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1572年8月 東国戦役<東海道side> 血戦三方ヶ原・後編<三>



康徳六年(1572年)八月 遠江国(とおとうみのくに)三方ヶ原(みかたがはら)




 同じころ、方円(ほうえん)陣形を組む高輝高(こうのてるたか)勢の左翼部に布陣していた徳川家康(とくがわいえやす)が家臣・本多忠勝(ほんだただかつ)の部隊にも敵勢が攻め掛かっていた。攻め寄せるは上杉輝虎(うえすぎてるとら)配下の将にて、「車懸(くるまがかり)の陣」の先鋒を務める柿崎景家(かきざきかげいえ)斎藤朝信(さいとうとものぶ)の両隊であった。


「ええい、越後(えちご)武者共め、数に頼んで攻め掛かるとは卑怯なり!」


 既に柿崎・斎藤勢と乱戦状態に入っていた本多勢の中で、敵を槍で突きさしながら歯ぎしりをしていたのは、家康の旗本先手役(はたもとさきてやく)の一人である長坂信政(ながさかのぶまさ)である。別名「血槍九郎(ちやりくろう)」の渾名(あだな)で知られるこの武将は襲い掛かる上杉勢の足軽を一人、また一人と突き殺した後、目の前にて相対す上杉勢に向けて己の渾名を勇ましく名乗った。


「この血槍九郎の渾名、決して偽りがない事を思い知るが良い!」


 信政はそう言った後に襲い掛かってきた上杉勢の足軽を次々となぎ倒し、槍の切っ先にべっとりと付いていた血を(ぬぐ)うように一払いした。するとその信政の目の前に一人の武将が現れ、信政に向けて槍を構えて自らの名を名乗った。


「我こそは柿崎景家が一子、柿崎平三郎晴家かきざきへいざぶろうはるいえ!そこな敵将!勝負、勝負!」


「良き武者よ!この長坂信政が相手(つかまつ)ろう!」


 信政は晴家からの名乗りを受けて一騎打ちを受けると、晴家は即座に槍を携えて信政に襲い掛かった。信政はその渾名に負けぬ手腕と経験で晴家の突きを上手くかわし続け、それを肌で感じていた晴家は信政から一歩間合いを取ってから、再び槍を信政に向けて突き出した。


「せいっ!」


「甘い!」


 信政は一喝するようにそう叫ぶと、突き出された槍を即座に(はた)き落としてから素早い突きを晴家の胴体に浴びせた。その突きを受けた晴家は一瞬の出来事に何があったのか分からない表情を見せ、信政から槍を抜かれるとそこで痛みが襲って来たかのように、(うめ)き声を上げてその場に倒れ込んだ。


「ぐあっ…」


「そのような腕では、このわしは討てんぞ!」


「晴家ぇーっ!!」


 と、信政の前に倒れ込んだ晴家の姿を見て、その後方から父でもある景家が大太刀を携えて駆け込んできた。その場にやってきた景家は子の晴家が信政の前でうつぶせになっている姿を見て、それから目の前に立っている信政を目にして沸々と怒りが沸き上がってきた。


「よくも晴家を…許さんっ!!」


「くっ、これは…」


 景家の言葉の後に振り払って来た景家の大太刀を槍の柄で受け止めた信政は、晴家との力の違いに大きく驚いて声を上げた。すると次の瞬間、大太刀を一回引いた景家は馬上から渾身の力を込めて再び振り下ろし、今度は信政が手に持つ槍ごと頭上からまるで唐竹割りをするように真っ二つにした。これを受けた信政は呻き声を上げる間もなく後ろのめりに倒れ込み、それを見た景家は馬上から仇を討ったとばかりに信政に言葉を浴びせた。


「晴家の仇…思い知ったか!!」


 景家は信政に言葉を浴びせた後、その場でうつ伏せになっている晴家に目を送り、目をつぶって冥福を祈った後に、目を見開いて再び太刀を振るって戦いを始めた。この様に上杉家中における武勇の(ほま)れ高い両名の攻撃を受けて、本多勢の将兵は他の部隊より速い速度で兵を討ち減らしていった。


