1558年4月 一時的な休戦
永禄元年(1558年)四月 尾張国鳴海城
山口教継父子の葬儀から数日たった四月末。ここ鳴海城では不穏な空気が漂っていた。
この日、なんと尾張清洲城の主・織田信長からの使者が鳴海城に訪れ、高秀高に面会すると聞いた城内では、騒然と化していた。なぜならば、既に伊助ら忍び衆の活躍によって教継に手を下したのが織田であるという事が、城中に露呈していたからである。
「冗談じゃねぇぜ!」
その鳴海城内の本丸館内。評定の間に隣接されている重臣の間の中から声が上がった。こう言ったのは、その一同の中で立ち上がっていた大高義秀であった。
「教継さまに手を下した織田の家来が、今更この城に何の用だ!秀高に目通りする前に、俺が叩き切ってやる!」
「落ち着いてよ。義秀。」
義秀を宥めるように声をかけた小高信頼は、腕組みをしながらこう言葉をかけた。
「ここで使者を討とうものなら、それこそ間違いなく清州との手切れを示すことになる。そうなれば、僕たちは織田と今川の二ヶ国を相手取らなきゃならないんだよ?」
「それがどうした!誰が相手だろうと、勝ちゃあいいんじゃねぇか!」
「義秀!血気に逸るでない!」
その義秀の言葉を聞いていた三浦継意が対面から、腕組みをしつつも義秀に向かって声をかけた。
「おっさん!おっさんは悔しくないのか!教継さまらを討った、憎き仇の連中が来るんだぜ!?」
「…手を下したのは、今から来る者どもではないわ。それに血気に逸るあまり、大局を見失うでないぞ。」
「…継意殿の申す通りだ。」
継意の言葉に続いて話し始めたのは、継意の隣で扇を膝に当てて座っていた佐治為景であった。
「外交に来た使者は、たとえ仇敵の家来であろうとも面会するのが筋だ。…それが分からぬそなたではあるまい。」
この継意と為景の言葉を受けた義秀は頭が冷えたのか、拳を強く握りしめながらも渋々その場に座り込んだ。すると、同じく一同に列していた滝川一益が義秀の肩を持つようにこう言った。
「しかし継意殿、義秀さまの申される通り、家中の中には織田の使者を斬れとの声は多くあります。それらを宥めるには時間がありませぬぞ。」
「それなら心配いらない。」
と、そう話しかけてきたのは、重臣の間の中に入ってきた秀高であった。秀高の姿を見た一同はそろって頭を下げたが、秀高はそれらに頭を上げさせると言葉を続けた。
「義秀、お前は今から城内に次の事を触れ回れ。「もし織田の使者に危害を加えようとするなら、この俺を斬ってからにしろ。」とな。」
「な、何をいきなり言いやがる!」
義秀が秀高にこう言うと、秀高はその場にいる一同にこう言った。
「…良いか?今、俺たちが相手にするべきは駿河の今川義元だ。ここで家臣が血気に逸り、大事を失うようなことがあってはならない。それにな…」
秀高はこう言うと、腕組みをして言葉を続けた。
「静がなにより、仇である織田の事を今は黙っておくと言ったんだ。」
「姫様が…」
継意は静姫の意向を秀高から聞くと、その意外な言葉に驚いていた。それは正に、親の仇でもある静姫が、織田の使者を守るような言葉を出したことに驚いていたのである。
「…その言葉を受けて、俺も踏ん切りがついた。確かに織田のやったことは許せない。だが、今は双方に敵を持つことは避けるべきだ。もしこれを聞いても不満を持つ家臣がいるなら、この俺を斬ってから使者に手を下せと伝えておけ。」
その秀高の熱意がこもった指示を聞いた一同は、頭を下げてその命令を承諾した。その後すぐさまこれが城中に伝わり、騒然としていた空気は収まったのであった。
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それから数刻後、いよいよ織田の使者が城内に入ってきた。その使者というのは他でもない、木下藤吉郎であった。藤吉郎は正装の直垂を身に着け、側には護衛に来ていた前田利家が、愛用の十文字槍を肩にかけて付いていた。
「秀高殿、桶狭間以来にございまするな。」
そして評定の間に通された藤吉郎と利家は、上座に座る秀高と面会し、言葉をかけていた。この時、継意ら重臣たちは下座で左右に分かれて座っていた。
「…あぁ、このような形で再会できるとは、思ってもいなかった。」
秀高の言葉を聞くと藤吉郎は頭を上げ、単刀直入に用件を述べた。
「秀高殿、この際単刀直入に用件を述べましょう。我が主・織田信長におかれましては、一時期の休戦を申し出ております。」
「…休戦だと?」
秀高の言葉を聞いた藤吉郎は、頭を下げて返事をした。
「はっ。今、清洲(織田信長)と鳴海(高秀高)の共通の敵は駿河(今川義元)。二ヵ月後に控えた尾張侵攻に際し、両者がいがみ合ったままでは敵に利するばかりでありましょう。」
こう言って藤吉郎が言葉を進める中で、左右に控えている秀高の重臣。特に義秀辺りは尚も藤吉郎ににらみを利かしていたが、それに対抗するように利家も、万が一の際に動けるように気を張っていた。
