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1572年8月 東国戦役<秀高side> 天下秘匿の儀



康徳六年(1572年)八月 遠江国(とおとうみのくに)浜松城(はままつじょう)




 八月二十四日の夜。宝渚寺平(ほうほうじだいら)の戦いで上杉輝虎(うえすぎてるとら)相手に戦勝を収めた高秀高(こうのひでたか)は、上杉軍の残党を粗方掃討し終えると小高信頼(しょうこうのぶより)に宝渚寺平の陣城の撤去を命令しつつ、自身は細川藤孝(ほそかわふじたか)松永久秀(まつながひさひで)ら幕府の軍勢や配下の軍勢と共に徳川家康(とくがわいえやす)が居城・浜松城(はままつじょう)に入城した。


三河(みかわ)殿…。」


 日も沈んだ漆黒の夜の中で、本丸館の庭先に篝火(かがりび)が辺りを照らす中で秀高は本丸館のある一室に通された。一つの蝋台(ろうだい)灯火(ともしび)が照らす中、床に敷かれた布団の中に寝ていた人物こそ、先の三方ヶ原(みかたがはら)の戦いにて重傷を負った家康その人であった。秀高は大高義秀(だいこうよしひで)(はな)夫妻と共に一室に入り、側に本多作左衛門重次ほんださくざえもんしげつぐが控える中で家康の側に着座。この時秀高は、家康の顔に死相が出でいるのを察し、着座してすぐさま(おもむろ)に家康の手を取って語り掛けた。


「三河殿、この俺が上杉勢を打ち破った。だからどうか安心してくれ。」


「…ち、中将(ちゅうじょう)…殿…。」


 秀高は家康の手を取りながら、今日の大勝を家康に報告。これを聞いて家康がそれまで見せていた苦悶の表情を和らげ、目を細めながら手を握ってきた秀高に向けて前日の三方ヶ原大敗を詫びるような言葉を、声を振り絞って発言した。


「も、申し訳…ござらぬ…。」


「三河殿、無理に話すな。今はゆっくり休め。」


 声を振り絞って発言して来た家康を、秀高は制して発言を止めるように促した。するとそれまで目を細めていた家康はカッと目を見開き、自身の手を握っていた秀高の手を両手で握りしめ、最期の遺言とも言うべき頼みを気力を振り絞るような声で発言した。


「中将…殿、ど、どうか…徳川…を…。」


 家康は秀高に向けて徳川家の今後を頼むような言葉を告げると、次の瞬間には握りしめていた手をスルッと抜け落ちるように落とし、その後に深い眠りにつくように目をゆっくりと閉じた。これを見た秀高は何かを感じ取ったのか、寝息が完全に止まった家康に向けて呼び掛けた。


「…三河殿、三河殿!!」


「殿ぉっ!!うぅぅっ……」


 秀高の呼びかけを聞いて主君・家康の絶命を知った重次はその場で大きく慟哭するようなすすり泣きを見せ、それを秀高の背後で見ていた華は瞳に一粒の涙を見せ、そして義秀は布団の中で亡くなっていた家康をただ黙ってじっと見つめていた。時に康徳(こうとく)六年八月二十四日、今川義元(いまがわよしもと)の人質から立身し東海に勢力を築き上げた徳川三河守家康とくがわみかわのかみいえやすは、同盟者かつその死を悔やむように悲しみの表情を見せていた秀高に見送られながらその生涯を閉じた。享年三十一…。




「そんな…殿が…」


「くそっ!このわしが側についておれば!!」


 家康の死後、その死は秘されながらも僅かな徳川家臣たちが家康が亡くなった一室に招集された。その場にいた家康や重次より家康死去を告げられたのは忍び頭たる服部半三保長はっとりはんぞうやすなが、それに家臣の中で家康の信任厚かった本多平八郎忠勝ほんだへいはちろうただかつ本多弥八郎正信ほんだやはちろうまさのぶの三名であった。家康の死を告げられた忠勝がその場で悔しがり、正信が黙したまま家康の亡骸を見つめる中で、半三保長は悲愴(ひそう)な面持ちで家康の亡骸を見つめつつ、懐刀の柄に手を忍ばせながら言葉を発した。


「…殿、泉下にてお詫び(つかまつ)る!ぐぅっ!!」


「おい、何しやがる!?」


 半三保長が家康へ別れの言葉を述べた後に、素早く懐刀を抜いて自身の心臓に懐刀の切っ先を突き刺した。この行動を見た義秀が(おもむろ)に立ち上がって半三保長の元に駆け寄ると、半三保長は懐刀を胸に突き刺したまま絶命しておりそのまま力を無くして床に寝転がった。その姿を黙したまま見つめていた正信が、初めて口を開いて重次に向けて半三保長の死を伝えた。


