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1572年8月 東国戦役<東海道side> 血戦三方ヶ原・後編<一>



康徳六年(1572年)八月 遠江国(とおとうみのくに)三方ヶ原(みかたがはら)




 康徳(こうとく)六年八月二十三日…浜松城(はままつじょう)よりほくせいにある洪積台地、三方ヶ原台地の上にて上杉輝虎(うえすぎてるとら)勢と徳川家康(とくがわいえやす)高輝高(こうてるたか)の連合軍が相対してから二刻余り…既に戦の大勢は上杉方勝利に傾いていた。上杉勢の各隊は敗走する徳川・高の軍勢を各々追い打ちをかけていたが、この頃には前線より各々の追い打ちの戦果が報告されてきたのである。


「そうか、徳川本隊への追い打ちはならなかったか。」


「はっ、あろうことか刑部(おさかべ)方向より軍勢が乱入し、中条(なかじょう)色部(いろべ)隊は著しい損害を負ったとの事にございます。」


 輝虎に対して甘粕景持(あまかすかげもち)が徳川本隊への追撃に向かった中条景資(なかじょうかげすけ)色部顕長(いろべあきなが)両隊の損害を報告すると、輝虎は愛馬・放生月毛(ほうしょうつきげ)の馬上から視線の先に上がる土煙をじっと見つめて景持に淡々とした口調で言葉を返した。


「まぁ、家康をここで討てなくても構わぬ。我らが主眼はあくまで秀高(ひでたか)である。ここで徳川勢を大破出来ればそれだけで味方の指揮は高まるというものよ。」


「はっ、如何にも…。」


「申し上げます!」


 と、そこに一騎の早馬が輝虎の側近くに馬を付けると、前線からの報告をすぐさま輝虎に伝えた。


「高輝高が軍勢、段子川(だんずがわ)上流部の街道沿いに布陣し、三方ヶ原から敗走する徳川勢の撤退を援護する模様!」


「高輝高とな…あの秀高の息子か。」


「如何にも。」


 輝虎は早馬からの報告を聞いた後にしっかりと聞き返した。輝虎からすれば先の言葉にもあったとおり、目下の敵はあくまでも高秀高(こうのひでたか)その人であり、家康の首はそこまで重要視していなかった。しかし目下、秀高の嫡子でもある輝高その人が戦場に留まっているという報告を受けた輝虎は、輝高の首に価値を見出してすぐさま采配で馬の(くら)を叩いた後に言葉を発した。


「よし、ここはならば輝高を討つこととしよう。秀高からすれば、家康より息子の死の方が(こた)えるに違いあるまい!伝令!」


「はっ!」


 輝虎は側近くにいた伝令を呼んだ。これを受けて伝令が輝虎の側近くまで馬を進めて命を受けると、輝虎は伝令に各隊への命令を伝えた。


「命を下す!これより全軍段子川上流部の集落へ向けて進軍し、高輝高が軍勢を完膚なきまでに叩きのめせ!」


「ははっ!!」


 その命を受けた早馬は相槌を打った後に馬を走らせ、即座に各隊へ伝令を届けに向かった。そして輝虎はと言うと伝令への命令を伝えた後に再び視線を土煙が上がる前方へと視線を向け、まるで狙いを定める鷹の眼のような鋭い視線を発していたのだった。




「何っ!?輝高が!?」


 一方その頃、討死した大久保忠員(おおくぼただかず)勢の敗残兵を吸収して徳川本隊の後を進む榊原康政(さかきばらやすまさ)の隊と和地(わち)の付近で合流した大高義秀(だいこうよしひで)(はな)夫妻の元に、家臣の桑山重晴(くわやましげはる)が輝高勢の動向など諸々を義秀に向けて報告した。


「ははっ!若君は徳川勢の本多(ほんだ)隊、並びに内藤(ないとう)酒井(さかい)両隊の敗残兵らの撤退を援護すべく、段子川上流部にある集落付近に陣取ったとの事にございます!」


