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1572年8月 東国戦役<東海道side> 決戦宝渚寺平<二>



康徳六年(1572年)八月 遠江国(とおとうみのくに)宝渚寺平(ほうほうじだいら)




「殿!山上の曲輪より青旗が振られました!」


 宝渚寺平の陣城の主郭とその手前にある曲輪の間に流れる谷間の底、その場に控えている松永久秀(まつながひさひで)の陣中にて山上の監視を行っていた家臣の結城忠正(ゆうきただまさ)が主君・久秀に向けて青旗が振られた事を報告すると、久秀はこの報告を受けて首を縦に振って頷いた。


「うむ。忠正、それは細川(ほそかわ)らも確認出来ておるか?」


「はっ、既に細川殿を初め、小寺(こでら)勢も坑道へと入って行っておりまする。」


 家臣・結城忠正より報告を受けた久秀は目の前にあった一つの坑道に目を送った。その坑道は山上の曲輪の山肌に掘られた坑口の奥に広がっており、そことは別の坑口を通じて細川らの軍勢が坑道を進んでいる中で、久秀は首を縦に振った後に言葉を発した。


「良かろう。ならば我らも坑道へと入る。行くぞ!」


「おぉーっ!!」


 久秀の言葉を受けた松永家臣たちや足軽たちは喊声を発し、先頭を切って坑道へと入って言った久秀の後に続いて細く薄暗い坑道へと分け入っていった。丸太によって補強された坑道の中を粛々と進んでいた久秀は、やがて白い光が差し込む木戸の前に立ち止まると、背後から続いてきた忠正ら家臣たちと目配せをした後に声を上げた。


「やれ!」


 久秀の号令を受けた忠正らは木戸を蹴破り、その奥へと進んでいった。この奥というのは先程より山上の曲輪からの銃弾を浴びて足止めを受けていた上杉(うえすぎ)勢の前にある馬防柵の裏手部分であり、上杉方から見ればどこからともなく軍勢が出現したように見えていた。この松永勢と共に細川・別所(べっしょ)といった幕府軍も各々の坑道を越えて馬防柵の裏に陣取ると、すぐさま鉄砲隊が前面に進んで堀の手前で立ちすくむ上杉勢に火縄銃の銃口を向けた。


「鉄砲隊、構え!放てぇ!!」


 この誰からともなく発せられた号令に始まった火縄銃の一斉射撃は、馬防柵を越えられない上杉勢に更なる打撃を与えた。幕府軍が所持していた火縄銃は、高秀高(こうのひでたか)ら高家の軍勢が所持していた改良火縄銃ではなく従来の火縄銃であったが、それでも上杉勢に有効打を与えるには十分であった。




「申し上げます!柵の向こうに軍勢が現れました!旗印から松永、細川らの軍勢のようにて、柵の奥より種子島を打ち掛けてきております!」


 この幕府軍の射撃に誰よりも驚いていたのは、他でもない上杉陣中である。その中でも河田長親(かわだながちか)指揮する部隊は山上の曲輪からの射撃に加え、眼前にどこからともなく現れた幕府軍の射撃を受けてさらに混乱。この中で方向を述べにやって来た味方の足軽に対して長親は馬上から言葉を返した。


「敵はどこから現れてきたと申すのじゃ!?よもや地中から出てきた訳ではあるまい!?」


「良く分かりませぬ!」


 長親の問いかけに馬の下にいた足軽が即答すると、その足軽にも銃弾が命中して倒れ込んだ。これを見た長親は兜の眉庇(まびさし)を上げて前を見つめ、銃弾がこちらに飛んでくる中で地団駄を踏むように悔しがった。


「ええい、秀高め小癪な真似を!!」


 この河田長親、数年前の春日山騒動(かすがやまそうどう)において秀高の計略に引っ掛かり、主君・上杉輝虎(うえすぎてるとら)の一門であり上杉景勝(うえすぎかげかつ)の実父であった長尾政景(ながおまさかげ)らを独断で粛清。それによって数年の蟄居を命じられていたが、それが今回の戦で蟄居を解かれて戦に従軍し、同時に自身を苦境に追いやった秀高への憎しみをぶつけるべく戦いに臨んでいた。しかし、その秀高が差配する戦の前に苛立ちを隠しきれず、そして非情にも長親の胴体に山上から放たれた一発の銃弾が命中。その反動で馬上から弾き飛ばされて地面に叩きつけられたのだった。


「ぐぁ…秀…高…め…。」


 長親は地面にうつ伏せになりながら、途切れ途切れの声で最期の言葉を発してそのまま息絶えた。この時点で上杉勢はものの僅かな間に甚大な数の将兵に死傷者を出し、特に宝渚寺平の陣城手前の曲輪部分では死体の山を次々と重ね始めていた。




「申し上げます!河田長親殿、討死!」


「ええいどいつもこいつも当てにはならぬ!防塁の突破は我らが成し遂げてみせる!」


 防塁の前に陣取っている北条高広(きたじょうたかひろ)の軍勢では、大将の高広が味方の不甲斐なさを叱咤するような発言をした後に、背後にいた息子の北条景広(きたじょうかげひろ)に向けて声をかけた。


