1572年7月 東国戦役<北陸道side> 鈴木重泰調略
康徳六年(1572年)七月 加賀国鳥越城
康徳六年七月二十三日。東海道において鎌倉府傘下の諸大名軍と徳川家康配下の諸将が駿河において死闘を繰り広げていた頃、北陸道を上杉輝虎が本国・越後に向けて進軍していた畠山輝長指揮する幕府軍は、その途上の加賀で発生した一向一揆鎮圧に時間を費やしていた。幕府軍は七月十九日より加賀に入国すると下間頼照が入る大聖寺城を拠点に一向一揆に加担した諸城の攻略を開始。二十一日には打越城を攻め落としてこの日までには一揆勢の主将の一人である徳田重清攻めに取り掛かっていた。
「止まれ!貴様ら何者か!」
その攻め寄せられている重清が居城・岩淵城より山向こうにあるここ、鳥越城に一人の来訪者が訪れた。来訪者の姿を見て門番に立っていた一揆勢の兵が槍で前を阻んで素性を尋ねると、尋ねられた来訪者は被っていた笠を取って自身の名を名乗った。
「我が名は鈴木佐太夫重意である。城主・鈴木出羽守殿にお目通り願いたい。」
「生憎ながら、出羽守殿は何者にも会われぬ!疾く立ち去れ!」
門番の兵がそう言って重意を追い払おうとすると、丁度そこに城の見回りを行っていた城主の鈴木出羽守重泰が現れた。重泰は冠木門の向こうに立っていた重意の姿を見止めると、その場に立ち止まって反応した。
「…む、そなたは!」
「出羽守様!何やら怪しい男がお目通りを願っていて、今追い払おうとしておる由にございまする。」
城主である重泰の姿を見た門番が重泰に近づき、今までの経緯を語ると重意の事を見知っていた重泰は門番に対して手を振って否定するように言葉を返した。
「いやいや、この者は我が一族でその名も知る佐太夫殿だ。まるっきり怪しい者ではない。ささ、中に入られよ。」
「ははっ。」
重泰の言葉を受けた重意は冠木門を潜り、呆気に取られている門番をよそに重泰の案内を受けた。その後重泰は重意を連れて鳥越城の本丸館へと連れて行くと、中の居間へと通してその中で単刀直入に用向きを伺った。
「…さて、こんな山奥の山城に、わざわざわしの顔を見に来ただけではあるまい?」
「恐れ入りまする。単刀直入に申せば、此度は管領・畠山輝長殿の使いで参りました。」
重泰から用向きを尋ねられた重意は、即答するように用向きを語った。一揆勢に加担する重泰からすれば、同じ鈴木氏の一族でもある佐太夫重意が幕府軍の陣に加わっている事は耳にしており、言わば敵味方に分かれていたこの現状を揶揄するように重泰は重意に言葉を返した。
「…単身敵地に乗り込んでくる以上、それ相応の目的だとは思っていたが、よもや懐柔であるとはな。」
「出羽守殿。貴殿の生まれは我らと同じ紀州雑賀。言わば同じ同族にございまする。何故出羽守殿は門主様(顕如)の意向に反し七里頼周が誘いに乗って一揆に加担なされたのか?」
重泰と重意。この両者は祖先が同じ一族でありながらそれぞれ別々の立場に別れていた。重意は雑賀衆の頭領でもあり彼らを統率する輝長に従ってこの戦に従軍していた一方、顕如の命で遠き加賀に赴いて鳥越城を築いた重泰は、頼周の命に従って一揆軍の陣幕に加わっていた。その理由を重意から尋ねられると、重泰は少し苦悶の表情を浮かべながら返答した。
「七里殿はここ加賀の一向宗が元締め。その元締めが一揆を起こすというのならばそれに従うが筋であろう。」
「それが門主様の意向と違っていても?」
門主・顕如が以降の事を重意が持ち出して言葉を返すと、重泰は苦悶の表情を浮かべながら目の前の囲炉裏に置いてあった鉄瓶を見つめつつ言葉を重意に返した。