「あの馬鹿野郎が!これ以上無駄な血を流す必要はねぇだろうが!」


「父上!このまま輝高を見殺しには出来ませぬ!」


 輝高の一見無謀とも取れる行動を聞いた義秀が怒りを見せている中、義秀の嫡子でありながら幼少期から輝高と遊んでいた大高義広(だいこうよしひろ)は輝高の事を気がかりに思い言葉を父・義秀にかけた。それを聞いた義秀は握りこぶしを作っていた右手を上げ、その場にいた康政へ即座に指示を伝えた。


「康政!大久保勢の敗残兵は任せた!あと影武者(世良田二郎三郎元信せらだじろうさぶろうもとのぶ)に上手く撤退しろよと伝えておけよ!」


「義秀殿は如何なさる!?」


 康政に指示と影武者…即ち元信への伝言を伝えた後に義秀は馬に跨り、それを見ていた康政が義秀に今後の行動を尋ねると、義秀は側にいた家臣の逸見昌経(へんみまさつね)から槍を受け取った後に自身の下に待機していた康政に向けて言葉を返した。


「俺は軍勢と共に段子川上流部に向かい、輝高や逃げてる家康と合流する!華、義広!行くぞ!」


「えぇ。」


「いざ、輝高の元へ!」


 義秀の言葉を受けて、同じくそれぞれの馬に跨った華や義広が言葉を返すと、それを聞いた義秀はこくりと頷いた後に馬を走らせて再び前線へと戻るように駆けていった。これに華や義広、そして配下の軍勢が続いていくとその進軍を見送る康政はその場で戦場に向かって行った義秀の健勝を祈る言葉をつぶやいた。


「義秀殿…ご武運をお祈りしておりまするぞ…。」


 康政はこう呟いて義秀の軍勢を見送った後、自身に託してくれた大久保勢の敗残兵を傘下に加えて撤退する家康本隊の後を追うようにその場を去って行った。その後、結果的にこの康政隊もまた、同じ方向に逃げる織田信澄(おだのぶずみ)の隊と共に浜松への生還を果たしたのである…。




「…さぁ殿、一刻も早く具足を脱ぎなされ!」


「ええい、何を言うか!」


 そして、徳川本隊とは別に撤退していた家康本人は、寸田ヶ谷(すんだがや)付近にある一軒の農家にて具足の交換を行っていた。伝令の具足一式を用意してそれを家康に纏わせていた夏目広次(なつめひろつぐ)は、家康に早馬や伝令が身に着ける胴丸(どうまる)を着させながら言葉を発した。


「そのような具足を纏えば、家康ここにありと申すような物!本隊の撤退は影武者殿が上手くやる故、殿はここからの撤退のみをお考えなされ!」


「広次…わしはまだ!」


 家康が身に纏っていた金陀美具足(きんだびぐそく)を農家の土間に無造作に捨てた広次に対して家康が言葉を発すると、広次は家康の前に出てなおも血気に(はや)る家康を(なだ)める言葉をかけた。


「最早大勢は決し申した!このまま本多隊と合流することが出来れば、それだけで勝ったも同然!さぁ早く!」


「ええい…分かった!」


 さしもの家康も観念したのかそう相槌を発すると、その場に金色の兜を無造作に投げ捨て、鎧を着させてもらった鳥居忠広(とりいただひろ)から鉢巻を受け取ってそれを頭に巻き、農家の戸を開けて外に出ると、中にいた広次や忠広に向けて自身の悔恨の念を込めて声を発した。


「…広次、忠広。わしはこの負けを忘れはせんぞ。」


「…ははっ。」


 家康はそう言うと外で待機していた渡辺守綱(わたなべもりつな)や広次らと共に馬に跨り、寸田ヶ谷の集落から段子川方向へと馬を走らせていった。この時、家康の胸中には(まず)い戦をしたことの反省が芽生え始めており、それを次に活かそうとも考えていた。しかし、その想いとは別に戦の状況は時が経つにつれて次第に悪化の一途をたどり、それが自身に振りかかろうともしていたのである…。




