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1572年8月 東国戦役<東海道side> 駿河湾海戦



康徳六年(1572年)八月 駿河湾(するがわん)




 遠江高天神城とおとうみたかてんじんじょうに対し里見(さとみ)鎌倉府(かまくらふ)の軍勢が包囲戦を取る事を決めたその日の午前、遠江の隣国である駿河国(するがのくに)伊豆国(いずのくに)の間に広がる駿河湾の海域にてある一つの異変が起こった。この日、駿河湾の海上には駿府(すんぷ)に布陣する鎌倉府傘下の犬懸(いぬかけ)扇谷(おおぎたに)上杉(うえすぎ)ら先陣を務めた軍勢への兵糧輸送と兵員補充の要員である足軽たちを載せて、護衛として里見・三浦水軍を主体とする船団二百艘ほどが沼津湊(ぬまづみなと)を出帆し、対岸の清水湊(しみずみなと)に向けて航行していた。


「…お頭、見えましたぜ。ありゃあ間違いなく兵糧をたんまり積んでる荷船ですぜ。」


 その清水湊へと向かう鎌倉府の船団を、六里(約23kmほど)先から望遠鏡を用いて見ていた水夫が、お頭と呼ぶ一人の武将に話しかけていた。この武将の名は九鬼嘉隆(くきよしたか)。そう、高秀高(こうのひでたか)の家臣でもあり、秀高から駿河湾の制海権確保を任されていた水軍の総大将でもある。水夫から六里先に敵船団の姿を確認した旨を聞くと、嘉隆はただ黙ってこくりと頷いた後に下知を伝えた。


「そうか。よし、直ちに配置について号令を待てと伝えろ。」


「へい!」


 嘉隆から船の中にいる水夫への指示を伝えられた水夫は相槌を発し、そのまま船内に嘉隆の指示を伝えた。この時、嘉隆が座乗する一艘の船、そしてその左右に展開する合わせて五艘ほどの大型船は、この当時の日ノ本においてはまれな特徴を有していた。これこそ秀高の元にいた外国人・中村貫堂(なかむらかんどう)の協力の元で完成した西洋式の竜骨…キールを持つ安宅船(あたけぶね)であった。その嘉隆が座乗する安宅船の後方にて水夫が赤旗を後方に続く船団に向けて振った。これを後方に続く徳川(とくがわ)水軍の船大将・岡部貞綱(おかべさだつな)が座乗する関船の船首に立つ水夫が確認し、大将の貞綱へ声を上げて報告した。


「御大将!九鬼の船団から赤旗が上がりましたぜ!」


「…よし、我らは九鬼殿の船に続いて突撃する。各船に矢玉の備えを怠るなと伝えよ!」


「おう!」


 貞綱の号令を受けた船に座乗する水夫たちは、左右後方に続く味方の船舶に対して旗を振って合図を送り合った。その中で貞綱は自身の船の前を行く大型の安宅船に視線を送ると、その安宅船の一番目立つ外見を視界に収めながら言葉をぽつりと漏らした。


「さて…高家の隠し玉とやらの威力を見せてもらおうか。」


 貞綱は言葉をつぶやいた後、すぐさま踵を返し水夫たちに臨戦態勢を取らせた。やがて嘉隆の座乗する安宅船より法螺貝と太鼓が鳴らされると、遥か前方に航行する鎌倉府傘下の船団に向けて突撃を開始した。義隆が指揮する大型の安宅船の後に続き、徳川水軍は()を精一杯漕いで素早い速度で前進した。やがてその様子は前方にて船団の護衛に着く里見(さとみ)水軍の関船らの視界に入り、水軍の長たる岡本隨縁斎安泰おかもとずいえんさいあんたいは味方の水夫から、向かって左方向からやってくる敵船を指差されて報告を受けた。


