1572年7月 東国戦役<東海道side> 花沢城の戦い<前>
康徳六年(1572年)七月 駿河国持船城
七月三十日。三日間の鎌倉府側の軍勢との攻防の末に本丸以外の曲輪を失陥した持船城主・関口親永は寄せ手の軍勢に降伏開城を宣言。これを受け入れた扇谷上杉当主・上杉憲勝は降伏した親永を縄にかけ、寄せ手の本陣へと連行させたのであった。
「貴殿が関口親永殿か。」
「…如何にも。」
持船城下に設けられていた鎌倉府勢の本陣。そこに縄をかけられ虜囚の身となった親永は引き出されて床几に腰を下ろす憲勝と犬懸上杉が当主・上杉虎憲と面会した。その両脇に両家の家臣が居並ぶ中で憲勝は地面に腰を下ろして正座する親永に憎悪の目線を向けながら言葉をかけた。
「貴殿が今川氏真公を裏切り、徳川家康に尻尾を振って駿河を売り渡したことを関東管領(上杉輝虎)殿は殊の外お怒りである。」
「…」
憲勝が自身に憎悪の視線を向けながら話す言葉を、親永はただ黙してじっと聞き入っていた。その態度を見て内心沸々と怒りがこみあげて来ていた憲勝は、務めて冷静に振る舞いながら虜囚となった親永の処分を本人に伝えた。
「本来ならばここで打ち首にしたいものだが、関東管領殿にその最期を見せてこそ意義があるもの。よってしばらくは牢に入って関東管領殿の着陣を待ってもらう。」
「わしの命を取らぬと?随分悠長なことをする物よ。」
今の今までの成り行きで最悪首を撥ねられると覚悟していた親永は、憲勝からの処分を聞いてやや挑発するような語気を含めて憲勝に言葉を返すと、憲勝は頭に青筋を立てながら怒りを親永に見せずに語気を大人しめにして返答した。
「まあゆっくりと牢の中で過去の行いを悔いると良かろう。連れて行け。」
「…その方、くれぐれも徳川を見くびるなよ?きっと手痛い敗北を受けようぞ?」
憲勝の言葉を受けた足軽たちが親永を駿府の地下牢へと護送していくために親永を立ち上がらせた後、親永は捨て台詞を吐くように憲勝をじっと見つめて一言発した後、足軽たちに連れられてその場を後にしていった。するとその親永が去っていった後に憲勝は地団駄を踏むようにダンと地面を足で叩き、親永が去っていった方向を睨みつけながらようやく怒りをあらわにした。
「くそっ!本来ならばあのような言葉を吐かせぬつもりであったというに!」
「お怒りなさいますな。務めて冷静に。」
この憲勝の怒りを見た家宰・太田資正が言葉をかけると憲勝は資正に一回視線を送った後にその場で扇を広げてパタパタと扇ぎはじめた。その後一回深呼吸をした後に落ち着いた憲勝は、隣に座っていた虎憲に視線を向けながら今後の展望を語った。
「…だが、これで駿府一帯は確保できた。あとは山向こうの花沢城を攻め落とせば駿河の平定叶うわ。」
「しかし敵もそう簡単には渡してくれぬでしょう。」
これに資正の隣に座していた扇谷上杉家臣・上田朝直が言葉を挟んで意見すると、それを正反対の位置にて聞いていた犬懸上杉家宰・大石綱元が自信たっぷりに意見を朝直へ返した。
「なればこそ、ここは大兵を以て叩き潰すのみ。」
「畏れながら、花沢城はここより堅牢な縄張りを擁しておりまする。その様な楽観論は危険にござる!」
この頃、花沢城は城主・岡部長秋によって高秀高がいた元の世界以上に堅固な城砦として整備されていた。この堅固さを事前に察知していた資正が力攻めの危険性を説くと、憲勝はこの意見を苦々しく思うような表情を見せた後にその意見を似介さぬような言葉を諸将に告げた。
「…兎にも角にも、明日は日本坂峠を越えて花沢城に攻め掛かる。者ども、戦支度を整えておけ。」
「ははっ。」
「…」
この上杉憲勝と太田資正、共に扇谷上杉の主君と家宰という間柄ではあったが決して良好な関係とは言い切れず、輝虎に慮って家政の舵取りを行う資正を憲勝は内心鬱陶しく思っていたのである。とにかく鎌倉府勢は明日より花沢城への攻撃を決議し、その攻撃に備えて軍勢は持船城に入城し休息を取ったのであった。
翌七月三十一日。日本坂峠を越えた先にある徳川方の駿河国内最後の主要拠点・花沢城を扇谷・犬懸両上杉家主体の鎌倉府勢約二万が包囲。今まさに攻め掛からんとしていた。やがて始まるであろう城攻めを前に城内に籠る将兵四千五百は各曲輪に分散されて配置。各々の曲輪にて飛び道具を揃え逆茂木や馬防柵などの防衛設備を構築して城攻めに備えていた。
「敵は大軍ではあるが細長い山道を大勢では昇って来れぬ!鉄砲を放ったのちは後方に下がって弾込めを行い、その間弓や投石などで山道を登ってくる敵を迎え撃つのだ!」