「…絶命しておりまする。」


「保長め、(はや)りおって…誰かある!」


 正信より半三保長の絶命を受けた重次は、勝手に自害した半三保長に憤るようなそぶりを見せると襖の外に待機していた側近を声を上げて呼んだ。これを受けてその側近が襖を開けて中に入ってくると、重次は床に倒れ込んでいる半三保長に視線を送りながら側近に向けて命令を告げた。


「半三保長は殿の後を追った。すぐさま丁重に葬れ!」


「ははっ!!」


 この重次の命を受けた側近はもう一人の側近を呼び寄せると、木の板に無くなった半三保長を移しその上から布を被せると、木の板を持ち上げてどこ隣へと運び去って行った。その半三保長の亡骸がその一室から運び去られた後、重次は家康の亡骸を挟んで向こうの位置に座っていた秀高に対し、話題を切り替えるように話しかけた。


「さて中将殿…。事ここに至っては我ら徳川家の懸念は、誰に家督を託すかにござる。」


「家督…?そんなのは、高康(たかやす)殿を置いて他にござるまい!」


 重次の言葉を聞いた忠勝はその場で大きな言葉を上げて反論した。忠勝の言う通り秀高の娘婿でもある徳川高康(とくがわたかやす)こそが家康亡き後の徳川家を束ねるべきという考え方は至極当然の考えである。しかし今般、領国を鎌倉府(かまくらふ)傘下の諸大名の軍勢によって浸食されている現状では、当主死去と交代という事態は徳川家の状況をさらに悪化させかねない事実があった。


「確かに若君こそが徳川の正嫡ではあるが、今この状況で若君に家督を継がせるというのは(いささ)か酷と言うものじゃ。この苦境を突破するのは一つしかあるまい!」


「…影武者殿を、殿として扱う。ですな?」


 重次の言葉を聞いてその思惑を察した正信が打開策の内容を言葉にした。つまり重次や正信はこの苦境を打開するためには、家康の影武者でもある世良田二郎三郎元信せらだじろさぶろうもとのぶを家康として立て、家康の死を秘匿するというものであった。その言葉を聞いて重次に言葉を返したのは、その場で嫡子・高康への家督継承を発言した忠勝その人であった。


「影武者…作左殿、それは!」


「事ここに至っては、それしか苦境を跳ね除ける策はあるまい!三河殿、それに際し何卒頼みがあり申す。」


「…聞こう。」


 忠勝の反論を言葉で封じた重次は、家康の亡骸を挟んで相対している秀高に向けて頭を下げ、影武者・元信を家康として立てるにあたり、秀高に心して承知して欲しい事項を言葉にして伝えた。


「あくまで今回の策は、現状の劣勢を跳ね返し徳川家の危機を救うための策にて、いずれは高康殿に徳川家を継がせる所存にござる!それゆえ中将殿にはその事心得頂き、影武者殿から高康殿への家督移譲をご承知いただきたい!」


「…分かった。それについては了承しよう。」


 重次からの言葉を聞いた秀高は、一拍間を置いて考えた後に重次に言葉を返して承諾した。それを受けた重次はその場で再び瞳に一粒の涙を浮かべながら、秀高の顔を見つめつつ感謝の念を込めた言葉を返した。


「そのお言葉を聞けて、感謝の念に堪えませぬ。元信!」


「はっ。」


 秀高に向けて挨拶を述べた後に、重次は後ろの襖の方に視線を送って影武者・元信の名を呼んだ。その呼びかけを受けて元信は返事を発して襖を開け、家康の亡骸の側まで進むとその姿を見た秀高は驚いた。なんとその姿は家康の風貌にしっかりと似せた姿になっており、傍から見れば同一人物と見間違うまで似せていたのである。この姿を見て感心した重次は側に座った元信に向けて言葉をかけた。


「これよりはそなたが徳川家康(・・・・)…我が殿じゃ。先の三方ヶ原で死したは、世良田二郎三郎元信(・・・・・・・・・)である!宜しいですな、殿!」


「…承知した。中将(・・)殿、良しなに頼みまする。」


 重次の言葉の後に、秀高に向けて影武者・元信は家康の口調そっくりに秀高に向けて挨拶した。これを聞いた秀高は黙したまま頭を下げて承諾し、それにつられて大高夫妻や忠勝・正信も家康になった影武者・元信に向けて頭を下げた。ここに元信は「徳川家康」その人となり、同時に城内には家康の影武者・世良田元信の死が宣言されたのだった。そして同時にこの場で起こった秘密の交代劇は、「天下秘匿の儀」となったのである。





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