1558年4月 秀高への接近
永禄元年(1558年)四月 尾張国清洲城
話は、高秀高が大高城代の鵜殿長照を討ち取った後、首を駿府へと贈った二日後の四月上旬に遡る。
ここは織田信長の居城・清洲城である。山口教継父子の死去から始まる一連の尾張南部の動きは、逐一この清洲城にも知らされていた。
「…そうか、秀高が今川の大高城代を討ち取ったか。」
ここ清洲城・本丸にそびえる三層の天守閣。その最上階の欄干から、城下を見下ろしながら信長はこう言った。すると、このことを報告していた丹羽長秀が、その報告の続きを述べた。
「秀高は大高城代を討ち取った後、その御首を駿府に贈り、これを受けた義元は烈火のごとく怒り、これによって再来月の尾張侵攻は、時間の問題かと思われまする。」
「そうか…」
長秀の報告のすべてを聞き終えた信長は、欄干の上で腕組みをして考え込んだ。
信長には、この秀高が取った策が、義元を挑発し、尾張の奥深くへと誘き寄せることは見抜いていた。同時に信長は、秀高が狙うものと、自身が狙うものが同じであるという事も、薄々感じ始めていた。
(もし、秀高も同じものを狙うとすれば、獲物を取り合って猟師が相争う事態になりかねん。だとすれば…)
「殿、織田信隆様がお越しにございます。」
その報告をしたのは、信長家臣の河尻秀隆であった。信長はその報告を聞くと、直ちに天守閣の最上階に招くよう指示した。
「…信長、思いがけない事態になりましたね。」
秀隆の案内で最上階にやって来た信隆は、信長の前で腰を下ろすと開口一番にこう発言した。
「姉上、秀高は予想を斜め上行く事をしてくれました。恐らく、狙う物は同じでありましょうな。」
「…しかし秀高は、教継親子に手を下したのが、今川ではなく我らであることなど、重々承知の事であるはず。その我らと手を結ぶはずが…」
信隆は信長にこう言うと、信長はただ黙って目をそらした。その場にいる長秀も、教継親子暗殺の経緯を耳にしていたために黙り込んでしまった。
「殿!木下藤吉郎にございまする!」
と、その天守の下の階から声が聞こえてきた。長秀がそれに気づいて階段から下の階を見るとそこには、木下藤吉郎が座っていた。
「貴様、何の用だ!ここは貴様のような小者が来ていい場所ではないぞ!」
「…よい、長秀。それはわしが呼んだのだ。」
信長の言葉を聞いた長秀は驚き、信長に向かって一礼すると下の階に入る藤吉郎に、上へあがってくるように手で促した。それを見た藤吉郎は一礼し、天守閣の最上階へと上がってきた。
「よく来たな、サル。今日はお前に尋ねたいことがあって呼んだ。」
「ははっ!」
信長の言葉を受けると、藤吉郎は威勢良く返事をして頭を床に付けるほど下げた。
「時にサル。お前、高秀高が領主の時に会ったであろう。その時の秀高の印象はどうであった?」
「ははっ!誠に信隆様をはじめ、お歴々がいる中で恐縮ではございますが…」
藤吉郎は信隆らに断りを入れるように言った後、頭を上げて信長に秀高の印象を語った。
「秀高殿は桶狭間の領主時代から、領民には大変慕われ、その才能も本物。また内に秘めたる大志も大きなものと思われまする。」
「…天下を統一する、とでも?」
藤吉郎の言葉を聞いた信長が、眉をピクリと動かしてこう尋ねると、藤吉郎は平伏しながらも言葉を続けた。
「はっ。それに秀高殿やその配下…並びに奥方一同に至るまで、凄まじいほどの団結心を感じました。もしその一同が秀高殿の大志…日ノ本の統一に向かっているのだとしたら、まず狙うは御大将と同じものかと思われます。」
「…では聞こう。」
信長はそう言うと、藤吉郎の前に来てしゃがむと、藤吉郎の事をじっと見つめながら切り出した。
「この信長との一時的な同盟。秀高は承諾するか?」
その言葉を聞いた藤吉郎は、信長のこの提案に最初は驚きを示したものの、その内容をかみ砕くように考えた藤吉郎は、信長にこう言った。
「…畏れながら、秀高殿の御大将への不信はすさまじく、更にもし、幻道の一件が秀高殿に露呈していれば、並大抵の事ではまず不可能かと。」
「藤吉郎、それは詮無い事です。…彼らの事情を考えれば、無理もないでしょう。」
と、脇に控えていた信隆が信長に代わり、藤吉郎に話しかけた。
「しかし、ここで我らと秀高が争えば、一番得をするのは義元です。その事を持ち出して念を押せば、説得の方はどうなります?」
その信隆の言葉を聞いた藤吉郎は、暫くその場で考え込むとこう言い返した。
