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1572年7月 東国戦役<秀高side> 迎撃策と功名心



康徳六年(1572年)七月 三河国(みかわのくに)岡崎城(おかざきじょう)




 翌二十八日、東海道(とうかいどう)への後詰の軍勢が全て岡崎城周辺に到着した事を受け、高秀高(こうのひでたか)は岡崎城本丸にある本丸館にて軍議を開いた。この軍議には秀高の元を訪れていた小高信頼(しょうこうのぶより)、そして岡崎城主・徳川高康(とくがわたかやす)の父でもある徳川家康(とくがわいえやす)自らが訪れて秀高の軍議に参列していた。


「既に諸将も聞き及んでいるとは思うが、駿河(するが)に侵攻した鎌倉府(かまくらふ)の軍勢は一昨日、二十六日までには駿府(すんぷ)を攻め落とし、そこより南にある持船(もちふね)花沢(はなざわ)両城への攻撃を近日中に始める見通しだ。」


「家康殿、江尻城(えじりじょう)での家臣たちの奮戦、この藤孝(ふじたか)も胸打つものがありましたぞ。」


(かたじけな)く思いまする。」


 本丸館の評定の間に勢揃いした幕府軍諸将たちの中で、後詰の陣に従軍していた細川藤孝(ほそかわふじたか)が数日前に城兵玉砕の運命をたどった江尻城の事を家康について触れると、万感の思いに至った家康は藤孝に向けて深々と頭を下げた。すると軍議を主導する立場ながらそれを見ていた秀高は、家康が頭を上げた後に言葉を続けた。


「これに先立ち、上杉輝虎(うえすぎてるとら)が軍勢も善光寺平(ぜんこうじだいら)で集結中と聞く。善光寺平に集まっているという事は信濃を縦断してくる。つまりこの三河か遠江(とおとうみ)へ上杉軍本隊が来るという事だ。」


越後(えちご)の龍がいよいよ来るのですな。」


 秀高より上杉軍の動向を聞いた家康が、秀高に向かって決意の篭った表情を見せながら言葉を返した。するとそこに徳川配下の早馬が評定の間に駆け込み、その場にいた主君の家康や秀高一同に向けて火急の要件を報告した。


「申し上げます!犬居城(いぬいじょう)に不穏な気配あり!城内にある徳川の旗指物を下ろし、城の周囲に逆茂木などを構築する一方、北の方角の城門を開け放ったとの事!」


「犬居城じゃと?確かあそこの城主は…」


天野景貫(あまのかげつら)だ。元々我らへの反抗を隠そうともしなかった奴だったが、もしかすればこの機に徳川からの離反を企んでおるやもしれぬ。」


 この天野景貫、元は今川(いまがわ)配下の国衆であったが今川氏真(いまがわうじざね)知立(ちりゅう)の戦いで敗れて以降に今川家から離反。徳川家へと鞍替えしていた。しかし元々独自性の強い国衆であり度々徳川家の統治に反発もしており、この上杉輝虎侵攻を機に輝虎への鞍替えを図ったのである。その事を家康の背後にいた徳川家臣・本多作左衛門重次ほんださくざえもんしげつぐ本多忠真(ほんだただざね)が会話を交わしていると、その事を聞いて事の重大さを知った家康は、秀高に向けてそれを踏まえての見通しを言葉に出した。


中将(ちゅうじょう)殿、もし天野の離反が真であれば、上杉軍が現れるのは…」


「遠江の方角。信州高遠(たかとお)から秋葉街道(あきばかいどう)を伝ってくるだろうな。」


 秀高は諸将たちの真ん中に置かれていた机の上に広がる絵図を、指示棒(さしぼう)で示しながら上杉軍の進軍経路を予測した。この予測は天野の離反という現実から見て可能性が高い事は諸将たちの間にも広がっており、それを肌感で感じ取った秀高は遠江の国主でもある家康に向けて言葉を続けた。


「三河殿、この際天野の離反間違いなしと見て手を打っていく必要があるだろう。それでこちらで考えている策を三河殿にも共有しておきたい。」


「聞きましょう。」


 家康が秀高に向けてその策を尋ねると、秀高は先の石部城(いしべじょう)において後詰の諸将にはあらかじめ伝えてあった迎撃策を絵図で指し示しながら説明した。それを聞いた家康はこくりと頷いた後に説明してくれた秀高に言葉を返した。


