1572年8月 東国戦役<東海道side> 決戦宝渚寺平<一>
康徳六年(1572年)八月 遠江国宝渚寺平
康徳六年八月二十四日。引佐細江の北岸部・大川の沿岸沿いに密集して布陣した上杉輝虎が軍勢三万二千と高秀高指揮する幕府軍総勢四万三千。両者が互いの存亡を賭けた世紀の一戦の火蓋は、宝渚寺平の陣城より手前の曲輪の向こう、葭本川なる小川に沿うように整列する上杉軍の前衛部より切って落とされた。一番手を務めるべく声が上がったのは、前日の三方ヶ原の戦いにおいて先陣を務めた柿崎景家の軍勢からであった。
「行くぞ!この一戦にて敵の大将、高秀高が首を取る!」
「おぉーっ!!」
馬上から後方に控える配下の足軽たちに声をかけた景家は、背後から将兵らの完成を受け取るや前を向き、手綱を引いて馬を走らせた。これに背後から味方の将兵たちが続く中で景家は馬上にて風を切るように進みながら、先の戦いで討死した息子・柿崎晴家に対して心の中で念じた。
(晴家よ…父の戦いぶり、あの世でしかと見ているが良い。)
一人息子でもあった晴家を亡くした景家にとって、今回の戦いは自身の中で息子の弔い合戦だと自負していた。その強い思いを抱いていた景家は軍勢と共に小川を渡河し、対岸の曲輪の麓に構築されていた二重の馬防柵を目の当たりにすると、後方にて渡河し終えた味方に向けて号令を発した。
「よし、掛かれぇ!!」
この号令を受けた景家配下の将兵は、木槌や鉤縄を片手に持つ足軽たちを先頭に真正面に存在する馬防柵めがけて走って行った。するとその時、馬防柵へと走って行った足軽たちはまるで地面に吸い込まれるように落下していき、同時にその場に大きな落とし穴とも言うべき深い堀が現れた。
「うわぁっ!!」
「ぐわぁ!!」
「な、何事か!!」
その深い堀と同時に、落ちていった足軽たちがそこで悲鳴を上げたのを聞いた景家は、馬を進めてその堀の近くへと進み、馬上から下の堀底に視線を送った。するとそこには所狭しと立てられた逆茂木に足軽たちが突き刺さるという悲惨な光景が広がっており、それを見た景家が堀へと落ちなかった味方を背後にして声を上げた。
「お、落とし穴だと…おのれ小癪な!」
そう、今の今まで馬防柵の前に広がっていた地面は本物ではなく、秀高が味方に命じて掘らせた深さ六尺(約1.8m)ほどの堀が辺り一面に敷かれていた薄布の下に隠れており、更にそこには太い逆茂木が立てられていたのだ。これを見た景家は地団駄を踏むように悔しがって背後の味方に対して突破を命じようとしたその時、隣にいた一人の騎馬武者が山の上の曲輪より一発の銃弾を浴び、その反動で馬上から弾き飛ばされた。
「な、何があった?」
この様子を見ていた景家がその場で声を上げると、その一発の銃弾の後に曲輪の上から鉛玉が等間隔で放たれ、それを受けた周囲の騎馬武者たちも同様に馬上から弾き飛ばされる者や、中には銃弾を受けた後に声も無くゆっくりと落馬した者もいた。この射撃を受けて背後の足軽たちが尻込みする様に一歩後ろへと下がると、それを見た景家は督戦するべく声を発した。
「…くそっ!!足を止めるな!直ちに堀を突破し陣城に——」
景家は言葉を発している途中であったが、景家の言葉はそこで止まった。何故ならば景家の頭部に一発の銃弾が命中。兜の鉄板ごと撃ち抜かれた景家は声も無く馬上から落馬し絶命した。かつて「越後七郡で彼に敵うものは無し」とまで呼ばれ、今、息子の無念を背負って戦を行っていた柿崎景家は、ここに呆気なくその人生を終えたのである。享年五十九…。
「も、申し上げますっ!!か、柿崎さまが!」
「何…柿崎殿がどうかしたか!?」
この景家の死は、隣に陣を置いていた斎藤朝信の部隊にも届けられた。朝信に向けて報告を述べていた早馬に対し、朝信本人が報告の続きを求めるとこの朝信の部隊にも山上の曲輪から鉛玉が飛来し、その中の一発が早馬の胴体へと命中した。
「うわぁっ!」
「馬鹿な!?種子島がここまで届くのか!?」
