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1572年7月 東国戦役<北陸道side> 月岡野の戦い



康徳六年(1572年)七月 越中国(えっちゅうのくに)月岡野(つきおかの)




 七月二十六日、畠山政頼(はたけやままさより)が籠る増山城(ますやまじょう)の包囲を解いて富山城(とやまじょう)まで撤退して来た小島職鎮(こじまもとしげ)椎名景直(しいなかげなお)が指揮する上杉(うえすぎ)方の軍勢は、この日には富山より南の太田本郷城(おおたほんごうじょう)に本陣を置くと、この城の物見櫓より南の津毛城方面を(うかが)った。


「む、あれか…」


 上杉方の大将でもある職鎮は、太田本郷城の物見櫓からそう遠くない先に見える敵陣の姿を発見した。幕府軍は壇山神社(だんのやまじんじゃ)より西にある平野部に陣を敷いており、その布陣は金森可近(かなもりありちか)新発田長敦(しばたながあつ)らの軍勢が横一列に並ぶ横陣(おうじん)の陣形を敷いていた。それを見た職鎮は物見櫓にて声を上げて反応した。


「愚かな奴らめ、あれしきの兵数で野戦に出てくるとはな。」


「こちらは一万弱。対して幕府軍はざっと七~八千。しかも山岳を踏破してきたために疲弊しきっておる!これのどこが負けるというのだ!」


「御両所、敵を舐めてはなりませぬ!」


 月岡野の平野に陣取る幕府軍の数を見て勝利を確信したかのようにほくそ笑んだ職鎮やこの富山城に参陣していた願海寺(がんかいじ)城主・寺崎盛永(てらさきもりなが)が敵を(あなど)るような反応を見て、この時に軍勢に加わっていた織田信隆(おだのぶたか)が配下・丹羽隆秀(にわたかひで)は月岡野に陣取る敵の様子から両名を諫めるように言葉をかけた。


「敵の備えを見るにあれは逆茂木(さかもぎ)(こしら)え堀も浅く掘ってありまする!あのような構えの敵に攻め掛かるなど自殺行為にござる!」


「何を言う!兵の数はこちらが勝っておる!あのような逆茂木など打ち倒してくれよう!出陣せよ!」


「おぉーっ!!」


 隆秀の諫言を意に介さずに職鎮は出陣を決断。これに物見櫓の下にいた将兵たちが反応して(とき)の声を上げ、やがて城内に法螺貝が鳴り響くと同時に職鎮、それに椎名景直(しいなかげなお)らの軍勢一万ほどが悠然と出陣していったが、この時不気味な予感を抱いていた隆秀は軍勢の後陣に留まり、戦の成り行きを見守るのであった。




 一方、職鎮らが目指す月岡野の一帯、そこには金森可近(かなもりありちか)新発田長敦(しばたながあつ)ら幕府軍によって簡易的な野戦築城が為されていた。兵たちが前日に拵えた逆茂木の後ろにて馬に(またが)っている長敦の元に可近が馬に乗って近づき、その姿を見た長敦は可近に対して言葉を返した。


「おぉ可近殿、こちらは万全にござる。」


「それは結構にございます。」


 長敦の言葉を受けて柔和(にゅうわ)な表情を見せた可近は言葉を返すと、逆茂木の向こうに顔を向けてその方角からやってくるであろう敵の動向を踏まえて長敦に言葉をかけた。


「物見の報せではどうやら敵は打って出て参るとの事。こちらの武器弾薬を気にせず、思う存分敵に矢玉を浴びせてくだされ。」


「承知した。」


 この長敦の返答を聞いた可近はこくりと頷いた後、馬首を返して自陣の所へと帰っていった。やがてその月岡野の一帯に職鎮ら上杉方一万の軍勢が姿を現し、ここに「月岡野の戦い」の火蓋が切って落とされることになった。月岡野に到着し敵が防備を固めている様子を見た職鎮は、馬上から軍配を振るって味方の足軽に下知を飛ばした。


「かかれぇ!敵の柵を薙ぎ倒せ!」


 この職鎮の号令を受けた足軽たちは喊声(かんせい)を上げた後に勢いよく敵の幕府陣地に攻め掛かっていった。これを逆茂木の中で見ていた可近は腰に差していた打刀を抜くと、馬上から頃合いを見計らって目の前にて待機している鉄砲隊に斉射を命令した。


