1572年8月 東国戦役<東海道side> 捕虜交換交渉
康徳六年(1572年)八月 駿河国駿府
花沢城の戦いに敗北した鎌倉府勢は駿府へと後退し、その満身創痍ともいうべき鎌倉府勢の元に一人の外交僧が訪れた。この外交僧こそ高秀高が家臣・北条氏規の家臣でもあり事前に徳川家康が元に遣わされていた板部岡江雪斎その人であった。江雪斎は旧今川館に張られた鎌倉府勢の本陣を単身訪れると、大将である扇谷上杉当主・上杉憲勝に対し単刀直入に用向きを伝えた。
「…開城するだと?」
「如何にも。当方は花沢城より去って大井川まで下がりまする故、何卒親永殿の身柄を貰い受けたく。」
江雪斎が憲勝に伝えた内容を聞いて、陣幕の中にいた犬懸上杉当主・上杉虎憲や家宰の大石綱元らは面を食らったような表情を見せていた。というのも敵である鎌倉府勢を撥ねのけた花沢城をこちらに開城する代わりに、こちらが捕縛した関口親永の身を貰い受けたいという突拍子もない申し出であったからである。無論、その内容を聞いた憲勝は即座に反論を述べた。
「これは異なことを聞く。何故親永の身一つで敵を見過ごさねばならぬのだ?」
「…聞けば、あなた方は関東管領(上杉輝虎)より先陣として駿河平定を命じられていたはずでは?」
自身に突っかかるように反論して来た憲勝に、江雪斎はかまをかけるようにこう尋ねた。無論江雪斎にしてみれば相手の心を揺さぶるべく放った一言ではあったが、それが事実であった憲勝は肝を冷やしながら逆に江雪斎に尋ねた。
「どこでその情報を仕入れた?」
「その反応…ではこの情報は真という事ですな?」
この反応を見た江雪斎は自身が述べた情報が真実であると悟ると、相手からの譲歩を引き出すべくその真実に沿うような脅しを憲勝やその場に居並ぶ諸将に向けて告げた。
「先の興国寺城の戦い以降、そちらは不要な損害を強いられており、先日の花沢城の戦いでも大将首を数名失ったほか数千名の戦傷者を抱えておると聞いてございまする。これを聞けば、いずれこの地に参る輝虎殿は何と仰せられるでしょうな?」
「我らを脅すと申すか!?」
この江雪斎の言葉を聞いていた太田虎資が床几から立ち上がって馬鹿にしてきた江雪斎に反論すると、その怒りを見た江雪斎はその怒りを鎮めるように虎資を宥めた。
「まぁそうお怒りなさるな。この和睦は貴殿らの身の上を慮ってのことにございまする。もしここで和睦を蹴って力攻めを行えば、当方はより堅固に補修した花沢城で貴殿らの軍勢に再び大打撃を与えまする。そうやって日数を徒に過ごせば、それこそ貴殿らの立場も苦しくなるでしょう?」
「…」
この言葉を、誰よりも身につまされる思いで聞き入っていたのは他ならぬ憲勝であった。憲勝が当主を務める扇谷上杉は言わば上杉宗家と目される山内上杉とは格の違いがあり、当主でもある輝虎の存念次第では家すらも消し飛ばされるほどの差があったのだ。ましてやここまで大敗を喫した以上は輝虎の怒りを買うのは想像に難くなく、なおも警戒心を強める綱元とは対照的にじっくりと江雪斎の言葉を聞き入っていたのである。
「なればこそ、親永殿の身柄一つで大井川以東の駿河全域が手に入るという申し出は、貴殿らにとって渡りに船の申し出であるはず。受け入れる以外の選択肢は貴殿らには無いと思いまするが?」
「…良かろう。」
「憲勝殿!?」
江雪斎の言葉を聞いて憲勝が納得するような言葉を述べると、それを聞いて綱元は大いに驚き憲勝を制止するように声をかけた。すると憲勝は声をかけて来た綱元に軍配を差し出して言葉を止めさせると、目の前に座す江雪斎に対して開城と捕虜交換の条件となる補足を付け足した。
「ただしこちらからも条件がある。親永が身柄を引き渡すのは、そちらが花沢城を捨てて大井川以西に下がってからとする!それが最低条件だ!」
「畏まりました。その事ならばお任せくださいませ。」
この条件を聞いた江雪斎は務めて冷静に返答すると、やがてその場で誓詞血判のやり取りが交わされた。憲勝と虎憲の血判が押された開城命令書を手にした江雪斎は憲勝に対して合掌しつつ挨拶すると、その命令書を片手にその場から去っていった。やがて江雪斎が陣幕から去っていった後、その場にいた綱元が憲勝を詰問するように言葉を投げかけた。
「憲勝殿!あのような交渉を飲んではそれこそ管領殿に何と言われるか!」
「では逆に聞くが、ここまでの戦で我らはどれくらいの兵と将を失ったと思うか?」
その言葉を聞いた綱元は言葉を返せずにその場で言い淀んでしまった。ここ一ヶ月の間で鎌倉府勢は徳川方の駿河国内の諸城を落とすのに合わせて万にも昇る戦傷者を出してしまっていたのだ。これから控える秀高や家康との決戦の前に大いに兵力を仕損じた現状を憲勝は自身に問うてきた綱元に対して強い言葉を返した。
「亡くなった将は数十名、兵に至っては万にも昇る。これを数十日の間で負ったのだぞ?これ以上戦えば我らの死もあり得る!」
「…それに、此度の申し出は向こうから申し出てきたこと。敵が城を開け渡すというのならば喜んでそれを飲んでやろうではありませぬか。」
「資正殿まで!?」
この状況において資正も憲勝に賛同するような意見を述べた。確かに結果的には花沢城の開放によって当初の目標であった駿河国内の平定は達成し、徳川との前線を大井川以東まで押し上げることが出来るのである。それが親永の身柄と交換で達成されるのであれば安い物だと資正や憲勝も思っていた。こうしてその数日後の八月三日、花沢城より徳川軍の退去を確認した鎌倉府勢は約束通り江雪斎に親永の身柄を引き渡したのだった。
「親永殿、ご無事で何より。」
「うむ…よもや秀高殿に助けられようとはな…。」
今川館跡の地下牢より解放された親永を出迎えた江雪斎に対し、親永は申し訳なさそうに言葉をかけた。すると江雪斎は親永に心配を掛けさせないように即座に言葉を親永に返した。
「貴方はご嫡子・高康殿養育の要たるお方。ここで失うわけには行かぬと秀高殿や家康さまのご意向にございまする。」
「左様か…太守、未だそちらには参れませぬ故、どうかお許しを。」
この時、親永の懐には持船城開城の際に持ちだした今川家先祖代々の位牌が忍ばせられていた。親永は位牌の収められている胸元の位置を強く抑え、泉下の今川義元に言葉を送るように呟くと、江雪斎と共に駿府から速やかに去っていった。ここに鎌倉府は駿河平定という第一段階を達成したがその代償は決して少なくなく、やがて箱根の山を越えて里見・千葉・結城といった房総三ヶ国の軍勢が駿河に着くと、損害の大きい大森・三浦が軍勢を筆頭に後方へと下がっていったのである…。