「…秀高殿の事です。その状況になってまで私怨を持ち込むお方ではないでしょう。」
「決まりだな。」
信隆と藤吉郎の会話をすべて聞いた上で、信長は立ち上がって藤吉郎を見下ろすと、そのまま藤吉郎にある事を命令した。
「サル!お前は直ちに鳴海へと向かい、秀高と一時的な休戦を申し込んでまいれ。」
「一時的な…休戦?」
藤吉郎が信長の子の命令を聞き返すと、信長は頷いてこう言った。
「そうだ。秀高は織田と今川。両方を相手することを覚悟しておろう。それをこちらから話しかけて休戦という形で提携すれば、あの男の事だ。両面に敵は抱えたくはあるまい。」
信長の考えを聞いた藤吉郎は納得し、その考えに頷くように賛同すると信長にこう言った。
「…なるほど。承知しました。ならばこのサル、喜んで鳴海へと向かいましょう!」
藤吉郎が再び信長に対して頭を下げて命令を受諾すると、頭を上げて信長にある事を頼み込んだ。
「…そこで御大将、一つ頼みたき事がございます。」
「ほう?申してみよ。」
信長からそう言われた藤吉郎は、ある事を頼み込んだ。
「…もし拙者が単身で向かえば、秀高殿はいざ知らず、その家臣たちが拙者に危害を加えるのは明々白々のこと。そこで、どうか利家殿を護衛に付けてくださらぬか?」
「ほう…又左をか。」
その藤吉郎の懇願を聞いた信長は、暫く考えた後にすぐに返事を下した。
「良かろう。お前の身に何かあってはいかん。又左を付けるゆえ、仔細はお前に任せるぞ。」
「ははっ!このサルめにお任せくだされ!ではこれにて…」
そう言うと藤吉郎は、信長や信隆らに頭を下げて一礼すると、立ち上がってその場からすぐに去っていった。それを見ていた信隆は、信長にこう言った。
「…信長、大丈夫なのですか?ここで藤吉郎を失っては、後々に響きましょう。」
「心配はありますまい。」
信長は手短に信隆にこう言うと、振り返って城外を見つめるとこう言った。
「あのすばしっこいサルなら、うまく説得できるでしょう。」
「おいサル!」
藤吉郎が天守を去ってから数刻後、城内で藤吉郎は前田利家に話しかけられていた。この藤吉郎と利家は予てから付き合いがあり、いわば親友のようなものであった。
「おお、利家殿。どうなされた?」
「どうなされたではあるまい。お前、鳴海に向かうらしいじゃないか。」
すでに利家の耳には、藤吉郎が鳴海に向かうことが入っていた。それを聞いた藤吉郎は話が早いとばかりに利家にこう頼み込んだ。
「そうなのじゃ。利家殿、頼む!どうかこの拙者と一緒に鳴海まで来てはくれぬか?」
「…その話、聞いてるぜ。確かにお前を単身で向かわせるには危ない。それに、他ならぬ殿の頼みとあっては、行かない訳にもいかないだろう。」
利家のこの言葉を聞いた藤吉郎は喜び、利家の手を取るとこう言った。
「おお、では来てくださるか。利家殿!」
「あったりまえだ。この又左衛門が、一緒に行ってやるさ。」
「おお!それはかたじけない!感謝しますぞ利家殿!」
その利家の言葉を聞いた藤吉郎は再び喜び、手を握手しながら振って喜びを表した。すると、利家はある事を尋ねた。
「で、出立はいつだ?今から向かうのか?」
「…いや、出立するのは、しばらく経ってからで宜しいかと。」
利家はこの藤吉郎の言葉を聞くと、頭に疑問が浮かんでそれを藤吉郎に尋ねた。
「なぜだ、今から向かわないのか?」
すると藤吉郎は腕を組んで、利家に対して今から向かわない理由を話し始めた。
「利家殿、聞けば秀高は今月下旬、亡き教継殿の葬儀を領内で行うとの事。その前に我らが向かっては、棒にもかからず徒労に終わりましょう。そこで、葬儀が終わった後に鳴海に向かい、此度の事を頼み込むのでござる。」
その話を聞いた利家は納得し、腑に落ちたように藤吉郎に言った。
「なるほどな。時期を見計らって向かうという訳か。」
「左様!さらにそれだけではなく、拙者はある物を秀高に渡すつもりでござる。」
「…ある物とは?」
利家がその言葉に引っ掛かり、藤吉郎に尋ねると、藤吉郎はニカッと笑ってこう言った。
「それは、当日のお楽しみでござるよ!」
「あ、おいまてサル!」
そう言って城外へと走り出した藤吉郎を、利家は呼び止めながら追いかけていった。こうして藤吉郎は信長よりの主命を受け、秀高への接近を図った。そして教継の葬儀が行われたことを知った藤吉郎は、利家を連れてその足で鳴海へと向かって行った。