「ず、隨縁斎様、あれを!」


「な…何じゃあ、あれは!」


 水夫の指さす方向を見た隨縁斎は、左の方角から全速力で向かって来る安宅船の、その異様な光景に度肝を抜かれた。この嘉隆が座乗する安宅船、実はとても大きな特徴を有していた。というのもこの船は船の側面と甲板、それに上部構造物に薄い鉄板が所狭しと張られており、木製の船とは思えない黒鉄の色味を発していたのである。そう、この船こそ秀高が秘蔵っ子として貫堂らに開発させていた「鉄甲船(てっこうせん)」と呼ばれる鉄張りの船であり、この黒鉄の船が左方向より猛進してくる様を隨縁斎が乗る関船の水夫たちはたじろいで声を上げた。


「鉄張りの船がこっちに向かって来ますぜ!」


「怯むな!火矢を射掛けよ!全船何としても荷船を守れ!」


 慌てふためく水夫たちの中で、長たる隨縁斎は務めて冷静に指示を発した。この号令を受けた里見・三浦両水軍の軍船は、荷船を守るように左方向へと舵を切って迫り来る敵船団と対峙。各々の船で火矢を用意して迫ってくる鉄甲船に射掛けた。しかしその放たれた火矢は鉄板の前にいとも簡単に弾かれ、対照的に鉄甲船は速度を落とすことなく里見・三浦両水軍の中に割って入ると、それを確認した鉄甲船に座乗する嘉隆は号令を発した。


「…砲門開け!」


 この号令と同時に座乗する鉄甲船の側面…即ち鉄の壁が上へあがる様に開かれると同時に中から大砲の砲口が顔を出し、同様に敵水軍に突入した味方の鉄甲船も側壁を開閉し大砲を覗かせた。それを確認すると嘉隆は頃合いを見計らってから甲板にて采配を一振りした。


「放てぇ!!」


 この号令と同時に大砲の火蓋が切って落とされ、そこから放たれた砲弾は里見・三浦両水軍の関船や小舟をいともたやすく破壊した。この鉄甲船に搭載されている合わせて数十門の大砲は、同じく貫堂が名古屋(なごや)在留の鉄砲鍛冶たちと共同で開発した船舶用の大砲で、カルバリン砲をモチーフにした独自の大砲であった。その威力は元ネタのカルバリン砲より強化されており、その大砲から放たれた砲弾は敵船を次々と沈めていった。


「そ、そんな馬鹿な…ぐわぁっ!!」


 その威力は、里見水軍の船大将の一人である安西又助清勝あんざいまたすけきよかつが座乗する関船が木っ端みじんに粉砕された事からも分かった。又助は関船の破壊と同時に海面へと叩きつけられ、そのまま海の藻屑と化したのだった。この訃報はすぐさま、慌てふためく渦中の隨縁斎の関船へと知らされた。


「ま、又助殿の船が一瞬で!?」


「ええい、これは夢か…」


 隨縁斎の船に座乗していた嫡男・岡本頼元(おかもとよりもと)は又助の船喪失に驚き、そして隨縁斎もどこか信じられないような面持ちを見せてた。やがて、その隨縁斎が乗る船にも砲弾が命中。船首をいともたやすく吹っ飛ばしてやがて船は海へと沈み始めた。


「父上、父上!」


「おぉ…頼元か…。」


 その衝撃で甲板に叩きつけられていた隨縁斎は、息子の頼元の呼びかけに気を取り直して立ち上がった。しかしその先に広がる光景は正に地獄絵図と呼ぶにふさわしく、海面には破壊された船の残骸やそれにしがみつく水夫、更には海中に浮かぶ息絶えた水夫の亡骸などまさに直視に耐えぬ光景と呼ぶべきものであった。その中で頼元は隨縁斎に鉄甲船の後方を指差しながら進言した。


