1572年7月 東国戦役<秀高side> 越後からの第一報
康徳六年(1572年)七月 近江国石部城
康徳六年七月二十二日。一昨日の二十日に京・伏見城を発した高秀高指揮する東海道への後詰の軍勢は、出陣から二日後の今日には北陸道へ出征中の前野長康が居城・石部城に入城。これから控える途中の難所・鈴鹿峠越えに備えて英気を養っていたが、その秀高の元に三河吉田にて前線の差配を行っている小高信頼からの一報が入った。
「上杉輝虎が動いたと?」
石部城内の居間にて細川藤孝が秀高に対して言葉を発した内容こそ、この戦を引き起こした張本人・上杉輝虎率いる軍勢の動向その物であり、秀高は藤孝から言葉をかけられるとこくりと頷いた後に藤孝に言葉を返した。
「あぁ。報告によれば輝虎率いる上杉軍の旗本は十六日に春日山城を出立。越後国内の家臣たちに軍勢を引き連れて善光寺に集結するよう早馬を飛ばしたらしい。」
「善光寺…という事は上杉の進軍路は?」
秀高の言葉を受けてこの後詰に参陣していた摂津池田城主・荒木村重が秀高の方を振り向いて言葉を発すると、その問いかけを聞いた秀高が村重の方を振り向き、こくりと首を縦に頷きつつ言葉を村重に返した。
「あぁ。おそらく輝虎は関東平野を経由するのではなく、信濃を縦断して遠江か三河に出てくるつもりだ。」
「にしても、思ったより早く動いて来たな。てっきり駿河を完全に制圧するまでは動いてこないと思ったが…。」
石部城内の居間にいる諸将の輪の中には、既に東海道・東山道方面の簡素な絵図が床一面に敷かれており、それを見ながら秀高や大高義秀が言葉を交わしていた。すると同様に絵図を見つめながら話を聞いていた多聞山城主の松永久秀が顔を上げ、秀高の方を振り向いてから輝虎の動向を推し量るように語った。
「恐らく、駿河からの第一報が春日山に入ったのでしょうな。それを聞いた輝虎の事、味方の戦意向上と劣勢の挽回を兼ね、即座に出陣を決意したのやもしれませぬ。」
「…上杉輝虎、やはり定石通りには動いてこないか。」
「所司殿、如何なさるお積もりに?」
秀高らが出陣前に輝虎の行動予測としていた関東平野方面からの進軍予定が、ここによって崩れた事を秀高がニヤリと口角を上げながら発言すると、これに播磨三木の城主である別所安治が今後の行動を秀高に尋ねてきた。秀高はこの尋ねを受けて安治の方を振り向くと、安治を心配させないように決然と行動予定を示した。
「無論、行軍の予定は変わらない。このまま東海道を南下し、三河へと向かうつもりだ。そこで輝虎がどの道を通るか分かり次第、決戦地を設定しそこで迎え撃つ。」
「戦場を定めると仰るので?」
秀高の作戦を聞いて藤孝が確認するように尋ねると、秀高は藤孝の問いかけにこくりと頷いてから答えた。
「えぇ。上杉が三州街道(信濃~三河)か秋葉街道(信濃~遠江)を通るにせよ、我らは迎撃地点を設けてそこにて防備を固め、上杉本軍の殲滅を図ります。」
「では、さしずめ迎撃地点は定まっておるのですな?」
秀高と藤孝の会話を聞いた後で村重が秀高に迎撃地点の目星を尋ねると、秀高は村重の問いかけにこくりと頷いてからその場にいた諸将たちに向けて初めて、上杉軍を迎撃する予定地点の目星を語った。
「方々にはあらかじめ申し上げておきますが、もし三州街道を下ってくるのであれば長篠城より西にある設楽原一帯、秋葉街道を進んでくるのであれば井伊谷城の支城・堀川城より西にある宝渚寺平と呼ばれる小高い山。この二か所の内一つで上杉軍を迎え撃ちます。」
「設楽原に宝渚寺平…ですか。」
設楽原と宝渚寺平。この内前者に関していうと秀高らがいた元の世界にて、織田信長と徳川家康の連合軍が武田勝頼指揮する武田軍を大破した「長篠の戦い」の主戦場でもあり、大軍を率いて来るであろう上杉軍を迎撃するにはもってこいの場所である。
一方、後者の宝渚寺平というのは家康が居城・浜松城より三方ヶ原台地を越え、気賀より引佐細江(細江湖)北岸を渡った先にある小高い丘である。この丘は近くに井伊谷城を擁しているために、いざ戦の時には井伊谷・浜松からの援軍を見込める戦略上重要な地点になる場所であった。
「いずれも大軍の利を活かせず、また野山や丘陵に柵を張り巡らし、堀を構えればいずれも陣城として防衛の利を取ることが出来ます。この書状によれば上杉軍の推測兵力は四万程との事。上手く戦えば敵を大破する事も可能でしょう。それに…」
「輝虎は所司殿の首を狙っておる故、敵地の奥深くだろうと攻め込んでくると?」
秀高が自身の戦場と定めた地点の利点を諸将たちに向けて告げると、これに小寺政職の代わりに後詰の軍勢に従事していた小寺職隆が嫡子・小寺官兵衛孝高が言葉を発した。この官兵衛の言葉を聞いた秀高はこくりと頷き、続けて言葉を発した。
「そうだ。上手く事が行けば、上杉軍の背後を味方の軍勢が突くこともできる。まぁ逆にそうじゃない場合も考えなきゃいけないのがつらいところだがな。」
「しかし、すでに策が定まっているのであれば、我らも心置きなく上杉との戦いに専念できるという物。」
秀高の考えを聞いた諸将の意見を代表するように、久秀は秀高に対して答えを返した。これを聞いた秀高は久秀の方を振り向いてからふっと微笑んで頷いた。
「あぁ。これから三河までの行軍の間に、上杉の動向に何かがあれば報せてくるはずだ。よって諸将においては、今は何も気にせずに三河までの進軍に専念して欲しい。」
「ははっ!」
秀高から言葉をかけられた後詰に参陣する諸大名は一斉に返事を発した。するとその返事の後に秀高の側近たちが現れるとテキパキと床に広がっていた絵図を折り畳み、代わりに城に仕える侍女たちが盃やお椀などが置かれた御膳を運んできた。それを侍女たちは各々の諸将の目の前に置くと、それを見た秀高は置かれた御膳の側に添えられた銚子を手に取ってから諸将に向かって言葉を発した。
「さぁ、今日はゆっくり休んでくれ。酒の相手ならこの俺が引き受けよう。」
「はっはっはっ、所司殿に酒を注いでもらえるはこれ以上のない誉れ。是非ともお受け致す。」
「そうか。じゃあ安治殿、どうぞ一献…。」
そう言うと秀高は銚子を持って安治の席の元に近づくと、安治の持つ盃に酒を注いだ。それを安治が呷って飲み干すと同時にその場にて酒宴が始まった。戦に向かう諸将たちではあったがこの時だけは心を休めるように宴を楽しみ、同時に城下に待機していた将兵にも酒食が振る舞われて英気を養ったのだった。そして翌日から再び三河へと進軍を開始し、その数日後には最前線たる徳川領内へと後詰の軍勢は足を踏み入れたのである。