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1572年7月 東国戦役<秀高side> 岡崎城の一幕



康徳六年(1572年)七月 三河国(みかわのくに)岡崎城(おかざきじょう)




 それから数日後の七月二十七日。高秀高(こうのひでたか)指揮する後詰の軍勢は、遂に徳川家康(とくがわいえやす)が嫡子・徳川高康(とくがわたかやす)が城主として在城する岡崎城に到着した。秀高らは自らの軍勢の後に東海道(とうかいどう)を下って続いてくる松永久秀(まつながひさひで)ら諸侯の軍勢を待ちながら、岡崎城本丸館へと足を運び秀高が婿でもある高康を見舞った。


「おぉ、高康。随分と見ないうちに大きくなったものだな。」


「ははっ。義父殿もお変わりなく。」


 高康とその妻で秀高の長女である御徳(ごとく)姫との婚姻以降、この場で再び対面を果たした秀高は、本丸館の居間にて高康と御徳、そして両名を岡崎にて養育する瀬名(せな)姫三名を視界に収めながら高康からの挨拶を受けた。これに秀高は御徳の方を振り向きながら高康にお互いの仲を尋ねるように話しかけた。


「高康、御徳とは上手くやっているか?」


「はっ。共に手を取り合うように仲睦まじく過ごしておりまする。」


 数年ぶりに会った高康が見事な受け答えをして秀高にお互いの仲を語ると、秀高は柔和(にゅうわ)な表情を浮かべてから瀬名の方を振り向いて感謝の念を述べた。


「瀬名さま、御徳ともどもここまで立派に養育して下さり、感謝してもしきれません。」


「いえ、それにしても御徳姫はとても聞き分け良く、我らの教えを全て飲み込むように覚えていっております。これならば将来はきっと、賢妻と呼ばれるほどの才能をお持ちになるでしょう。」


「そうですか。」


 今がまるで戦をしている最中とは思えないほど、瀬名姫と秀高は両者について語り合った。するとその輪の中にいた御徳姫が秀高が身に(まと)直垂(ひたたれ)姿の装束(しょうそく)を見てすぐに口に出した。


「父上、これから戦に向かわれるのですよね?」


「御徳、口を慎みなさい。御父上を困らせてはなりませんよ。」


「いや、構いませんよ。」


 不安そうな御徳姫の言葉を聞いた瀬名姫が(たしな)めるようにして言葉を返すと、それを聞いた秀高は瀬名姫に気に留めてないように言葉を発し、言葉をかけてきた娘の御徳に対して言葉を返した。


「そうだ。俺はこれから上杉輝虎(うえすぎてるとら)を倒しに行く。ここにはその途上で寄ったんだ。」


「…秀高殿、上杉と言えば我が父(関口親永(せきぐちちかなが))が持船(もちふね)の城で陣頭指揮を執っていると聞いております。」


 御徳へ言葉をかけた秀高に、瀬名姫は父である親永の事を持ち出した。この時親永は自ら最前線たる駿河(するが)へと赴いており、正にこの日に鎌倉府(かまくらふ)の軍勢と持船城において死闘を繰り広げていた最中だったのだ。そこでの戦況がここ岡崎に届いていない中で、瀬名姫は父が行ったある所業を踏まえて秀高に言葉を続けた。


「聞けば我が父は、太守様(今川義元(いまがわよしもと))の今川館(いまがわやかた)に火をつけて焼き払ったと聞きます。そこまでの事をしたという事は、おそらく父は死ぬ覚悟を決めておると思います。」


「えぇ。おそらく輝虎は今川を裏切った親永殿を許しはしないでしょう。もし捕縛されれば輝虎の面前に引き出され、斬首されるとも…」


 今川館を焼いた親永の身の上の予想を、秀高は厳しい視線を含めて語った。言わば望んで死地に赴いた親永の事を気に掛ける瀬名姫は、秀高の目の前で頭を下げて頼み込んだ。


「秀高殿、どうかお願い致したき儀があります。何卒、我が夫と語らって我が父の身柄だけはお助けいただけませぬか?」


「ご案じなく瀬名様。それについては事前に三河殿と取り決めていたことがあるんです…。」


 そう言うと秀高はその場で瀬名姫に取り決めていた事だった。その事こそ後に行われる虜囚(りょしゅう)となった親永と駿河国を交換して引き取るという物であり、同時に秀高は瀬名姫にその交渉を行うべく、秀高の名代として板部岡江雪斎いたべおかこうせっさいが時期を見計らい駿府(すんぷ)へと向かう事も告げた。するとこれを聞くと瀬名姫は不安な表情を和らげて安堵するように言葉を秀高に返した。