「父上、あの鉄張りの船の後に徳川水軍が攻めて来ております!ここはどうか小舟に乗って撤退を!」


「くっ、二百艘もの大船団が何の手も出せずに滅するのか…。」


 ここに至って隨縁斎は頼元の勧めに従って撤退を決断。沈みゆく関船に接舷した小舟に乗り込んで海域からの撤退を始めた。これに後方から続く徳川水軍が追い打ちをかけるものの、幸いなことに隨縁斎らは戦闘海域からの離脱を為す事に成功したのである。しかし、取り残された味方の水軍や多数の荷船は鉄甲船、ひいては徳川水軍の餌食となり、一刻ほどで終わった海戦は鎌倉府の船団の壊滅によって幕を閉じたのであった…。




「…我が方は駿河湾にて輸送船団が壊滅。補充の兵員や兵糧もろとも、海の藻屑と化しました…。」


「そ、そんな馬鹿な話が…。」


 この駿河湾で起こった海戦の顛末は、遠江国(とおとうみのくに)朝比奈城(あさひなじょう)に陣取っている里見義弘(さとみよしひろ)ら鎌倉府軍の本陣に詰める諸将たちの耳に入った。従軍する結城晴朝(ゆうきはるとも)千葉胤富(ちばたねとみ)、それに里見家臣たちが著しく動揺する中で、義弘の父・里見義堯(さとみよしたか)堀江頼忠(ほりえよりただ)からの報告をすべて聞いた後に、机の上の絵図を見つめながら敵の憶測を語った。


「恐らく高家と徳川家の水軍であろう。今の状況で駿河湾に攻め込めれる根拠地となれば…。」


御前崎(おまえざき)の湊か!」


 朝比奈城より東方にある御前崎…実はここに駿河を落ち延びた徳川水軍や九鬼指揮する高水軍が結集し、攻勢の頃合いを見計らっていたのである。その事を知った義弘は地団駄を踏むように机を拳で叩き、すぐさまその予測を示した父・義堯に対案を提示した。


「父上、ならば一刻も早く御前崎一帯の制圧をせねば!」


「よしておけ。こちらの水軍は三浦の船共々壊滅した。たとえ根拠地を潰した所で御前崎より奥に逃げられれば元も子もない。」


「されど!」


 義弘が義堯になおも言葉をかけようとするも、義堯は義弘の言葉を意に介さず、ただ机の上の絵図を睨みつけながらポツリと呟いた。


「高秀高…やはり只者ではないな。」


 義堯のこの言葉を聞き、床几を立ち上がっていた晴朝や胤富、そしてそれらの家臣たちや義弘はようやく落ち着きを取り戻したかのように席に座った。するとその様子を見届けた後に総大将でもある義弘に進言した。


「義弘、兎角(とかく)今は高天神城の包囲に専念するべきぞ。兵や兵糧の懸念あらばこの近郊で田畑を無傷で抑えそこから兵糧や雑兵(ぞうひょう)を得る他あるまい。」


「父上…承知いたしました。」


 この義堯の言葉をもって、里見・結城・千葉の軍勢は高天神城の包囲戦に取り掛かる事に決した。義弘は義堯の言葉を受け入れると晴朝や胤富らを連れて広間から出ていき各々の戦支度を行い始めた。それを義堯が床几に座りながら見送った後、義堯はその場に残っていた家臣の正木信茂(まさきのぶしげ)に言葉をかけた。


「信茂よ、高秀高という男、おそらく管領(かんれい)様(上杉輝虎(うえすぎてるとら))より優れておろうな。」


「…悔しいですが、力の差は歴然かと。」


 ここまで見事な戦いをされた以上、義堯からすれば力の差は歴然だと感じていた。それを示すような返答を信茂から聞くと、視線を再び机の上の絵図に逸らし、じっと絵図を見つめながら言葉を返した。


「ならば、万が一に備えて身の振り方を考えねばな。」


「…ははっ。」


 この義堯の言葉を聞いた後、信茂は相槌を打った後に義弘を追いかけるようにしてその場を後にした。義堯はこの時、万が一の事態に陥った際の身の振り方まで考え始めていた。それはかつて、北条氏康(ほうじょううじやす)と死闘を繰り広げた直感から来るものだったのかは分からない。しかしこの考えの答えはそう遠くないうちに明らかになるのであるが、それはまた後々の話である…。





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