「押せ!押せーっ!!」


 一方の朝信もまた馬上で片手に槍を持ちながら、味方を督戦しつつ敵である本多勢の足軽たちをねじ伏せていった。その敵でもある本多隊の中では、忠勝の叔父である本多忠真(ほんだただざね)が向かってくる敵兵に槍を突き出しながら、上杉勢の数の多さから愚痴るような発言をした。


「ええい、まだ殿はやって来ぬのか!」


「叔父上、慌てめさるな!」


 忠勝らからすれば、この方向から来るであろう家康本人を迎え入れる事こそが目的の一つであった。その家康本人が現れない事に()れていた忠真は次第に突き出しがおざなりになり始め、この隙をまんまと敵の足軽に突かれてしまったのである。


「ぐうっ!」


「叔父上!」


 呻き声を上げた叔父の忠真の方を振り向いた忠勝は、忠真の胴体に一本の槍が突き刺さった姿が視界に飛び込んできた。すると忠真は声をかけてきた忠勝に向けて取り乱す事の無いように言葉をかけて諫めた。


「慌てるな!そなたは一軍の大将なるぞ!怯まず戦え!」


「叔父上…!」


 忠真から言葉をかけられた忠勝は、再び前を振り向いて蜻蛉切(とんぼきり)を振るって戦った。それを見届けた忠真は安堵の表情を浮かべた後、再び前を向いて戦い始めたがやがてその胴体に次々と刀や槍を受け、遂には力尽きてその場に声も無く倒れ込んだのだった。それを背後で感じ取っていた忠勝も悲しみを見せずに戦い、迫ってくる上杉勢の武者どもを蹴散らしていた。


「た、忠勝殿!!」


「む、そなたは!?」


 とその時、目の前からやってきた数騎の騎馬武者に忠勝が視線を向けると、その騎馬武者たちは何と顔見知りであった。誰やあらん戦場から敗走中の家康その人であり、|家康の周囲には鳥居忠広(とりいただひろ)夏目広次(なつめひろつぐ)、それに渡辺守綱(わたなべもりつな)らが家康を守るようにして周囲の上杉勢を蹴散らして近づいてきたのだ。


「おぉ、殿…」


 忠勝は広次らの中にいた家康に向けて手短に声をかけると、家康は黙しながら顔を上げて忠勝を顔を見合った。その顔を見た忠勝はこくりと首を縦に振った後、すぐさま言葉を家康にかけた。


「殿、ここは急ぎ早く輝高殿のおわす中央へ!」


「うむ…ぐうっ!」


「と、殿ぉっ!!」


 と、その時である。中央にいた家康に不運にも一本の槍が右の腰に突き出された、それを受けて家康は苦悶の声を上げると同時に、その場で不用心にも忠広が声を上げてしまった。更に不運にも、この声を遠方で聞いていたのが他ならぬ朝信であり、朝信は遥か先にいた方角にいた集団を見つけると、何かを感じ取って味方の将兵に下知を飛ばした。


「あれは、もしや…あの早馬を逃すな!!」


 朝信の命を受けた足軽たちは馬上から朝信が刀を差す方向にいた早馬…家康たちに向けて一斉に襲い掛かった。するとこの声を聞いた広次は馬首を返し、忠勝や守綱に向けて言葉をかけた。


平八郎(へいはちろう)半蔵(はんぞう)!ここは頼む!」


「広次殿!!」


 広次は忠勝や守綱に向けて家康の事を頼むと、自らは忠広を伴って襲い掛かってくる足軽たちの前に馬を駆けさせ、やがて襲い掛かる足軽たちを次々と切り伏せていった。しかし数の上で不利なのも相まって次第に押され始め、双方とも馬上から振り落とされると各々の得物を握り締めて、前方から襲い掛かってくる敵勢を睨みつけた。


「くっ…ここから先は通さん!」


「どうしても行きたくば、我が首を取ってからにせよ!!」


 広次と忠広がそう言った後、上杉勢の足軽たちは再び両名に対して襲い掛かった。それを広次と忠広は各々に得物を振るって奮戦。それによって戦傷を負った家康の側には近づけないでいた。するとこの間に、騎馬武者に扮した家康配下の忍び、服部半三保長はっとりはんぞうやすなががやって来て傷を負った家康を視界に収めた。


