んできた敵勢を撃退する好機!」
そう言うと秀高は上段にて座っていた茣蓙より立ち上がって、その場に立ちあがりながら諸将の顔を一通り見まわしながら下知を飛ばした。
「よって今日よりは攻め寄せてきた敵勢を各個撃破し、徳川殿の領内より追い払う!これに際し、我こそはというものはいるか!?」
「…然らば中将殿、まずはこの家康にお任せあれ。」
この秀高の呼びかけにいの一番に答えた武将。それこそ秀高の隣に座し、尚且つ攻め込まれている駿遠三の領主である家康その人であった。この名乗りに軍議に列していた本多平八郎忠勝や榊原小平太康政等の徳川家臣が顔を上げて家康の姿を見つめる中で、家康は立っている秀高を見上げながら言葉を続けた。
「この徳川家康、傷が癒えた以上は今まで以上に万全を期しつつも、失地の回復に専念致したく思いまする。」
「…良くぞ言った。三河殿。」
家康の言葉を聞いた秀高は再び茣蓙に座り直し、家康と真正面と向き合いながら言葉を返すと、すぐさまその意気込みを買って指示を伝えた。
「ならば三河殿にはまず、関東諸将の背後を断つという意味を込めて掛川を経由し、遠江小山城を攻めてもらう。信澄!家康殿と共にこれを攻め取ってくれ。」
「ははっ!!」
家康との共同戦線を秀高より命じられた織田信澄は意気込むような返事を発し、同時に家康は黙したまま秀高に向けて頭を下げた。これを見た徳川家中の家臣たちは胸中に些かのわだかまりはあったものの、自らの手によって所領を回復できるとあって闘志を心に燃やしていた。秀高は家康に向けて命を伝えた後に亡き為景の子である佐治八郎為興に向けて次なる命を下した。
「為興!お前には亡き父の軍勢を再編、指揮下に加えた上で三河殿より離反した二俣・犬居両城の攻略を命じる。井伊谷城の井伊直盛と共に向かい戦功を上げてくれ!」
「ははっ!亡き父に勝利を捧げてみせましょう!」
為興は秀高の命を受け、父の弔い合戦だと意気込むばかりに言葉を返した。するとこれらの指示を聞いていた徳川家中の中から、秀高に向けて鎌倉府勢への反攻を志願する徳川家臣たちが現れた。
「秀高殿!高天神城を包囲する敵の撃破、何卒この酒井忠次にお任せあれ!」
「この石川家成も同道いたす!」
徳川家中でも重臣格に当たる忠次と家成が進言したのは、秀高の家臣である丹羽氏勝が現時点でも籠城している高天神城の救援策であった。これを聞いた秀高は二人の意気込みを買うように頷くと、そのまま家康の方を振り向いて意見を尋ねた。
「…三河殿、どうだろうか?」
「良き策かと思われます。忠次、家成!大須賀康高を加えた兵で高天神城を包囲する軍勢の撃破に向かえ!」
「ははっ!!」
秀高から促された家康は首を縦に振って頷いた後、発言してきた忠次を含めた三将に高天神城救援を命じた。これを受けて忠次らが意気込むような返事を発すると、それを聞いた秀高は残った諸将に向けて今後の動向を伝えた。
「残った諸将は戦続きで疲れていると思う。しばらくは浜松城にて留まって休息をとり、小山城の奪取並びに高天神城の救援が為せたときに出陣する。では各々、戦支度にかかれ!!」
「ははっ!!」
これを受けた諸将は秀高に向けて一斉に返事を返した。その後、命を受けた諸将はそれぞれに行動を開始した。即ち為興は父が率いていた軍勢を連れて井伊谷を経由、井伊勢と合流した後に二俣へと向かい、徳川本隊は信澄勢と共に掛川方面に、そして酒井・石川・大須賀勢六千は高天神城方面へと各々出陣していったのだった。
「よもや神君(徳川家康)が死ぬとはな…。」
「…俺も信じられない気持ちだよ。」
佐治、そして酒井らの軍勢が浜松城を発った後、徳川本隊が出陣準備を整えている中で家康こと世良田元信と秀高は二人きりで浜松城の天守閣に登り最上階の階層から高欄へと出てそこから城内を見渡した。その中で発した元信の言葉に秀高が砕けた口調で返すと、秀高は高欄にて隣に立っていた元信に向けて腹を割るように言葉をかけた。
「三河殿…いや、二人きりの時は善助と呼ぼう。善助、あくまでもお前の役目は影武者だ。分かっているとは思うが、いずれ家督は嫡子の高康が継ぐことになる。」
「高康…元の世界では確か、松平信康と呼ばれた御仁か。」
世良田元信の前の名前、つまりこの世界に来た当初の名前である口羽善助の「善助」という名前を使ってきて話しかけてきた秀高に、善助は欄干に手を掛けながら秀高の言葉に答えた。自身の状況をしっかりと把握している善助の受け答えを聞いた秀高は、再び城内を見渡すように前を振り向くと、天空に広がる澄み渡った青空を見つめながら善助に言葉を返した。
「あぁ。俺も重次に向けてああ言った以上は、高康に徳川家の長としての立場が保証されている。お前はそれまでの繋ぎになってしまうから、苦しい立場に変わりはないが…。」
「構わんさ。」
青空を見つめている秀高の言葉を耳にした善助は、気に掛ける様な秀高の素振りを気丈に返すと同時に秀高の方に顔を向けると、自身の役目を口にしてその覚悟のほどを語った。
「それがこのわしに与えられた定めならば、しっかりと役目を果そう。秀高よ、これからは家康と秀高という間柄になるが、二人きりの間はこうして気兼ねなく話せると良いな。」
「…そうだな。」
善助の言葉を聞いた秀高は首を縦に振って頷き、そのまま青空をじっと見つめていた。形の上では「徳川家康」と「高秀高」という大名同士になってしまった二人ではあったが、その出自を知っている両者は二人きりの際にはこの様に打ち砕けた会話をするようになった。その後、善助は家康に戻って家臣たちを差配し、秀高が天守閣より見送る中で浜松城を出陣していったのだった。