「おぉーっ!!」
山城である花沢城へと続く一本の山道の先にある花沢城最初の防衛曲輪・九の曲輪において采配を揮うは、この城に入城し戦っていた青山忠門であった。その九の曲輪に対し攻撃を仕掛けようとしていたのは、扇谷上杉の家臣であり資正とは同族の江戸城主・太田虎資。かつて北条氏康の家臣でありながら北条家滅亡後に上杉家に鞍替えした太田康資、その人であった。
「行くぞ!かかれぇーっ!!」
その虎資の号令によって、山裾を上がって九の曲輪の冠木門が視界に収めていた鎌倉府勢は、冠木門へと続く一本の山道を破城槌を片手に昇り始めた。それを視界に収めた城方は構築された柵より鉄砲や弓をのぞかせると登ってくる寄せ手の鎌倉勢将兵に標準を合わせ、そして九の曲輪で采配を揮う忠門の号令一閃によって攻撃を開始した。
「放て!」
この号令に続いて城方から矢玉が寄せ手の軍勢へと降り注いでバタバタと倒れていき、それを見た寄せ手は一気に山の斜面を駆け上る羊肉の曲輪へと襲い掛かっていった。この攻撃と共にもう一つの入り口である八の曲輪へも攻撃が開始され、その戦端が開かれたのを伝令が本丸館にいた城主・長秋へと伝えるべく駆け込んだ。
「申し上げます!九の曲輪、八の曲輪に敵が攻め掛かって参りました!それぞれの曲輪は現在敵の攻勢に持ち堪えており、矢玉の催促を厳にしております!」
「うむ!直ちに両曲輪に弾薬を補給してやれ!」
「ははっ!」
長秋は伝令の報告を受けるとすぐさま下知を飛ばした。これを受けた伝令がその場から即座に踵を返して去っていくと、それを本丸館の広間の中で見ていた大久保忠員が長秋の方を振り向いて言葉をかけた。
「いよいよ始まったか。」
「はっ。ですがご案じなさるな。既に食糧は本丸の地下に土倉を設けその中に安置しておりまする。それに我が城の兵たちの錬度も安定しておる故そう簡単に突破はされませぬ。」
この時すでに長秋の命によって山城の花沢城の地下に簡易的な土倉が設けられており、その中に兵糧や武器弾薬の類はまとめて保管されていた。この備えを聞いて忠員が得心して床几から立ち上がり、外の様子を広間の中から窺うと、目の前の机を見つめていた長秋に対し尋ねるように言葉を投げかけた。
「そう言えば、小山城に早馬は放ったのか?」
「既に昨夜の内に派遣しておりまする。今日の攻城に間に合わせる為に正巳(10時頃)に小山城を発つよう松井忠次殿に申し述べておりまする。」
「となれば…包囲陣の背後を突くのは正午(12時頃)あたりか。」
忠員と長秋が会話を交わしていた内容こそ、この城攻めを行っている鎌倉府勢の背後を突くべく現れる小山城主・松井忠次が軍勢の事であった。その出現時刻を聞いた忠員は納得するように深く頷くと、踵を返して長秋の目の前に置かれた机へと近づいて言葉を長秋に返した。
「それまで持ち堪えるのは容易であろう。ただ敵には策士として名高い太田資正がおる。きっと後方の備えを厚くしておろうぞ。」
「その心配は無用かと。」
「何?」
忠員の懸念を聞いた長秋はその懸念を払拭させるべく床几から立ち上がると、忠員を連れて館の外にある縁側へと出て、そこから見える外の風景を指差しながら敵の布陣の穴を忠員やその兄である大久保常源に説明した。
「ご覧あれ。敵の主軍である扇谷上杉の本陣は石脇の古城跡に置いておりまするが、その後方はがら空きでござる。これでは松井勢が瀬戸川を越えた後に気付いたとしても、その対応は大いに遅れる事は必須。そうなれば…」
「こちらも城から打って出て、逆落としで山麓に攻め掛かり戦功を上げることが出来る。という訳か。」
忠員が縁側から見える遥か遠方に広がる寄せ手の鎌倉府勢の布陣を見て得心がいった。確かに見える限りでは扇谷上杉の本陣と思しき石脇城址の小高い丘の後方に軍勢の姿か確認できなかった。これを確認してから発言した忠員の言葉を聞いて長秋はこくりと頷いて言葉を発した。
「如何にも。その為にもまずはこの攻勢を凌ぎ切らねばなりませぬな。」
城主である長秋は忠員に対して自信たっぷりに返答した。この長秋の自身は的中しそれからの寄せ手の攻勢を城方は完璧に寄せ付けず、寄せ手の鎌倉府勢に死体の山を築かせていった。そうして徒に時を費やした数刻後の正午、扇谷上杉の本陣がある石脇城址後方に流れる瀬戸川の対岸に、徳川が家紋である「三つ葉葵」を掲げた一つの軍勢が姿を現したのである。