「…放て!!」


 この号令を受けた鉄砲隊は一斉に引き金を引いた。するとその放たれた弾は今までの火縄銃とは違い真っすぐ敵の足軽へと飛んでいき、そして命中すると敵の身体に大きな損害を与えて確実に葬り去った。この射撃を受けた職鎮配下の足軽たちがその場で足踏みすると、その様子を見ていた職鎮が馬上から味方を督戦するように呼び掛けた。


「怯むな!このまま進めぇ!」


 職鎮の督戦を受けた足軽たちは気を取り直して前に進み始めたが、その直後に再び火縄銃の玉が飛んできて味方を一人、また一人の確実に打ち抜いていった。この様子を前線部で兵たちに交じって見ていた盛永は、あり得ない速さで撃たれてくる火縄銃の様子を見て馬上で恐れ戦いていた。


「な、こうも早く火縄銃が打てるのか!?」


 盛永が馬上で言葉を発した次の瞬間、盛永の胴体を一発の銃弾が貫いてそれを受けた盛永は衝撃の弾みで馬上から落馬。そのまま絶命したのであった。この盛永同様に幕府方へと攻め掛かっていった足軽たちは火縄銃の正確な射撃の前にバタバタと倒れていき、それを逆茂木の中から見ていた長敦は近くにいた弟の五十公野治長(いじみのはるなが)に目の前で放たれている火縄銃の事について語った。


「ほう…これが試験的に投入された改良火縄銃の威力か。」


「うむ。何でも秀高(ひでたか)殿の元の南蛮人が開発したとの事で、我らの元にも数百丁ほど回されてきておる。」




 実はこの時、飛騨方面に派遣されてきた幕府軍の元には、高秀高(こうのひでたか)の庇護を受けている中村貫堂(なかむらかんどう)が開発した火縄銃が配備されていた。その火縄銃とは銃身の中を施条(しじょう)…即ちライフリングを施し、更にはそれに対応した新たな弾丸である椎実玉(しいのみだま)を用いて発砲する物であった。更には大高義秀(だいこうよしひで)らが独自に開発していた未熟なフリントロック式を完全に改良したものが装備されており、今までの火縄銃とは大きく違う事を実戦で使っていた長敦らは大きく実感していた。




「それに敵への打撃も今までの火縄銃と比べ物にもなりませぬ。まこと、秀高殿は恐ろしいものを開発なさったものだ…。」


「うむ…秀高殿が敵でなくて良かったと改めて思うわ。」


 目の前にて放たれている火縄銃の威力をまざまざと見せつけられていた治長と長敦は、少し身震いするような感情を覚えた。それも無理はない。もし上杉家の家臣として秀高と相対し、この火縄銃の威力を目の当たりにすればなすすべもなく命を落とす事は目に見えていたのだ。それが今、秀高の味方として命が繋がっている現状を長敦らは恐ろしくも有難く思っていたのである。その一方、火縄銃の射撃を浴びせられている職鎮らの兵たちの損害は段々と増えていき、僅かな間に千ほどの死体を幕府軍の前に積み上げていたのである。


「ええい、敵の矢玉を恐れるな!一気に攻め掛からずしてどうする!」


「しかし、敵の火縄銃は威力凄まじく、こちらの死傷者は増えるばかりにございまする!」


 余りにもふがいない味方の戦いように職鎮がその場で怒ると、職鎮配下の侍大将が味方の劣勢を裏付けるような言葉を職鎮に返した。それを聞いた職鎮は馬上から目の前の光景に視線を送ると、続々と倒れていく味方の姿を見て段々と敗色が濃厚なのを感じ取っていったのである。


「くそっ、何たるざまだ…よもやここまでの被害を…」


 職鎮が馬上で手綱(たづな)を強く握りしめて悔しがると、そこに後陣から隆秀がやってきてこの場で悔しがっている職鎮に対し務めて冷静に撤退を進言した。


「職鎮殿、もはや大勢は決しておりまする。ここは何卒撤退を。」


「…ええいっ、退けっ!」


 ここに至って職鎮は味方に対して撤退を下知。職鎮らの軍勢は幕府軍に対して一太刀を浴びせる事も出来ずに千五百ほどの死者を出して撤退に追いつめられたのだった。そんな撤退を始める職鎮・景直らの軍勢の側面に新たな軍勢が現れた。