「…先般の教継父子の一件は、この藤吉郎も存じておりまする。しかしどうか、無理を承知で申したいのです。どうかこの場だけはその怒りを収め、共通の敵に向かってはいただけないでしょうか?」
この藤吉郎の言葉を聞いて、秀高はその場で腕組みをしながら考え込んだ。藤吉郎の申すこと。つまり織田と高で共通敵を作り、それに対抗しようとする申し出であった。信長が言った休戦が、それに付随することは秀高も知っており、この提案には双方、得はあっても損はどちらにもないのは確かである。
だがそれ以上に、秀高の家中には未だ織田への怨恨を抱える者がいるのも事実であった。秀高の家中全ての者が割り切って行動できるわけではない。秀高にはこの提案を受けた時の一抹のしこりが、未だ不安材料として残っていたのである。
「藤吉郎、その提案にはうなずける。だがもし、首尾よく今川が倒れた後、この双方はどうなると思いか?」
その言葉を受けた藤吉郎は一瞬言葉を詰まらせたが、この際思いのたけをぶつけようとばかりに発言した。
「…恐らくは、双方で戦となりましょうな。」
藤吉郎の言葉を背後で聞いていた利家は驚いた。藤吉郎の独断ともいうべき発言に、信長の怒りを恐れていたのだ。
「ですが、そうなっても仕方がありますまい。今双方に大事なのは、何よりも外敵がいるという事です。昔、唐土の袁紹亡き後、息子たちはその領内で相争い、結果的には外敵である曹操の攻撃を受けて悉く滅亡しました。この故事を倣うならば、相争わずに外敵に備えるべきでしょう。」
その藤吉郎の言葉を受けて、秀高は遂に決心がついた。そして次に出た言葉には、一抹の不安などすでに消えていたのを感じさせた。
「藤吉郎、お前の言う通りだ。両家は敵ではあるが、互いに外敵を抱える身。今は身内で争わず、外敵に備えるべきだろう。」
秀高はそう言うと立ち上がり、藤吉郎の目の前まで来て座り込むと、手を差し出してこう言った。
「藤吉郎、ここはお前の顔に免じ、一時的な休戦の申し出を受けよう。」
「…秀高殿、かたじけない!そのお言葉、ありがたく思いまする!」
藤吉郎は差し出された秀高の手を取ると、そう言って感謝の意を述べた。それを見ていた利家もひとまず安堵し、ため息をついて安心した。
「そうだ、秀高殿、ついては一つ差し出したい物がありまする。」
「?差し出したい物?」
秀高が藤吉郎の意外な提案に驚いていると、藤吉郎は懐から一つの小さな書物を取り出した。秀高がそれを受け取って見てみると、そこには尾張や三河などの東海道沿いの各国の産物や地形、季節ごとの天候の移り変わりなどが事細かに書かれていた。
「藤吉郎、これは…」
「はっ、それは某が浪人時代に商いをしながら、各国を渡り歩くうちにまとめた物にございます。今は信長様に仕える身ゆえ必要ありませぬが、これは秀高殿に差し出したく思います。」
それを受け取った秀高は、その情報を見るとつぶさに書かれている内容に何かを感じ取り、藤吉郎に向かってこう言った。
「…藤吉郎、分かった。これはありがたくもらっておこう。」
「…さすがは秀高殿、その情報の価値をよくわかっておられる。その様子ならばきっと、今川に勝つことが出来ましょう!」
その様子を見た藤吉郎は笑みを浮かべながら言葉をかけ、その様子を見ていた利家はどこか腑に落ちない顔をしていた。こうして謁見を終えた藤吉郎たちはそのまま鳴海城を去っていった。
「…なぁサル、あれは一体何なんだ?」
その帰路の途中。利家は歩きながら藤吉郎に話しかけた。
「あぁ、あれでござるか。いやまさか、あの価値を見出すとはさすがにござるな。」
「そんなに大事なものか?」
利家が怪訝な表情でこう言うと、藤吉郎は立ち止まって利家にこう言った。
「左様。あれは孫子や呉子に勝る。秘伝の書にござるよ。」
藤吉郎はそう言うと、高らかに笑いながら再び歩き始めた。その後を利家は十文字槍を担ぎながら、どこか疑問に思いつつもその後を付いて行った。
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「…やはりそうか。」
そして藤吉郎が去った後、秀高は居室で藤吉郎から貰った書物のすべてを読んでいた。
「何が分かったの?」
その様子を見ていた玲が尋ねると、秀高はその場にいた静姫にも見せるようにその内容を見せた。
「ほら見て見ろ。これは天候の項目なんだが、六月あたりに「熱き陽気が続いたのち、突如として大雨が降り注ぐ」と書いてある。」
「それって、ゲリラ豪雨のこと?」
その玲の言葉に秀高は頷いた。すると静姫もその内容を聞いて、どこか思いつくところがあったようにこう言った。
「そう言えば、その時期は確かに熱い陽気が続いた後、一瞬で曇ってその後に大雨が降るなんてことは結構あったわね。」
「…そうか。つまり、あの大雨は天が味方した物じゃなく、自然現象で起こったんだ。」
その玲の言葉を聞いて、秀高は頷いた。そして秀高はこの内容を見て、今まで抱いていた構想の内容が、より確信に変わったのである。
そしてそれから時が経った、永禄元年の六月。いよいよ、東海一の弓取りが動き始めようとしていた…