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1572年7月 東国戦役<秀高side> 秀高出陣



康徳六年(1572年)七月 山城国(やましろのくに)伏見城(ふしみじょう)




 その日の夜、将軍御所での謁見を終えた高秀高(こうのひでたか)はそのまま居城の伏見城へと帰還。そこで夕食を筆頭家老の三浦継意(みうらつぐおき)や正室の(れい)静姫(しずひめ)たち、そして京にいる秀高の幼子たちを(とく)と共に面倒を見ていた次子の高秀利(こうのひでとし)などと一緒に摂り、その場で秀高は継意に対し将軍御所での会話の内容をつぶさに告げた。


「そうですか、兄はそのような…。」


「無論、何事もないのが一番良いんだが、信隆(のぶたか)が関わっている以上はその見通しは少ないだろうな。」


 秀高から昼間に将軍・足利義輝(あしかがよしてる)とのやり取りをすべて聞いた義輝が妹でもある詩姫(うたひめ)が表情を曇らせながら反応すると、秀高は不安な面持ちを見せる詩姫を気遣うような言葉をかけた後に、継意の方を振り向いて万が一に備えた対策を確認した。


「継意、もし万が一の事があった場合に備えて兵力は置いていくつもりだが、これから回されてくる和泉(いずみ)淡路(あわじ)の将兵九千弱で足りるか?」


「何、十分過ぎるほどにござる。」


 秀高からこの伏見の守備を尋ねられた継意は自信たっぷりに返答を返し、自身が築城に携わった伏見城を信じている気持ちを秀高に伝えた。


「殿が御造りになられたこの伏見城を、誰よりも知っているのは普請奉行でもあったこのわしにござる。たとえ万余の兵が攻め寄せようとも、半年は持ちこたえてみせましょうぞ。」


「そうか。それは頼もしいな。」


 この継意の返答を聞いた秀高は心の中にあった一抹(いちまつ)の不安が消え去ったかのように喜び、同時に継意に対して万が一に備えた伏見城の防備に対しての事を伝えた。


「継意、一応兵力を連れてくる秀吉(ひでよし)勝豊(かつとよ)もこの伏見に詰めさせておく。三人と話し合って万が一に備えての対策を水面下で進めてくれ。」


「ははっ、お任せくださいませ。」


 ここに秀高が出陣した後の伏見城は、筆頭家老でもあり伏見城代の役を兼ねる継意が守将となり、その副将に高浦秀吉(たかうらひでよし)柴田勝豊(しばたかつとよ)の両名が付けられる体制が取られる事となった。この体制を秀高より命ぜられた継意が目の前の御膳を脇に避けて頭を下げると、それに関連したある事を秀高に尋ねた。


「殿、それと万が一に備え、(よど)のお方(細川輝元(ほそかわてるもと))の身柄は何となさる?」


「淀か…何か不穏な動きでもあったか?」


 先の秀高上洛以降に三好家(みよしけ)と内通し高家の追い落としを謀った細川京兆家(ほそかわけいちょうけ)の当主であり、現在は淀城に軟禁状態となっている輝元の処遇を尋ねられた秀高が、それを聞いて来た継意にその訳を尋ねると継意は秀高の前に一つ近づいて淀近辺で起こったある騒ぎを伝えた。


「…実はここだけの話にございまするが、淀に来訪した一人の僧侶が懐に密書を忍ばせてあったと政貞(まささだ)より報告がありました。中身を改めると差出人は覚慶(かくけい)殿。してその中身は…」


 そう言って継意が秀高に差し出したのは、実際に淀を訪れたその僧侶が懐に忍ばせてあった密書で、秀高がそれを受け取って中身を見てみると、中身はごく普通のご機嫌(うかが)いと仲がこじれていた幕府との関係取り成しの書状であったが、よく見てみると巧妙にある言葉が秘められていた。その中身は以下の通りである。




————————————————————————————

我、謹んで輝元殿に書状をお送りする。既に幕府は兄

らによって中興の道を歩んでおり、これを見れば先祖

により良き報告が為せるものと信じておる。輝元殿も

御中健やかに過ごされているものであり、その一門一

味も幕府内にて栄誉に授かっておる。幕府は先般、当

方と仲を悪くし、我も仲を悪くすれど幕府再興の志は

ある。輝元殿も幕府やその重臣達に対し胸中(わだかま)りが在

るとは思うが幕府の為にも、先祖の為にも仲を修繕す

べく間を取り持ちたいと思う。何卒輝元殿には取り成

しを受けて頂きたく思う物也。

————————————————————————————




 この、縦に「我らにお味方あるべし」との文字を見た秀高は眉をピクリと動かした後に、監視の任を請け負っていた浅井政貞(あざいまささだ)によって未然に防がれたとはいえどこの書状が輝元の元に届けられた事実を受けて、書状を折り畳みながら指し出してきた継意に対して声色を変えずに言葉を返した。