「なるほど…では我が父は必ず帰ってくると?」


「えぇ。その目的が達成されれば先方との交渉の余地はあります。上手く行けば無傷で親永殿の身柄は帰ってくることでしょう。」


 秀高が瀬名姫に自信たっぷりに返すと、心の中にあったモヤモヤが晴れたように晴れやかな表情を見せて、同時に安堵させてくれた秀高を鼓舞するように言葉を返した。


「それをお聞きして安堵いたしました。秀高殿、この上は何卒心置きなく上杉との戦に臨まれませ。この瀬名、心より勝利をお祈りしております。」


「ありがとうございます。瀬名様。」


 瀬名姫からの鼓舞を受け取った秀高はしっかりと頷いて答えた。するとそこに秀高側近として従軍していた山内高豊(やまうちたかとよ)が現れて秀高に用件を告げた。


「殿、申し上げます。先ほど吉田(よしだ)より小高信頼(しょうこうのぶより)殿が火急の要件ありと参られました。至急評定の間までお越しくだされ。」


「何…分かった、すぐに行く。じゃあ瀬名様、高康。これからも元気でな。」


「ははっ!」


 高豊からの報告を受けた秀高は返事を返すと、スッと立ち上がり高豊と共に居間を後にしていった。その去って行く秀高の後姿を返事を返した高康や御徳姫、それに瀬名姫三名は見送るように頭を下げ、やがて頭を上げると皆々、心の中で秀高の健勝を祈るようにじっと秀高の後姿を見つめていたのだった。




 そして秀高は高豊と共に本丸館の評定の間へと赴くと、そこで吉田から来ていた信頼と面会し、秀高は信頼の顔を見るなりすぐに来訪の用向きを尋ねた。


「信頼…火急の要件とはどうしたんだ?」


「秀高、一応ここには僕たち高家の家臣団しかいないね?」


 信頼は周囲の様子を気にするように秀高に言った。この時評定の間には秀高と高豊、それに信頼本人と信頼に付いて来た大高義秀(だいこうよしひで)やその正室・(はな)の五名しかおらず、評定の間の外には足軽たちが歩哨に立っていたがそこまで秀高らの声は届いていなかった。秀高はこれらの様子を即座に察知すると問うてきた信頼に言葉を返した。


「あぁ。既に着陣してる諸将もいるが、今現在は各々の軍勢の所にいてここにはいないぞ。」


「それなら安心だ。実はひとまずここの間で共有しておきたい情報が、越後(えちご)伊助(いすけ)から届けられたんだ。」


「越後…まさか!?」


 越後の伊助からの報告。これを聞いた秀高は即座に来訪した信頼の用向きを悟った。即ち秀高が何よりも知りたい上杉輝虎(うえすぎてるとら)とその軍勢の動向である。信頼は秀高の反応を見るや即座に頷き、懐から一通の密書を取り出して秀高に渡した。これを受け取った秀高がその場で封を解く中で、先にその内容を知っていた信頼は極めて声を上げずに秀高の両脇に立っていた高豊や義秀夫妻に聞こえる声で伊助からの報告の内容を語った。


「伊助からの続報だよ。どうやら上杉軍は今月三十日までに結集を終え、信濃を縦断してくるつもりだ。で、同時にその後の経路の手かがりとなる物を掴んだって。」


「手掛かり?」


 信頼の言葉を聞いて高豊が言葉を返すと、先に密書の中身を見ていた秀高は驚きの表情を見せ、それを今度は華に手渡しした。秀高より手渡された密書を華が見てみると、それは伊助からの密書その物ではなく別の密書であり、華はその密書に書かれていた宛名の武将の名前を見て大いに驚いた。


「これは…犬居(いぬい)城主・天野景貫(あまのかげつら)への密書?」


「はい、差出人は他でもない輝虎で、内容は上杉軍が八月の中頃に犬居城周辺に到達するから、それに呼応して迎え入れて欲しいという物です。因みに秀高、この密書は稲生衆が写し取った物で、本物の密書はあえて犬居城へと届けさせたよ。」


「って事は、犬居城は上杉と内通しているのか。つまり…」


「上杉は…遠江へ来る。」


 秀高はその場にいた四名に対して上杉軍の目的を語った。それを聞いていた義秀夫妻はその言葉に対してこくりと頷き、そして高豊は華から受け取った密書を片手にじっと秀高を見つめていた。この事は改めて軍議が開かれる翌日まで秀高らの間で留めておくこととなり、その事実は翌日に開かれる軍議にて明らかにすることとなった。





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