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1572年8月 東国戦役<東海道side> 逆襲の予兆



康徳六年(1572年)八月 遠江国(とおとうみのくに)浜松城(はままつじょう)




 それから数刻後、刑部より三方ヶ原台地(みかたがはらだいち)を挟んだ向こうにある徳川家康(とくがわいえやす)が居城・浜松城。本来の主である家康は先の戦いで重傷を負ったために館内で臥せりきりとなっており、代わりに高秀高(こうのひでたか)が嫡子・高輝高(こうのてるたか)大高義秀(だいこうよしひで)織田信澄(おだのぶずみ)らと共に城内にて徳川軍を指揮し、城内の守備を固めていた。


馬島半次郎(ましまはんじろう)、よく持ち帰ってきてくれた。」


「ははっ!」


 浜松城本丸の本丸館。その中で輝高らの陣所として割り当てられていた重臣の間の中で、輝高は義秀らと共に複数の首桶を持参して来た一人の足軽を(ねぎら)っていた。この半次郎という名の足軽は佐治為景(さじためかげ)配下の足軽であり、夜の間を潜って上杉の陣内に潜入し為景や討ち取られた森可隆(もりよしたか)林通政(はやしみちまさ)らの首を奪い取り、それらを首桶に収めて差し出した半次郎は声をかけてくれた輝高に対して改めて報告を述べた。


「我が主、為景が首並びに、若殿の側近数名の首を上杉の陣より奪って参りました!」


「よくやったな。今日は取りあえず休め。後日追って褒美をやる。」


「ははっ!」


 輝高に代わって義秀が半次郎に向けて声をかけると、半次郎は勇ましく発声した後に(きびす)を返してその場から去って行った。その半次郎の後姿を見送った輝高は、為景の首が治められた首桶を息子の佐治八郎為興(さじはちろうためおき)の前に差し出して声をかけた。


「為興…これが為景の首だ。本領で手厚く葬ってくれ。」


「ははっ、(かたじけな)く思いまする…。」


 輝高からの言葉と気配りを受け取った為興は為景の首が入った首桶を受け取り、目に一粒の涙を浮かべながら感謝の念を輝高に伝えた。それを聞いた後に輝高は再び献上された首桶の前に進み、その首桶の蓋の上に置かれた名札を見つめながら、背後にいた義秀に向けて後悔の念を述べた。


「義秀叔父、私が三河(みかわ)殿の暴挙を抑えきれなかったばかりに、このような…。」


「へっ、甘ったれるんじゃねぇ。」


 輝高の後悔の念を聞いた義秀はそれを鼻で笑うように反応すると、自らの方を振り返った輝高に対して戦いにおける心構えを諭した。


「戦って言うのはな、殺るか殺られるかの駆け引きだ。家康だって、自身の命をかけてまで上杉と戦う道を選んだんだ。それをお前の力不足って嘆くのはお門違いだぜ。」


「義秀叔父…。」


 義秀は輝高の発した事を間違いだと断じた上で、輝高が自らを見つめる中で輝高の背後にあった首桶の数々を見つめながら輝高に対して言葉をかけた。


「あの三方ヶ原で死んだ奴らは、お前を逃す為に必死に戦ったんだ。それをそんな時化(しけ)(つら)見せてたら申し訳がねぇぜ。」


「…そうね。ここは彼らの為にも、毅然とした態度でいるべきよ。」


 義秀の言葉の後に(はな)が賛同するように言葉を続けると、父・為景の首桶を自身の側においた為興が輝高に対して輝高の父・秀高の事に触れて語った。


「…若殿、御父上である大殿も、尾張(おわり)挙兵以来何名もの家臣を亡くして参りました。ですが御父上は彼らの意思を背負って戦ったのです。どうか若殿も、今後は毅然とした態度をお取りくだされ。」


「為興…そうか、分かった。」


 為興や義秀夫妻の言葉を聞いた輝高はそれ以上の後悔を止め、首桶の方を振り返ると毅然とした表情で手を合わせて彼らの冥福を祈った。その後に土方高久(ひじかたたかひさ)らが首桶を別室へ運んでいった後に床几(しょうぎ)に腰を下ろした輝高が、義秀に対して城内の様子について尋ねた。


「…話は変わりますが義秀叔父、徳川配下の様子はどうです?」


「皆、家康の重傷を聞いて士気が下がりつつあるな。明日以降の戦を考えれば、どうにかしないといけないぜ。」


 この頃城内には、家康重傷の噂が少しずつ広まっており、それによって末端の足軽たちの中には不安がって士気が上がらない事態に陥っていたのだ。それを義秀の口からきいた輝高は、この現状を打破するような策を思い浮かんで口に出した。