「そうか…ならば仕方がない。継意、万が一の事が起こった際につき、淀の処分はお前に一任する。好きに処分しろ。」


「ははっ、心得ました。」


 秀高より万が一に際した輝元の処分を託された継意は、その場で頭を下げて承諾した。するとそれまでの会話を聞いていた玲が不安な面持ちで秀高に尋ねた。


「秀高くん…でも本当にそんなことが起こるのかな?」


「…ここにいるのは(ほとん)ど身内だし、俺も正直な事を言うが、起こる起こらないの確率は、どちらも半々といったところだろう。」


「父上、もし起こった時の対策を伺いとうございます。」


 と、この伏見に留まっていた秀高の次子、高秀利(こうのひでとし)が父・秀高に対して万が一が起こった際の対応を単刀直入に尋ねた。すると秀高は秀利の方を振り向き、同時にその場にいた継意に対してこの伏見城が執るべき方策を伝えた。


「一応、この伏見城は継意によって防衛力を限りなく高めた城砦になっている。当面はここに逃げ込んできた者を(かくま)い、攻めてきた者を跳ね除けつつ、俺たちが前線から戻ってくるまでの時間稼ぎが主となる。」


「父上、ならば某も功を立てられる前線に向かいとうございます。」


「…それは駄目だ。」


 秀高からの方策を聞いた秀利が戦功を(はや)るような言葉を秀高に告げ、それを耳にした秀高は即座にその提案を拒否した。するとその言葉を聞いた秀利は父の言葉に声を荒げて反応した。


「何故にございますか!父上はこの私に初陣を逃せと仰られるのですか!?」


「そうじゃない。お前をここに残すのは俺の代わりに玲たちを守る役目を託すからだ。」


「…母上たちを?」


 声を荒げた秀利を宥めるように秀高は秀利を残すその意味を伝えた。秀利は父から自身の母でもある玲たちを守る役目を伝えられるとそれまでの怒りを鎮め、それを見た秀高は改めて秀利に向けて伏見に残す理由を語った。


「万が一の際の采配は継意ら家臣たちが揮うが、お前はまだ初陣だ。敵が攻めてきた際に城に籠り、敵と戦う事もまた立派な初陣になるじゃないか。それにこの玲たちを初め女性陣は、戦になれば矢玉を恐れず城内にて味方の補佐に従事するだろう。そうなった時に玲たちを敵から守れるのは、子供たちの中でも武勇に優れたお前しかいないんだ。」


「父上…。」


 秀高は出陣する自分に代わって、矢玉の前に立つおそれのある玲たちを守る役目を秀利に託したのである。その理由を真正面から受け取った秀利は父の顔をじっと見つめ、その姿を見た秀高は秀利の血気に逸る言動を(たしな)めるように言葉をかけた。


「秀利、お前はまだまだ若い。実戦に立って戦の指揮を振るうこの先機会はいくらでもある。だからこそここはこの父の意を汲んでくれないか?」


「…承知いたしました。そのお役目、必ずや果たして見せまする!」


 秀高の言葉を聞いた秀利は一拍間を置いた後、父の期待に応えるような勇ましい返答を秀高に返した。その意気込みを見て満足そうに微笑んだ秀高は首を縦に振って頷き、続いてこの伏見に残る玲や静姫たち正室一同の方を振り向くと、代表して玲に向けて言葉をかけた。


「玲、くれぐれも無理だけはするなよ?それに皆もな。」


「ふふっ、その心配なら要らないわよ。」


 と、その秀高に対して言葉を返したのは玲の隣にいた静姫であった。静姫はその場にいた詩姫や小少将(こしょうしょう)、それに春姫(はるひめ)の顔を一通り見まわした後に秀高の方を振り返り、秀高に心配を掛けさせないような返答を返した。


「例えどんな事態になろうと、私たちは高秀高の妻として凛として振舞うわ。」


「うん。だから秀高くんも何も気にせず、輝虎さんとの戦いに専念してね。」


 静姫の後に玲が秀高を鼓舞するような言葉をかけ、それを詩姫や小少将、春姫が首を縦に振って頷いた。それらの反応や二人の言葉を受け止めた秀高は自分も鼓舞されたかのように気持ちを明るくさせると、にこやかに微笑んで首を縦に振った。


「あぁ。わかった。じゃあ今日は出陣の前祝いに飲むとするか。」


「うん。」


 この玲の返答を聞いた秀高は玲に銚子を差し出し、玲は盃を取って酒を注いでもらった。その後秀高たちは互いに酒を酌み交わして一夜を過ごしていったがそれはまるで今生の別れの盃と言うにはほど遠く、どこか互いの健勝を祈るかのような華やかな宴となったのである。そして七月二十日、遂に秀高は後詰の諸大名の軍勢と共に京・伏見を出立し、一路東海道(とうかいどう)を進んで徳川家康(とくがわいえやす)領の三河(みかわ)遠江(とおとうみ)へと向かって行ったのである…。





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