 三方ヶ原台地の南方、浜松城(はままつじょう)へと通じる方向に一つの集落がある。この集落は段子川と呼ぶ小さな川の上流部に位置していたため、土地の人々はこの集落を川の名前を取って「段子川」と呼んでいた。今、ここには上杉配下の軍勢の追い打ちを阻むために、輝高を筆頭とする高家の軍勢(およ)そ一万三千余りが防戦の態勢を取っていた。


「輝高殿、どうかここはお引き下され!既に大勢は決し申した!」


 と、そんな輝高の元にやってきて撤退を進言したのは、先の浜松城での軍議において野戦を主張した本多平八郎忠勝ほんだへいはちろうただかつである。忠勝は自身の軍勢三千ほどと共に輝高勢に合流した後、先の勇ましい口調とは変わって速やかな撤退を進言して来ていたのだ。しかしそんな忠勝に輝高は務めて冷静な口調で忠勝に言葉を返した。


「忠勝殿…あなたこそ浜松城にお引きください。いずれ家康殿の身柄をこちらで回収すればその時点で撤退します。」


「左様!ここは何卒高家の軍勢にお任せあれ!」


 輝高の後に軍監として従軍していた坂井政尚(さかいまさひさ)が忠勝に撤退を進めると、忠勝は若き輝高の覚悟を受け取るや自然と闘志が沸き立つように愛槍・蜻蛉切(とんぼきり)を構えなおし、馬首を上杉勢が攻め掛かってくるであろう前方の方に向けて輝高や政尚に向けて言葉を返した。


「…ならば、このわしもここに残る。」


「何と仰せられまする!?」


 忠勝の言葉を聞いた政尚がその場の反応を代表するように言葉を発し、それを聞いた忠勝は馬首を返して輝高の方を向くと、自身が連れてきた軍勢の事に触れて己の覚悟を語った。


「ここにいる者達の中にも、殿の旗本衆はおる。それに味方の敗残兵を完全に収容するまでは、そして…殿をお迎えいたすまではここで踏み止まる必要がある!」


「…わかりました。そこまで言うのならば、本多殿の隊は左翼を任せます。」


「左翼?」


 輝高の下知を聞いた忠勝がオウム返しするように聞き返すと、輝高はこくりと頷いた後に上杉勢を迎え撃つ算段を忠勝に向けて語った。


「我らはこの集落付近で方円(ほうえん)陣形を敷き、敵の攻撃を阻みます。本多殿の隊を左翼に配したは、家康殿の収容を容易にするため…。」


「なるほど…承知致した!」


 輝高が取った方円の陣とはすなわち、真ん中に大将である輝高を配置しその周囲を囲うように部隊を配置。敵の攻勢が強まった時には円を縮めて防備を厚くし、敵が退いた時には円を広げて攻撃をかけるという防御に特化した陣形であった。その方円の陣の左翼に忠勝の隊を配置した意図は先にも輝高が発したとおり、左方向からやってくるであろう家康本人を迎え入れやすくするための物であったのだ。この指示を受けて忠勝が快諾したのを見た輝高は、側にいた軍監の政尚に向けて指示を飛ばした。


「政尚、前方の佐治(さじ)隊、右翼の真田(さなだ)隊にくれぐれも乱戦には気を付けよと。」


「はっ、承知いたしました。」


 この命を受けた政尚は伝令を通じて各隊に指示を飛ばした。即ち右翼には真田信綱(さなだのぶつな)の隊が布陣しその方向から攻め掛かってくる上杉軍を迎え撃ち、そして後方には軍監の政尚が輝高本隊から兵を割いて三千ほどで布陣し、同じように防備を固めたのであった。





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