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1572年8月 東国戦役<秀高side> 襲来に備えて



康徳六年(1572年)八月 遠江国(とおとうみのくに)宝渚寺平(ほうほうじだいら)陣城




 康徳(こうとく)六年八月十二日。高秀高(こうのひでたか)上杉輝虎(うえすぎてるとら)迎撃のために密かに構築させていた宝渚寺平の陣城は、この頃になると概ねの完成を見ていた。この陣城の特徴は、山の中を通す様に何本も敷かれた坑道であり、二層構えの陣城の中で一際異彩を放っていた。


「一応落成まであと少しという所まで来たね。弾薬を保管する弾薬庫や簡易的な兵舎も備えさせたから、上杉軍を迎え撃つには申し分ないよ。」


「あぁ。それにこの漆喰(しっくい)塀なら火矢でも防げるだろうな。」


 山肌に何本かの杉の木を残し、その中で人夫たちが作事を進める中で秀高は作事の奉行を務める小高信頼(しょうこうのぶより)大高義秀(だいこうよしひで)(はな)夫妻、それに松永久秀(まつながひさひで)細川藤孝(ほそかわふじたか)両将を連れながら、信頼の説明を受けながら構築が進んでいる塀の作事風景を視界に収めた。その中で秀高が自身の言葉に上げた漆喰塀に手を添えながら様子を探ると、この見事な漆喰塀や簡易的な二層の隅櫓(すみやぐら)の外見を見て藤孝が久秀の方を振り返りながら会話を交わした。


「まさかこの短期間でこれほどの見事な陣城を(こしら)えるとは…さすがは秀高殿というべきでありまするな。」


「うむ。これならば上杉軍の攻勢を容易に撥ねつけられよう。」


 その時、秀高はふと視線をある方向に向けていた。その視線の先にはある一人の人夫がいそいそと作業を行っていたが、実はこの人夫、上杉輝虎配下の忍び衆・軒猿(のきざる)の一人であり、素性を隠してこの陣城に潜入していたのだ。その情報を稲生衆(いのうしゅう)の忍び頭・中村一政(なかむらかずまさ)から聞いていた秀高は、久秀ら諸将の言葉の後にこう発言した。


「…ところが、今となって後悔している。」


「後悔?」


 この秀高の発言に引っ掛かるように藤孝がすぐさま返答すると、秀高はその漆喰塀から離れてある方角を見つめながら懸念事項を向こうで作業している人夫に聞こえるような声で語った。


「この陣城の目の前は引佐細江(いなさほそえ)北岸の沼地で、そこを行軍してくるだけでも敵は大いに疲弊する。いっその事この山前に馬防柵を構え、迎え撃った方が何かと自由が利くんだがな…。」


「…秀高、そんなことを言ったら味方の士気が。」


 信頼が周囲の様子を気遣うようなそぶりを見せつつ秀高に自制を促すと、秀高は作事が進む陣城の様子を見まわしながら久秀らに向けて言葉を続けた。


「この陣城に全軍を収容してしまえば何も身動きできなくなる。言わば自ら落とし穴に引っ掛かったようなものだ。ここで上杉軍に攻められたらひとたまりも無いだろうな。」


「…確かに、秀高殿にしては些か短慮かと思いましたぞ。」


「久秀殿!」


 久秀の言葉に対して藤孝が食って掛かるように反駁(はんばく)すると、これらの会話を聞いていた人夫はそそくさと道具をまとめ、そこからどこへともなく去って行った。それを背後で感じ取った久秀は秀高の方を振り向いてからニヤリとほくそ笑んで言葉を返した。


「…ですが、これを上杉が知れば面白いことになりまするな。」


「…えぇ。」


「秀高殿、久秀殿。どういう事にございまするか?」


 秀高と久秀が互いに目を合わせながら交わした意味深な会話を聞き、藤孝がその発言の真意を尋ねると、秀高は今の今までその人夫がいた辺りを指差しながら先程の発言の真意を語った。


「今さっき、そこに一人の人夫がいたんですが、その人夫は実は、上杉お抱えの忍び衆・軒猿の手下だったんですよ。」


「なんと、この中に上杉の忍びが?」


 藤孝が秀高よりその発言を聞いて指をさす方向を振り向くと、確かにその場にいた人夫は藤孝の視界にも入っており、その姿がどこへともなく消えていたのだ。これを悟った後に藤孝が再び秀高の方を振り向くと、秀高は義秀夫妻の顔をちらっと見た後に言葉を続けた。


