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1572年7月 東国戦役<東海道side> 関口親永の決意



康徳六年(1572年)七月 駿河国(するがのくに)駿府(すんぷ)




 七月二十六日。前日に江尻城(えじりじょう)を激闘の末に陥落させた鎌倉府(かまくらふ)勢は駿河国の政治的中心地であるここ駿府を制圧。関口親永(せきぐちちかなが)によって焼き払われた今川館(いまがわやかた)の跡地に仮の本陣を置きそこで軍議を開いた。


「なんとか駿府までたどり着くことが出来たがここまで二十日以上かかっておる…当初の予定より遅れが生じておるわ。」


「如何にも…。」


 焼き払われた今川館の主殿の跡地に置かれた本陣の陣幕の中で、扇谷上杉(おおぎがやつうえすぎ)当主の上杉憲勝(うえすぎのりかつ)犬懸上杉(いぬかけうえすぎ)当主の上杉虎憲(うえすぎとらのり)に向けて話しかけた。するとこれに犬懸上杉家の家宰を務める大石綱元(おおいしつなもと)が憲勝に向けて駿河国内に残る徳川家康(とくがわいえやす)の拠点について言葉を発した。


「しかも駿府を抑えたと言えどこれより南には持船(もちぶね)日本坂峠(にほんざかとうげ)の向こうに花沢(はなざわ)城など依然徳川(とくがわ)の拠点は残っておりまする。駿河の平定を成したとは到底言えぬかと。」


「これでは「蹂躙(じゅうりん)」とは呼べんな…。」


 先に鎌倉で開かれた軍議の後、先陣を務める諸将に対して上杉輝虎(うえすぎてるとら)は駿府確保について出陣から二週間以内を目安と言い含めていた。しかし結果として駿府を確保したのは二十六日。当初の予定より五日以上過ぎていたのである。この現状を陣幕の中で諸将が痛感していると、扇谷上杉の家宰でもある太田資正(おおたすけまさ)がもう一つの懸念事項をその場で発言した。


「もう一つ不気味なのは、本来徳川が水軍の根拠地の一つである清水港(しみずみなと)に、徳川が水軍一艘たりともいなかったことにございまする。」


「徳川が水軍を保有していると?」


 先の今川氏真(いまがわうじざね)から駿河国を接収した際、家康は駿河国内にあった今川水軍を全て急襲し独自の水軍を持っていた。その水軍の根拠地となっていたのが落城させた江尻城にほど近い清水港であり、そこに徳川水軍の姿が一艘もない事を資正は言葉を続けて不審がった。


「現に徳川は元今川(いまがわ)の船大将である岡部貞綱(おかべさだつな)小浜景隆(おばまかげたか)などを登用して水軍を編成していたのです。その為良港でもある清水港に一艘もいなかったというのは…。」


「大方遠州灘(えんしゅうなだ)まで下がったのであろう。駿河湾に最早徳川水軍の跳梁はあるまい。」


 この資正の懸念に綱元が意に介さぬような口調で返答した。綱元にすれば駿河の清水港を得た時点で駿河湾(するがわん)を制したと考えていたために、水軍の危険性をあまり感じ取っていなかった。そんな綱元に対して資正がなおも言葉を挟もうとすると、綱元は上座に座っていた憲勝に向けてこう進言した。


「それよりもまずは、駿府を制した事を以って関東管領(かんとうかんれい)(上杉輝虎)殿に出陣の催促を送るべきかと。」


「うむ…確かに出陣の催促を送るに遅くはなかろう。」


 綱元は自身の直轄の主君でもある輝虎に対し出陣の催促を発するように進言すると、憲勝はこれを快く受け入れた。自身の発言を妨げられた資正がその場で呆気にとられる中で憲勝は座っていた床几(しょうぎ)より立ち上がって陣幕の中にいた味方の諸将に向けて号令を発した。


「よし、関東管領殿に早馬を送りつつ、我らは明日より焼津(やいづ)に進んで持船城攻略にかかる!各々戦支度にかかれ!」


「おぉーっ!!」


 この憲勝の号令を受けた諸将は雄叫びを上げるように返事を発した。鎌倉府勢はこの軍議の後に駿河南部地帯の攻撃に備えるべく駿府一帯で一夜を過ごす事となった。しかしこの時、鎌倉府勢は資正が発した水軍の行方をそこまで重要視しておらず、それが後々に響くことになろうとはこの時思いもよらなかったのである。




 一方その頃、駿府より一里半ほど離れた所にある持船城には、関口親永が城兵二千ほどで籠城戦の準備を進めていた。その持船城には興国寺城(こうこくじじょう)の戦いより最前線で鎌倉府勢と戦っていた大久保忠員(おおくぼただかず)ら三千ほども加わって籠城しており、持船城の城内を歩き回りながら籠城準備を行う親永に付き従いながら忠員は話しかけた。