「殿!これは…」


「…半三、殿を頼むぞ。」


 忠勝はやってきた半三に向けて家康を託すと、それを受けた半三は守綱と共にその場から家康を連れて立ち去っていった。それを見届けた忠勝は天高く蜻蛉切を掲げると、浮足立ち始めていた味方に向けて鼓舞した。


「決してこれより先に敵を通すな!!戦え!!」


「おぉーっ!!」


 この鼓舞を受けた本多隊の足軽たちは気を取り直して戦いを行い、再び柿崎勢や斎藤勢に向けて奮戦を行い始めた。そして家康を逃すべく立ちはだかった広次と忠広もまた、負けじと奮戦を続けていたが、次第に疲弊の色は隠しきれずにやがて広次は一本の突き出された槍を胴体に受けた。


「…ぬうっ!!」


「広次殿!」


 その突きを受けた広次がよろめいてから地面に倒れ込み、それを見た忠広が声を上げて反応した直後、忠広にも周囲から無数の槍を一身に浴びせられ、忠広は一斉に槍を抜かれた後に地面に得物の刀を落とした後、周囲に立ち並ぶ上杉勢の足軽たちを睨みつけながら言葉を発した。


「おのれ…徳川は決して死なんぞ!ぐはぁっ!!」


 そう言った後に忠広は口から血を吐き、その場にうつ伏せに倒れ込んだ。やがて倒れ込んだ忠広や広次にも足軽たちがわらわらと群がり始め、これを視界に収めていた忠勝はなおも闘志を振り絞らんとばかりに声を上げて命令した。


「ええい、味方との間を密にせよ!敵を防ぐのだ!!」


 それを聞いた本多勢の将兵たちは両脇に位置する佐治(さじ)坂井(さかい)の隊と感覚を狭め、中央への突破を阻むべく奮戦した。その奮戦はすさまじいものがあり、後世の史家はこの際の忠勝の奮戦を受けて、敵の輝虎が「家康に過ぎたる物あり。浜松(はままつ)の城と本多平八」という言葉を残したともいうが、その真偽は定かではない。だが一つだけ確かなのは、この地獄の戦いを忠勝は生き延びたという事のみである…。




「若殿!真田信綱(さなだのぶつな)殿の一門、常田隆永(ときだたかなが)殿と鎌原幸定(かんばらゆきさだ)殿が討死!真田勢が押されつつあります!」


「…家康殿はまだか。」


 その頃、方円陣の中央部に数百の兵で陣取っていた輝高の元に、前方に陣取る佐治隊、そして右翼に陣取る真田隊からの訃報が届けられた。その訃報を土方高久(ひじかたたかひさ)森可隆(もりよしたか)ら側近たちを従えながら輝高は耳に入れ、いずれ来る家康の到着を今か今かと待っていると、輝高の左方向より数騎の騎馬武者たちが輝高の方に向かって来ながら声をかけてきた。


「輝高殿ぉーっ!!」


 輝高が声をかけられた方を振り向くと、その方角から三騎の騎馬武者たちが駆け込んできた。それこそ誰やあらん家康本人ではあったが、この時家康は馬の首にもたれかかるように倒れており、それを守綱や半三が介抱するように付き従っていた。


「家康殿…!?」


「その刀傷は如何なされた!?」


 この異様な光景を目の当たりにした秀高や側近の高久が家康を気遣うように声をかけると、馬上にて苦痛の余り言葉を返せない家康の代わりに守綱が輝高らに向けて返答を返した。


「我らは急ぎ浜松に戻りまする!輝高殿も早く!」


「うむ…承知しました。」


 まるで一刻を争うばかりに血相を変えた守綱の表情を見た輝高は、家康や守綱らを先に浜松城へと向かわせると、当初の目的であった家康の保護を達成したとみて輝高は側にいた高久に向けて下知を飛ばした。


「法螺貝を鳴らせ!家康殿を迎えた今、ここに留まるのは無意味!早急に撤退せよ!」


「ははっ!!」


 この命を高久が受けるとすぐさま側にいた足軽に向けて視線を送った。すると足軽は首を縦に振った後にその場で法螺貝を鳴らした。これこそ、輝高勢総撤退の証であり、真田・佐治、そして本多の隊は戦いながら浜松城への撤退を開始した。しかしこれを、敵が黙って見過ごすはずがなかったのである…。





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