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1572年8月 東国戦役<東海道side> 血戦三方ヶ原・後編<二>



康徳六年(1572年)八月 遠江国(とおとうみのくに)三方ヶ原(みかたがはら)




「父上、ここが正念場にございまするな。」


「うむ…。」


 方円(ほうえん)の陣形を敷いた高輝高(こうのてるたか)本隊の前方に陣を敷く佐治為景(さじためかげ)の部隊。ここでは為景が攻め掛かってくるであろう上杉輝虎(うえすぎてるとら)配下の軍勢を迎撃するように三段構えの陣を敷いた。即ち一段目には鉄砲・弓などを射掛ける足軽隊が布陣し、その後方の二段目・三段目にそれぞれ槍隊・騎馬隊を布陣させ、鉄砲・弓隊の射撃が終わったとに前方に出て戦うという策を取ったのである。その佐治隊にて父・為景にたいして子の佐治八郎為興(さじはちろうためおき)が声をかけると、為景は相槌を打った後に声をかけてきた為興の方を振り向き、まるで悲壮な覚悟を固めたかのような言葉を為興に送った。


「為興、あまりこのような言葉は言いたくないが、万が一のことあらば、その時は殿をよろしく頼む。」


「父上…。」


 父・為景のこの言葉は、為興の心の中に不穏な予感を芽生えさせるに十分な言葉であった。しかし目下戦は始まろうとしており、それに思考を向けていては自身の命も無くしかねないと、為興は頭を切り替えて目の前からやってくる上杉軍に視線を注いだ。この佐治勢には久松高俊(ひさまつたかとし)も加わっており、為興の脇で高俊は家臣の川口宗勝(かわぐちむねかつ)と共に迫り来る上杉軍を待ち受けていた。


「行けぇーっ!!高輝高が首を上げよ!」


 その佐治勢の前方より、勇ましい若武者の声と共に総勢一万ほどの上杉勢が迫ってきた。この若武者こそ誰であろう、輝虎が養子である上杉喜平次景勝うえすぎきへいじかげかつその者の軍勢であり、これに北条高広(きたじょうたかひろ)安田顕元(やすだあきもと)の軍勢も加わって四千余りの佐治勢に馬を走らせて斬り込んできたのである。


「敵勢がやって参りました!旗印を見るに、あれは輝虎が養子の上杉景勝が軍勢かと!」


「はっはっはっ!!死出の旅路には持って来いの相手よ!鉄砲隊、三列に並んで構えよ!」


 前方より景勝らの軍勢が攻め掛かってくることを聞いた為景は、その場で武者震いするかのように喜び、すぐさま鉄砲隊に命令を発した。すると鉄砲隊は前後三列に並んで隊形を組み、一列目の隊に並ぶ足軽がその場に膝をつき火縄銃を構え、その後背で二列目の足軽が立ちながら火縄銃を前面から来る上杉勢に向けて構えた。


「放てぇ!!」


 それを見た為景の号令によって一列目、その後に二列目の順で足軽たちは火縄銃の引き金を引いた。放たれた弾は目の前から来る騎馬武者に吸い込まれるように命中し、ある者は馬に当たって馬上から振り落とされた。その後に二列目の足軽がしゃがんで背後の三列目の足軽たちが即座に火縄銃を構え、引き金を放つとそれによって対面から来る上杉勢の騎馬武者たちは放たれた弾の餌食となった。


「ぐわっ!!」


「ええい、怯むな!!掛かれ掛かれ!!」


 自身の脇で一騎の騎馬武者が弾を食らって落馬したのを見た景勝は、味方を督戦して前方の佐治勢に攻め掛からせた。それを見た為景は即座に鉄砲隊を下がらせると、今度はその次に控えていた弓隊に向けてすぐさま下知を発した。


「弓隊、矢を(つが)えよ!放てぇ!!」


 この命を受けた弓隊は即座に弓の弦に矢をかけ、即座に引き絞って放った。この矢もまた前から来る騎馬武者に向けて続々と命中し、この鉄砲・弓による連続射撃を見た高広は馬上から小ずるい手で攻めてくる為景に向けて苛立(いらだ)ちを露わにした。


「くぬっ、小癪な!!」


 高広は馬を駆けさせながらそう言うと、やがて弓隊の後ろから出て来た佐治勢の槍隊・騎馬隊と乱戦状態に入り、自ら打刀を振るって敵を倒していった。その後に安田・そして景勝の部隊も加わって乱戦状態に入り、その中で大将の為景は馬上から槍を突いて騎馬武者や馬下の足軽を倒し、その場で声を上げて名乗りを上げた。


「よく聞け越後(えちご)の山猿ども!我こそは高秀高が家臣、佐治玄蕃頭為景さじげんばのかみためかげじゃ!」


「佐治…?おぉ、秀高が重臣の一人ではないか!者ども、わしに続け!」


 この為景の名乗りを聞いて反応したのは、景勝の叔父としてこの戦に参戦していた大井田景国(おおいだかげくに)である。景国は為景の名乗りを聞くやその意気や良しとばかりに配下を連れて馬を走らせ、為景に襲い掛かった。すると為景は槍を存分に振るって景国配下の足軽を薙ぎ倒し、その後から襲い掛かってきた景国の一振りを槍の柄で受け止めると、その力量を感じ取って未熟さを(あざけ)笑うような言葉を景国に返した。


「甘い甘い!この首、決して安くはないぞ!」


「ぐわっ!!」


 為景は言葉を発した後に景国の太刀を振り払うように槍で一払いすると、次の瞬間には素早い一突きで馬上の景国を突き殺した。これを受けて景国が声にもならない(うめき)き声を上げてゆっくりと落馬していくと、それを見ていた為興が自らも奮い立つように声を上げて味方を鼓舞した。