「それを知った僕たちはあえてその忍びを泳がせ、先程のような会話を聞かせてやったんです。先ほどの会話を輝虎に伝えれば、益々この城へ進んでくるきっかけになるはずです。」


「輝虎に偽情報を伝えた、という訳ですな?」


 藤孝が秀高の狙いを看破するような言葉を発すると、秀高はそれにこくりと頷いて答えた。


「そうです。お二方が見た通りこの城の構えは万全。どこに穴もありません。それに実際に戦になった時、諸大名の軍勢はここに全てはいるわけではありません。」


「…どういう事にござるか?」


 秀高のこの言葉に引っ掛かった久秀が秀高にその意味を尋ねると、秀高はこの場で初めて実際に上杉軍が来襲した際の大まかな迎撃策を久秀と藤孝の二人に説明した。これを義秀夫妻や信頼も聞き入る中で秀高の提示した策に大きな魅力と勝算を見出したのか、順々に声を発して反応した。


「…なるほど、これは面白い。」


「これもまた大きな一工夫にございまするな。」


 秀高の策を聞いて反応を示した二人の言葉を聞き、秀高はこくりと頷いた後にそれに関しての対策を久秀や藤孝に説明した。


「それにこれからは軒猿に対し徹底的に防諜を行います。そうすれば上杉がこの動きを掴むことはそうそう無くなるでしょう。」


「なるほど…聞けば鎌倉府(かまくらふ)の軍勢は北関東(きたかんとう)の諸大名も加わって高天神城(たかてんじんじょう)包囲に取り掛かる動きを見せておるとか。仮にここで上杉が大敗すれば、その衝撃も並大抵の物ではござるまい。」


 久秀や藤孝らの耳にも、先日より高天神場付近で始まった里見(さとみ)らの軍勢による包囲戦の様子は届けられていた。この包囲戦も言わば上杉軍の動き次第という一面もあった為、もし万が一にも上杉本隊が敗れる事態になれば、その衝撃は並大抵ではない事は容易に想像できたのだ。この事を久秀が語ると秀高は首を振った後に言葉を続けた。


「そうです。後は上杉が着いた後に挑発の書状を送れば…。」


「申し上げます!伊助(いすけ)殿より密書が届きました!」


 とそこに、秀高側近の山内高豊(やまうちたかとよ)が現れて上杉軍の動向を探っている稲生衆(いのうしゅう)頭目・伊助よりの密書を携えてやってきた。高豊より伊助からの密書を受け取った秀高はその場で封を解き、中に書かれてあった内容に目を通すとその場にいた久秀や藤孝らにも教えるように言葉を発した。


「…上杉の本隊が飯田(いいだ)の辺りまで来たそうだ。先陣は飯田から秋葉街道(あきばかいどう)の方向へと進み、小川路峠(おがわじとうげ)に差し掛かったらしい。」


「小川路峠…誰か、絵図を。」


「ははっ!」


 秀高が発した小川路峠という地名を聞いた信頼は、側にいた自身の家臣である富田知信(とみたとものぶ)に絵図を広げるように指示した。これを聞いた知信は義秀家臣の桑山重晴(くわやましげはる)と共に絵図の両端を持ち、その場で絵図を広げて秀高らに見えるようにすると、秀高らが一歩前に出て絵図に近づいた後に信頼が先ほどの会話にあった小川路峠の場所を指差した。


「小川路峠はここだね。ここを越えて上村(かむむら)遠山(とおやま)川沿いを南下して青崩峠(あおくずれとうげ)を越えて来るから、上杉軍の遠江到達は早くて四日後…。」


「となると、天野(あまの)が居城・犬居城(いぬいじょう)に入るは十九から二十日辺りになるわね。」


「二十日か…その日が待ち遠しいぜ!」


 信頼の言葉の後に華と義秀が順々に言葉を発し、各々来る上杉軍との戦いに闘志を燃やし始めた。一方で秀高はそれらの会話を黙して聞いた後、絵図に記された地名や地形をじっと見つめるようにしていたのだった。この信頼や華たちの予測通り、上杉軍は十六日ごろには青崩峠を越えて遠江国に進入。そしてその四日後の二十日の午前中には遠江北部の要衝・犬居城へと入城したのであった。





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