「なるほど…上杉本隊をこちらの迎撃地点に誘い込むと。」


「その通り。それでこちらの迎撃地点は、堀川城(ほりかわじょう)より西の宝渚寺平(ほうほうじだいら)にする。家康殿、その辺りの地理はどうなってる?」


 秀高より遠江での上杉軍迎撃地点・宝渚寺平の事について尋ねられた家康は、自身が行った検分を元にした詳細な情報を秀高に伝えた。


「宝渚寺平へ向かうには気賀(きが)から引佐細江(いなさほそえ)の沿岸を伝って向かう必要がありまする。されどその沿岸部は湿地帯で泥濘(ぬかるみ)が所々にある故、必然的に隊列は乱れるものかと。」


「そうか…そうなると問題は、言わば敵にとって死地となるそこに精強な上杉軍をどうやって誘い込むかだが…。」


 家康からの情報を聞いた秀高は、言わば敵にとって避けるべきである死地に敵を誘引する方法を考えあぐねるように腕組みをしながら言葉を漏らした。するとそんな様子の秀高に対して一つの方策を示したのは、家康の背後にいた重次であった。


「ありきたりな方法にござるが、遥々(はるばる)やってきた輝虎に挑発じみた宣戦布告の文書を送り、その宝渚寺平に誘い込むのは如何でござる?」


「挑発か…果たして乗ってくるだろうか?」


 重次が発案した文書による誘引は、秀高からしてみればやや古典じみた話に聞こえた。というのも輝虎は戦の才能においては人一倍抜きん出ており、将帥(しょうすい)として優秀な輝虎がそのような見え透いた策に乗ってくるとは秀高は思えなかったのだ。しかしこの重次の策に助け舟を出すように発言したのは、その場で今までの会話を耳にしていた信頼だった。信頼は数年前、幕府の詰問使として春日山城(かすがやまじょう)で面会した輝虎の印象を踏まえて秀高に言葉をかけた。


「上杉輝虎という武将は、義将と呼ばれる反面に激しい気性を兼ね備えている。だからそこを突けば悍馬(かんば)のように向かって来るかも知れないね。」


「…よし、ここは奴の自尊心を大いに傷つけてやろう。三河殿、そこで貴殿に一つ頼みがある。」


「何か?」


 信頼の言葉を聞いてその場でしばらく考えた秀高は、僅かな成功の可能性を感じ取ると重次の意見を採用するような言葉を発し、それに続けて家康の方を振り向いてその際における徳川軍の行動について要求した。


「もし、上杉勢が宝渚寺平に攻め掛かり、奥深くまで攻め込んだ時を見計らってその背後を、浜松(はままつ)井伊谷(いいのや)から軍勢を出して攻め込んで欲しい。」


「挟撃するという訳ですな?」


 秀高は上杉軍の挑発に成功し、敵軍を宝渚寺平に誘い込んだ暁には井伊谷・浜松で待機する徳川軍と事前に遠江に派遣していた高家の軍勢を持って上杉軍の背後を突き、一気呵成に上杉軍を殲滅する作戦を立てていた。その事を聞いて家康も秀高の策を見通して言葉を返すと、秀高はこくりと首を縦に振って頷いた。


「そうだ。さしもの上杉も挟撃されれば一たまりも無いだろう。それまで三河殿は決して上杉の軍勢に野戦を(けしか)けないように頼む。」


「…承知いたしました。」


 家康は秀高からこのような言葉をかけられると、一拍間を置いた後に承諾の意を示した。これをこの時秀高は余り気に留めていなかったが、家康の心の中には上杉軍を相手にするなという自制をどこか歯がゆく思っていたのである。しかし、その様な様子を家康が表に出していなかったためか秀高は家康からの返答を聞くと、続けて信頼の方を振り向いて迎撃に向けて指示を下した。


「信頼、密かに人足を宝渚寺平に遣わし、陣城の野戦築城を行ってくれ。」


「分かった。すぐに手配して作事に当たらせるよ。」


 信頼は秀高からの命令を受け取ると即座に返事を返し、これを聞いた秀高は再び諸将たちの方を振り向き、今後の後詰軍の予定を一同に向けて告げた。


「俺たちは宝渚寺平の野戦築城が終わるまで岡崎に逗留し、落成次第に宝渚寺平へと向かう。諸将はそれまでたっぷりと英気を養ってほしい。」


「ははっ。」


 これを受け取った諸将は各々返事を発して承諾の意を示し、家康はただ黙して頭を下げたのだった。これより先、秀高の命を受け取った信頼は家臣の富田知信(とみたとものぶ)に命じて密かに人足と共に宝渚寺平に遣わし、敵に悟られないように極秘で信頼が設計した案の元で野戦築城を行わせる一方、秀高ら後詰は野戦築城が完了次第密かに宝渚寺平へと向かうことになった。そして家康は秀高からの命を受けた後に居城の浜松城へと帰っていったが、家康の心の中には先程の自制を受けてどこか血気に(はや)るような感情が沸々と芽生え始めていたのだった。





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