「父上に遅れるな!!我らも武勇を示せ!!」


「おぉーっ!!」


 この為興の鼓舞を受けた佐治隊の将兵は喊声を上げ、また一段と敵の攻勢を跳ね返す様に一人、また一人と敵兵を打ち倒していった。しかしやがて数の差で押され始め、佐治隊の将兵にも犠牲者が出始めたのである。


「くっ!数が多い!」


「殿!決して無理は為さるな!!」


 それをいの一番に感じていたのは、この時為景らよりも前の方で戦っていた高俊であった。高俊は馬上から刀を振るって一人ずつ倒していたが、側にいた家臣の宗勝に弱音を吐いた。これを受けて宗勝が高俊に発破をかけると、高俊は馬首を引いて宗勝の言葉に反応した。


「分かっておる!ここで死ぬわけには…!?」


「!と、殿ぉっ!!」


 その瞬間、宗勝の視線に飛び込んできたのは馬上の高俊に向けて下から数本の槍が胴体に突き出され、それを身体に受けた高俊が右手から刀を落とした後、雑兵らによって馬上から引きずり降ろされた姿であった。やがて落とされた高俊に上杉の足軽共が群がって首を取ると、無残な末路を遂げた高俊の姿に宗勝は逆上した。


「おのれ…殿の首を返せぇっ!!」


 そう言うと宗勝は太刀を握り締めて群がっていた足軽共に襲い掛かり、数人ほど切り伏せていた後に高俊の首を持っていた足軽を刺し殺して主君の首を奪還した。宗勝は腕に高俊の首を抱えると目に一粒の涙をためながら、鬼気迫る表情を浮かべて獅子奮迅の働きを見せたのである。そしてその高俊の死は為景の元にも届けられたのである。


「父上!久松高俊が!」


「何、高俊がどうかしたか!」


 為興より高俊の事を聞いた為景が馬首を返したその時、ある一本の槍が為景の乗っていた馬の胴体を突き、それを受けた馬が苦しむように立ち上がって馬上から為景を振り落とした。為景は片手から槍を放してしまったものの、上手く着地をとって転がり込み、片手に再び槍を構えなおすとそれをみていた為興から声をかけられた。


「ち、父上っ!」


「…だ、大事ない!落馬した程度で死ぬものか!」


 為興の言葉を受けた後に為景は気丈な言葉を返し、再び襲い掛かってくる上杉方の武者や足軽を槍で突いていった。するとその義秀の目の前に一人の若き武者が現れ、為景の目の前で槍を構えなおして自らの名を為景に向けて名乗った。


「我こそは上杉景勝が家来、登坂藤右衛門清長のぼりさかとうえもんきよなが!佐治玄蕃頭殿、お命頂戴!」


「…ふっ、良き若武者じゃ!さぁ参れ!」


 景勝の側近と名乗る清長の挑戦を受けた為景は、望むところとばかりに受け取ってその場で一騎打ちを始めた。清長は為景に向けて槍を素早く突き出すとそれに老境に差し掛かっていた為景も負けじと防ぎ、その後に清長に向けて突きを繰り出す。やがてそれを数十合に渡って打ち合ったがやはり体力の差は如実に出始めていた。


「せいっ!」


「くっ!」


 若き武者でもある清長の突きは正確無比であり、数十合打ち合った後でも大きく乱れることなく安定した素早い突きを見せていた。一方で老いた為景は数十合打ち合うと良きも徐々に乱れ始め、やがて突きを出すどころか防戦一方に追い込まれていった。それからまた両者は十数合ほど打ち合ったが、一合打ち終わった後に為景は髪を乱しながら目の前の清長を睨みつけつつ、荒くなっていた呼吸を落ち着かせていた。


「はぁ…はぁ…はぁ…」


「…くっ!そりゃあっ!!」


 とその時、力を振り絞った清長の突きを為景は反応できず、繰り出された槍を胴体に受けてしまった。為景は呻き声を上げ、自身の腹部に深く突き刺さった槍をゆっくりと視線を下げて見つめた。


「ぐ、ぐおっ…」


「父上!?」


 為景の様子を見ていた為興が遠くの方から声をかけると、為景は地面に落としてしまった槍の代わりに腰から刀を抜き、突き刺さった槍の柄を刀で切った。その後再び清長を睨みつけながら一歩前に足を踏み出したが、その後に清長の背後にいた足軽たちが為景に何本もの槍を突き刺すと、為景は苦悶の表情を浮かべた後に空を見上げて遠い彼方にいた高秀高(こうのひでたか)に向けて声を振り絞って発した。



「殿…天下を、見とうございましたぞ…。」



 為景はそう言った後に足軽たちから槍を抜かれ、その場に後ろのめりで倒れ込んでいった。この為景の最期を見届けた為興は馬上で鞍を拳で叩き、肉親である父・為景の最期を己の網膜に焼き付けた。


「…くそっ!父上の死を無駄にするな!取り乱すことなく敵を防ぐのだ!!」


 そして為興は父の死を無駄にはさせないと更に奮起し、ここに宗勝も加わって此処から更に獅子奮迅の働きを見せた。その結果、数の優位で佐治勢を圧倒していた景勝らの軍勢の損害を大きくさせ、これを受けた景勝が一旦陣を下げたのである。佐治勢は何とか敵の攻勢を撥ね付けることには成功したが、その代償は高家にとって、そして秀高にとっては大きなものだった。秀高はこの戦いで、尾張(おわり)以来の重臣を一人失ってしまったのである。





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