この光景に朝信が驚くのも無理はない。そもそも景家や朝信がいた位置というのは、従来の火縄銃が放つ射程距離の外であり、本来ならばここまで銃弾が飛んでくるはずがなかった。しかし山上の曲輪から放たれている銃弾は威力を落とさずに麓の堀近くにいた朝信勢の将兵を簡単に打ち抜いていた。これにはあるからくりが潜んでいたのだが、この時の朝信にはそれが何なのか全く思いもよらなかったのである。そしてその銃弾の中で、味方の惨状を告げる報告が朝信の側に来た侍大将より報告された。
「も、申し上げます!敵の種子島の威力凄まじく、味方の将兵次々と射抜かれておりまする!」
「これに柿崎殿はやられたのか…ぬうっ!!」
侍大将より報告を受けていた朝信であったが、馬上にいた朝信にも山上の曲輪より銃弾が命中。幸いにも頭部といった致命傷の部位ではないが、朝信が銃弾を受けたのは左の腰部付近であった。
「と、朝信様!!」
「こ、これしきの傷で…うぅっ!」
先ほどの景家同様、鎧の鉄板を打ち抜いて命中した銃弾を、朝信は苦悶の表情を浮かべながら苦しんでいた。この様子を見た侍大将は尋常ではない事を即座に悟り、すぐさま周囲にて立ちすくんでいた味方に対して命令した。
「ええい、朝信殿をお下げいたせ!」
「ははっ!!」
この命令を受けた足軽たちは馬上で苦しむ朝信に代わり、馬の手綱を引いて後方へと引き下がっていった。しかしその間、将を失った柿崎勢や斎藤勢の足軽たちは山上の曲輪からの射撃を受け続け、その数を続々と減らしていったのである。
「撃て!矢弾のことは気にせず、眼下にて足を止めた敵のみを狙え!」
「放てぇ!!」
その柿崎・斎藤勢の他、山麓の堀前で立ちすくむ上杉勢に向けて火縄銃の一斉射撃を喰らわせている山上の曲輪では、指揮を執る神余高政・神余高晃の兄弟が一心不乱に采配を振るっていた。山上の曲輪の柵近くに立っていた足軽たちは、先の三方ヶ原の戦いにて佐治為景が取った三段の鉄砲戦術を駆使。素早い連射性能を実現していたのである。
「…改良された火縄銃の威力がここまでとはな。」
「と、殿!まさかお越しになられるとは…」
その場で指揮を振る高政らの後方から聞こえて来たこの声を耳にし、素早く高政が背後を振り返るとそこには総大将でもある秀高本人が立っていた。秀高は側に小高信頼を連れて柵の側まで近づき、そこから眼下に広がる上杉勢の惨状を目の当たりにしながら、声をかけてきた高政に対して言葉を返した。
「気にするな。貫堂が作成した火縄銃の威力、実践でどこまで効果を発揮するのか目にしたくて来ただけだ。」
「ははっ、しかしこの戦は今後の戦術を大いに変えましょうな…。」
この戦いにて秀高が連れている高家の軍勢が所持していた火縄銃。この火縄銃は中村貫堂が設計した、ライフリング仕様のフリントロック式改良火縄銃で、実戦の投入自体は北陸戦線の月岡野の戦いが早かったが、この高家の軍勢には倍以上の改良火縄銃が配備されていた。その性能は先の月岡野にて証明された通り、威力や射程距離など従来の火縄銃とは段違いであり、これを指揮する上で実感した高政の言葉に、秀高は眼下の上杉勢の様子を見つめながらこくりと頷いて答えた。
「あぁ。今後は武士が一対一で戦う時代ではなく、兵力や武器を揃えて一斉に攻撃した方が効果的となるだろう。」
「うん。その試金石として今回の戦は勝たなくちゃね。」
秀高同様に眼下の上杉勢を見下ろしていた信頼が相槌を打つように賛同すると、この言葉に秀高は反応しながら、背後にいた高政にも言葉を送った。
「あぁ…ところで高政、そろそろ頃合いじゃないか?」
「如何にも。これ!」
「はっ!」
この秀高の言葉を受けた高政は相槌を発した後に、その場に控えていた一人の足軽に声をかけた。その足軽は両手に一振りの青旗を持っており、この足軽に対して高政は簡潔に命令を飛ばした。
「反対の山麓に控える味方に向けて、青旗を振れ!」
「ははっ!!」
その命を受けた足軽が勇ましく返事を発すると、秀高らが立っている柵とは反対方向の柵に向かい、そこから眼下に待機する松永久秀・細川藤孝ら幕府諸大名の軍勢に向けて大きく青旗を振った。この行動こそ秀高が上杉勢迎撃に備えたもう一つの秘策であり、それがこの時になって実行されようとしていたのである。