「親永殿、この持船城よりは山向こうの花沢城(はなざわじょう)の方が防備に優れているのではありませんか?」


「お主の言わんとしていることも分かる。だがな…。」


 持船城本丸の中を籠城する足軽たちが槍や刀を運び、矢玉の整理を行っている中を親永は忠員らを引き連れて歩きつつ、親永は自身の背後にいた忠員に向けて言葉を返した。


「わしは太守(今川義元(いまがわよしもと))の館を焼き払ってしまった(とが)がある。ここにわしが残れば鎌倉府の軍勢の目を引き付けることが出来よう。」


「そこまで気負う事はありますまい?」


 親永の言葉を受けて忠員が言葉を返すと、ふと本丸館の縁側に上がった親永が襖の明けられた一室の奥を見つめて立ち止まった。見るとそこには焼き払った今川館より回収して来た今川家先祖代々の位牌が安置された仏壇があり、親永はその仏壇の中にあった一つの位牌をじっと見つめながら言葉をかけてきた忠員に対して自身の中にあった感情を吐露した。


「そなたらは余り気にはしておらぬと思うが、やはりこのわしは徳川家中では身が狭い。ここで徳川家の為に役に立たねばならぬのじゃよ。」


「ならば我らと共に花沢城へと…。」


「申し上げます!敵陣に忍ばせた間者が帰って参りました!これを親永様にと。」


 そこにやってきた侍大将が親永の元に駆け込んできて、駿府内にいる味方の間者よりの報告が書かれた書状を手渡しした。侍大将の方を振り返った親永がそれを受け取りその場で封を解くと、親永は顔を上げてから背後に立っていた忠員や青山忠門(あおやまただかど)の方を振り返って言葉をかけた。


「…敵は明日よりこの城に攻め掛かるようじゃ。忠員殿、そなたらは今日中に日本坂峠を越えて花沢城へと向かうが良い。わしはここに残る。」


「親永殿!」


 親永からその様な申し出を受けた忠員は身を乗り出して諫めようとしたが、その言葉を聞いた親永は手を差し伸べて制止し忠員や隣にいた忠門にむけて言葉を返した。


「案ずるな。命は無駄にはせぬ。敵に対し足止めを果した後は城を開城し縛に付く。伝統を重んじる鎌倉府はきっと我が身を害そうとはしまい。」


「何と仰せられる!?」


 親永から籠城に置ける考えを聞いた忠員が、その危険性を危惧してなおも諫めようとすると、親永は言葉を発しようとした忠員に背を向けて縁側から見える本丸における戦支度の様子を見つめながら言葉を発した。


「花沢城での戦いはそなたらや岡部長秋(おかべながあき)に任せる。きっと鎌倉府の軍勢に対して大打撃を与えるに相違ない。しかも、花沢城に敵が迫りし時は大井川(おおいがわ)向こうの小山城(おやまじょう)に籠る松井忠次(まついただつぐ)が軍勢を率いて鎌倉府勢の背後を突く。」


「そこまで考えておられるのですか…。」


 この頃既に、親永は密かに花沢城での戦いに際して後詰としての援軍要請を遠江国境に近い小山城へと派遣しており援軍の確約を取り付けていた。その策を知った忠員と忠門が納得するような反応を見せると、親永はふっとほくそ笑んでそれが招く結果を予想して発言した。


「そうなればこれ以上の打撃を嫌う犬懸・扇谷両上杉は和睦を以て開城とするであろう。このわしの身柄と引き換えにな。」


「その和議が成れば我らは駿河を失うが、敵は駿河の制圧に大きく時をかける結果になると…。」


 親永の見通しを聞いていた忠員が言葉を続けて発言すると、それを聞いた親永はこくりと頷いた後に背後に立っていた忠員らの方を振り返って言葉を返した。


「その為にもここにはこのわしがいた方が良い。そなたらは婿殿の大事な家臣。この様な前哨戦で失うわけには行かぬ。」


「…分かり申した。ならば親永殿、必ずや花沢城で勝利を掴んで和睦を鎌倉府の軍勢より引き出して見せまする故、しばしのご辛抱を。」


 忠員と忠門、そして黙して会話を聞いていた忠員の兄・大久保常源(おおくぼじょうげん)が親永を見つめつつ忠員が代表して言葉を発すると、その言葉を受け取った親永が満足そうに微笑みながらこくりと頷いた。


「うむ。ならば早いうちに花沢城に移るが良い。」


「ははっ。」


 その言葉を受け取った忠員らの行動は早かった。その日の内に身支度を整えると軍勢三千と共に真夜中に声を殺して行軍。日本坂峠を越えて山向こうの花沢城への移動に成功した。この翌日である二十七日より親永が籠る持船城は鎌倉府勢の攻勢にあい、城方は豊富に用意された武器弾薬や武具などを用いて徹底的に抗戦。一日で落とせると高をくくっていた寄せ手の思惑を打ち砕く奮戦ぶりを見せるがやがて徐々に曲輪を突破され、三日後の三十日の時点で遂に本丸を残すのみとなったのである。





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