「行くぞ景広!敵の矢玉を恐れずに突き進もうぞ!」


「はっ、父上!」


 この景広の返答を聞いた高広はこくりを頷き、そして味方の将兵に向けて手で攻撃開始の合図を打った。北条勢は馬上にて勇ましく進む高広の後に続くように、一歩ずつしっかりと地面を踏みしめて行軍。これを防塁の裏より見つめていた山内高豊(やまうちたかとよ)指揮する高家の軍勢は、高豊が上げた片手に連動するように改良火縄銃をもって狭間から銃口を覗かせると、それを見た高豊は声を上げた。


「撃て!敵を一人ずつ打ち抜け!」


 高豊の号令と共に振り下ろされた片手を見て、味方の将兵は迫り来る北条、そして安田顕元(やすだあきもと)の軍勢めがけて銃弾を浴びせた。この銃弾を受けた北条・安田勢は曲輪方面での味方同様に百名ほどが一回で地面に伏したが、これにめげることなく前進を続け、やがて二回目の射撃で高広の馬に銃弾が命中し馬上から放り出されると、高広はすぐさま立ち上がって気勢を上げた。


「うおぉぉぉ!!」


 腹の底から振り絞るように(うな)り声を上げた高広は、同じく馬上から落とされた景広を連れて防塁へと駆け込んでいった。やがて防塁に近づいて土塁を昇り、板塀に手を掛けて高広が昇ろうとすると、その時に隣で景広が板塀の狭間より繰り出された一本の槍を胴体に受けた。


「ぐあっ!!」


「景広!!貴様ら!!」


 胴体に槍を受けた景広は力を無くすように後ろのめりで倒れ込み、それを見た高広は憤激して板塀をよじ登った。自身の背後より味方の将兵が続くべく板塀に差し迫る中で、一人先んじて板塀の向こうへと降りた高広は、その場にいた数名の足軽を刀で刺殺した後、自身の周囲をぐるりと囲った槍足軽たちに向けて自身の名を改めて名乗った。


「よく聞け高家の弱兵ども!我が名は北条安芸守高広きたじょうあきのかみたかひろ!必ずや天下に蔓延(はびこ)る逆賊・秀高が首を取って見せようぞ!!」


 高広は己の名を名乗った後に周囲を囲う足軽らに向けて斬りかかり、槍を持つ足軽を一人、また一人と斬り伏せていった。この雄姿を高広の後に続いて板塀をよじ登った顕元は、続いてきた数名の味方を鼓舞するように声を上げた。


「おぉ、高広殿に続け!!」


 この顕元の言葉を受けた北条・安田の将兵たちは更に勢いづいて板塀の踏み越えを行ったものの、改良火縄銃や狭間から繰り出される槍の前に多くの討死を出していった。その中で孤軍奮闘していた高広はなおも立ちはだかる敵の足軽たちに向けて強い口調で言葉を吐いた。


「ええい、邪魔立てするな!!」


「ぐうっ!!」


 高広の一太刀を受けて一人の侍大将が地面に伏せると、その背後より金の采配の前立てを兜にあしらった武者が槍を(たずさ)えて現れた。この武者こそ高豊の弟であり、知立七本槍(ちりゅうしちほんやり)の一騎に数えられる山内一豊(やまうちかずとよ)である。


「そこに見えるは北条高広殿とお見受けする!我が名は山内一豊!」


「良き武者なり!いざ!!」


 一豊の姿と風格を見て一端(いっぱし)の武士であると感じ取った高広は勇ましく返事を返し、ここに一豊と一騎打ちを繰り広げた。高広は足軽より奪い取った槍を繰り出して一豊と十数合ほど打ち合ったが、一豊は一瞬の隙を見計らって高広の胴体に槍を突き刺した。


「ぐおっ!!」


「ぬうぅぅっ!!」


 槍を胴体に突き刺した一豊はそのまま全身の力を込めて槍ごと高広を押し、そのまま板塀の柱に槍の切っ先を突き刺すとその反動で高広は板塀に叩きつけられた。これが致命傷となった高広は意識朦朧となり、槍が胴体から抜かれたと同時にその場に倒れ込んだ。これを見た一豊は素早く高広の首を取り、それをその場で掲げて大きく名乗りを上げた。


「北条高広は討ち取った!者ども、直ちに中に入った敵を殲滅せよ!」


「おぉっ!!」


 この一豊の声を聞いた味方は息を吹き返し、これ以上の板塀の乗り越えを阻むと同時に入り込んだ上杉勢を一人ずつ仕留め、そして最後に残った顕元に向けて数名の足軽たちが一斉に槍や刀を突き刺した。


「くっ、御実城!!」


 顕元は刀や槍が突き刺さる中で輝虎の事を呼ぶように叫んだ後、そのまま地面に倒れ込んで息絶えた。この後、主将を失った北条・安田の兵たちは改良火縄銃が放つ銃弾の前に全滅。ここに両隊は戦国時代の戦では中々ない将兵皆々根絶やしとなったのである。





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