「…どうでしょうか、ここは元信(もとのぶ)に矢面に立ってもらうのは?」


「そりゃあ良いな。家康と瓜二つの元信が前に出たなら、将兵たちの士気も下がるどころか、むしろ高まるだろうぜ。」


 輝高が発案した、家康の影武者である世良田二郎三郎元信せらだじろうさぶろうもとのぶを表に立たせる策を聞いた義秀が二つ返事で賛同すると、この策に乗っかるように竹中半兵衛重治たけなかはんべえしげはるが輝高に対して進言した。


「ならば若殿、早速にも元信殿に…」


「その必要はない。」


 とそこに、その言葉が重臣の間に響くと同時に敷居の外に立っていたのは、影武者である元信本人であった。元信は背後に本多作左衛門重次ほんださくざえもんしげつぐを連れながら重臣の間の中に入ると、その姿を見た輝高は元信に声をかけた。


「元信殿…。」


「今、この状況を打破するには、この俺が家康として振る舞うしかないだろう?その事は既にここにいる作左(さくざ)殿と決めた。」


「輝高殿、それに皆々。どうか暫くの間は、この影武者を我が殿として扱って頂きたい。」


 元信の言葉の後に重次が高家の諸将たちに向けて声をかけると、これに輝高を初め義秀に為興、それに織田信澄(おだのぶずみ)らは各々に首を縦に振って頷き、これらの反応を目にした輝高はその場の代表として元信に言葉を返した。


「…承知しました。では…家康様。配下の収拾をお願い致します。」


「うむ。承知した。」


 輝高から家康と呼ばれた元信は、すぐさま返事を返すや行動を開始した。即ち元信は重臣の間を出ると縁側に立って足軽たちの前に姿を現し、家康健在を示したのである。もとより影武者である元信の存在を知らなかった末端の足軽たちは、目の前に現れた元信こそ家康本人だと錯覚し、その姿を収めるや城内の至る所で足軽たちの喊声が上がり、この様子は重臣の間の外の縁側から見ていた輝高たちにも察知することが出来た。


「…これで城内の味方や、領国内の味方にも家康健在は伝わるだろう。」


「如何にも。まずはこれでよろしいかと。」


 輝高が城内の様子を見てポツリと(つぶや)くと、これに半兵衛が相槌を打つように言葉を返した、するとそこに輝高付きのくノ一である望月千代女(もちづきちよのじょ)が颯爽と現れた。


「殿、報告いたします。」


「千代女。どうかしたか?」


 輝高の前に片膝をついた千代女に対して用向きを尋ねると、千代女は城外の様子を探ってきた下忍たちからの報告を輝高に伝えた。


「上杉軍の陣中に放った配下より報告がありました。上杉軍、明日にも宝渚寺平(ほうほうじだいら)に攻め掛かるとの事。」


「そうか、上杉軍がいよいよ…。」


 この時点で浜松城内の輝高たちにも、上杉軍の詳細な動向が伝えられた。すると輝高の隣に立っていた義秀が、輝高に向けてある策を進言した。


「輝高、おそらく上杉の連中は今日の戦で俺たちを叩いたと思ってるはずだ。明日、宝渚寺平での戦が始まったと同時に出陣し、奴らの背後を突こうぜ!」


「しかし義秀叔父、徳川軍を初め我らも多くの損害を負っております。無理を押して万が一負ければ…。」


「いや、それがよろしいかと存じます。」


 義秀が進言した上杉軍の背後強襲策を受けて、輝高が城内の兵たちの様子を述べて懸念を表明すると、これに信澄が賛同して輝高に背後強襲策を改めて進言した。


「さしもの上杉も明日になれば後背を気にせぬはず。そこを突けば今日の意趣返しを存分に果たせるかと存じます。」


「意趣返し…か。」


 意趣返し。この言葉に輝高は引っ掛かった。輝高らにすれば今日の戦で辛酸を舐めた代償を上杉軍に払わせる好機が来たと思っており、それを聞いた輝高は背後強襲策を行う決意を固めるとその場に立っていた義秀や信澄に対して言葉を返した。


「…義秀叔父、それに信澄。密かに兵の支度を。」


「明日、出陣するのね?」


 義秀の代わりに華が出陣の意向を尋ねると、輝高は黙したままこくりと首を縦に振って頷いた。ここに浜松城内は密かに明日の出陣に備えるべく動きだし、その様子を外部に漏らさぬよう隠密裏に戦の支度が進められた。こうして秀高、輝虎、そして浜松城内にてそれぞれの準備が進み、やがて日付を(また)いだ八月二十四日、戦の気配が引佐細江(いなさほそえ)の北岸で立ち込めようとしていた。





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