「おぉ、丁度良いところに参ったわ。あれに見えるは逆臣・小島職鎮の旗印!」


 この軍勢こそ事前に可近から要請されて側面攻撃に馳せ参じた池田(いけだ)城主・寺島職定(てらしまもとさだ)の軍勢二千ばかりである。馬上にて職定が憎き職鎮の旗印を見止めると、手にしていた槍を掲げて背後にいる味方の軍勢に対して勢いよく呼び掛けた。


「者ども、敵は手負いの奴らばかり。一気に攻め立てて武功を立てるぞ!」


「おぉーっ!!」


 この職定が言葉を受けた軍勢は喊声を上げた後、撤退していく職鎮らの側面を突いた。この攻撃は正に不意打ちとも言うべき物であり、攻撃を受けた職鎮らが軍勢は混乱状態にたたき落とされたのであった。


「おぉ、あれは池田城の寺島殿が軍勢か。」


「兄上!ここは我らも攻め立てましょうぞ!」


 寺島勢の攻勢を逆茂木の中にて見つめていた長敦に対し、治長が出陣を促すとそれを聞いた長敦はこくりと頷き、配下の足軽から槍を受け取ると逆茂木と逆茂木の間にあった細い道の前に進んで配下の将兵たちに呼びかけた。


「よし、これより敵めがけて前進する!槍、刀を携えて敵陣に斬り込むぞ!」


「おーっ!!」


 この呼び掛けを聞いた新発田勢の足軽たちは、鉄砲隊を逆茂木の中に残して歩兵・騎馬の両部隊が長敦らと共に逆茂木の中から打って出て撤退中の職鎮ら上杉勢の背後を突いた。これに金森勢も続いて乱戦状態となると、もはや混乱状態になっていた職鎮ら上杉勢に分は無く、足軽たちは次々と打ち倒されていった。


「むっ!?貴様は…椎名景直か!」


「ほ、本庄繁長(ほんじょうしげなが)…。」


 その乱戦状態の中で、新発田勢の中にて戦いを繰り広げていた繁長が敵の首魁の一人である景直の姿を見止めた。この景直、繁長からすればかつての主君・上杉輝虎(うえすぎてるとら)の一門格であり格上の存在でもあったが、今や上杉家を離れた繁長にとっては何も遠慮なく戦える相手として相対していた。


「かつてはそなたと同じ上杉の家臣であったが、今は容赦せぬ!その首貰った!」


「ひ、ひぃっ!」


 繁長はそう言うと恐れ(おのの)いている景直へと馬を駆けさせ、すぐさま一刀のもとに景直を斬り捨てた。景直は繁長からの一太刀を浴びるや(うめ)き声を発した後にもんどり返るように落馬。そのまま下馬した繁長によって首を取られたのであった。


「椎名景直、本庄繁長が討ち取ったぞ!」


 首を取った繁長が再び馬に跨った上で名乗りを上げると、これを聞いた幕府方は更に勢いづくように喊声を上げた。一方、この名乗りを乱戦の中で聞いていた職鎮は攻め寄せる敵兵を切り伏せた後に馬上で歯ぎしりするように言葉を発した。


「お、おのれ…景直殿が討たれるとは…!撤退じゃ!富山城まで下がるぞ!」


 職鎮はそう言うと馬首を返して戦場から離脱していった。これに配下の足軽たちも続いて離脱していったが、結果的にはこの戦は職鎮らの大敗となった。職鎮や隆秀などは運良く戦場からの撤退に成功したものの、討死した者は幕府方は百余り、一方の上杉方は二千五百余りにも昇る大打撃を被ったのであった。この戦いによって越中国内の情勢は一変。一気に幕府方に流れが傾く結果となり、この大勝を活かして金森・新発田ら幕府軍は越中国内の反乱鎮圧に従事する事になるのであった…。





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