「貴殿は実感が無いであろうが、我らは門主様より七里殿に恩を預かっておる。七里殿の意向には誰も逆らえんのだ。」
「では…これを見てもにござるか?」
そう言うと重意は懐から一通の書状を取り出し、それを重泰に手渡しした。これを受け取った重泰が書状に目を送ると、書状の筆跡を見た重泰が青ざめるように驚いて声を上げた。
「これは…門主様の真筆!」
「如何にも。此度門主様は出羽守殿に対し、自ら筆をお取りになって書状を書き記しておりまする。」
これを聞いた重泰はその場ですぐさま書状の封を開け、中に収められた手紙を広げて中身を拝見した。見るとその中には顕如の筆跡で重泰に対しこのような文面が書かれてあった。
『鈴木出羽守重泰 書を謹んで記す。貴殿は七里が誘いに乗って、加賀にて一揆に加担せる事存じおり候。七里頼周、我が意を軽んじ何者かの煽動に乗って徒に一揆を起こす事不届き至極。出羽守が生家・鈴木氏は代々一向宗の門徒にて本願寺を支える檀家にて候なれば、この七里が独断に乗るは本願寺に背く行為にて候。宜しく我が意を汲み取り、独断専横を行う七里を討伐すべし。 顕如』
この書状が指し示す物とは即ち、重泰に対して恩ある頼周を裏切って幕府軍に加勢せよというような内容であった。これを見た重泰は手紙をその場で折り畳みながら目の前に座している重意に対して手紙の内容を踏まえた言葉を返した。
「…門主様はこの私に七里殿を裏切れと申すのか?」
「我ら一向門徒にすれば、この言葉は玉音にも等しい物。その門主様が申されておる以上、これに逆らうは破門を待つのみにござる。」
重泰を説得しに来た重意も、そしてこの書状を見た重泰も同じ一向宗徒であり、両者にすれば顕如の言葉や書状というのは玉音…即ち帝の言葉に等しい物であり、これに逆らう事は出来なかったのである。その顕如から一揆軍を離反するよう促す書状を受け取った重泰に対し、重意はダメ押しをするようにその場で頭を下げ、改めて重泰に頼み込むように言葉を発した。
「出羽守殿、ここは何卒、幕府軍に鞍替えし一揆の鎮圧に加担していただきたい。」
この言葉を聞いた重泰は綺麗に折りたたんだ顕如からの書状をその場でしばらく見つめると、視線を顕如の諸城に向けながら言葉を重意に対して返した。
「…我らは確かに七里殿に恩を預かってはおるが、門主様はそれとは別に信仰する一向宗その物。門主様がお言葉には逆らえぬ。」
「それでは…」
重泰が言葉を聞いて重意が反応すると、重泰は顔を上げて重意と顔を合わせた後に頭を下げて言葉を発した。
「事ここに至っては仕方がない。この鈴木出羽守、謹んで幕府方に恭順しよう。」
「おぉ、それは良きご決断にござる。」
重泰から色よい返事を聞いた重意がその場で喜んだ反応を見せると、重泰は頭を上げた後に幕府方への帰順の条件ともいうべき事を重意に告げた。
「ただしこちらも条件がある。こちらが幕府に恭順するは小松城や岩淵城の落城の後である。それまでは一揆勢として動くゆえ、その事を心しておかれよ。」
「ははっ。その旨、謹んで管領殿にお伝えいたしまする。」
兎にも角にも重泰から内応の確約を得ることに成功した重意は、その足で輝長が陣に戻って事の次第を報告した。これを聞いた輝長はその日より一揆勢への攻勢を強め、翌日には小松城、そして二十六日には岩淵城を攻め落として重清の首を上げた。これを見た重泰はこの日をもって一揆勢からの離反と幕府勢への加勢を表明し、ここに加賀での一揆鎮圧は大きく進むことになったのである。




