1558年4月 大高奇襲
永禄元年(1558年)四月 尾張国大高城
その日の夜、鵜殿長照父子のいる大高城に、一つの行列が入城してきていた。その行列は今は亡き、山口教継・山口教吉父子の忘れ形見、静姫率いる行列であった。
「殿、静姫の行列が入城してまいりました。」
「おぉ、そうか!」
その家臣の報告を聞いた長照は、我先にと席を立ち、庭先に出てその行列を出迎えた。一方、それを不安げに見つめていた父の鵜殿長持は、庭先には出ず館の縁側で見つめていた。
やがて行列は、中央の輿が長照の前に来たのと同時に足を止め、輿を下ろしてその場で一同が頭を下げた。その行列の服装は白い着物で統一されており、皆が笠を深く被っていた。
「我が大高城代、鵜殿長照である!そなたらが、静姫のご一行か!」
長照の言葉を聞いたその一行は、長照に一礼すると輿の暖簾を上げた。その中には静姫が、正装である小袖に身を包んでいた。
「鵜殿長照殿、ですね?私が山口教吉の娘、静と申します。」
静姫は、厳かな口調で長照に挨拶すると、長照はその静姫の手を取ってこう言った。
「静姫…此度は良くぞご決断なされた。きっと太守もこのこと、お喜びであろう!」
「…身に余るお言葉、忝く思います。」
静姫は、長照に向かって短く言葉を返すと、長照にその輿の後ろに続いている台車を見させた。
「長照様、あれが討ち取った者どもの首を収めた、首桶にございます。」
その静姫の言葉を受け、長照が静姫の指さす方向を見ると、そこには台車の上に数多く積まれた首桶があった。その数は二十以上あり、首桶から放たれる不気味な雰囲気は、正にそれが本物の首が収められている事を感じさせていた。
「おぉ…こんなにたくさん…姫よ、よくぞやってくれたぞ。」
「…ははっ。」
静姫にこう言った長照は首桶を見つめながら、この勝負に勝ったことを悟っていた。それと同時に、あれだけ反抗してきた教継の家来衆がこのような末路を辿り、長照は内心、高らかに笑うように喜んでいたのだ。
「で、姫。肝心の高秀高の首は?」
「…はい、秀高の首はあれにございます。」
静姫がこういってその秀高の首が収められていると思わしき首桶を指さすと、その台車の傍に控えていた従者がその首桶を持ち、長照に献上した。
「おぉ、すまぬ…ふふふ、どのような顔をしておるのか…」
長照がそう言って首桶の蓋を開け、中を見てみると、その首桶は空で、中には「鵜殿長照」と書かれた木の札が一枚、あるだけだった。
「うん?…おい、どういうことだこれは」
と次の瞬間、長照の腹部に一筋の脇差が突き刺された。
「ぐあっ…何を…」
長照はその攻撃を受けて首桶を落とし、そのまま視線を刺された方向に向けると、その脇差を刺したのは首桶を差し出した、従者その者であった。
「油断したな…鵜殿長照!」
その従者がそう言いいながら、頭に被っていた笠を取った。そしてその者の顔を見た長照は驚いた。
「き、貴様は…高秀高!」
そう、この長照を刺した従者こそ、高秀高その人であった。
そしてその秀高の攻撃を機に、その行列一同が一斉に笠と白装束の着物を取った。それまで行列に付いて来たと思われた従者たちは、大高義秀ら秀高の家臣一同が、鎧を着用して来ていたのだ。
「な、長照!おのれ…謀ったな秀高!」
「ふん、無様なのはあんたたちじゃない!」
すると、その一同に守られた静姫が、館の中で見つめていた長持に対し、罵る様に言い放った。
「私が秀高を討つって、本気で思っているの?そんなくだらない小芝居に騙された、あんたたち親子がよっぽど無様よ!」
「お、おのれ女子の…分際で…!」
秀高が脇差を抜き、その場に倒れ込んでいた長照は静姫の言葉を聞くと、這いつくばって静姫の足元を掴もうとした。しかし、それを見た三浦継意が躍り出て、地面に付している長照に刀を突き刺した。
「無礼者!姫に触るでないわ!」
「がぁっ!!…おのれ…このような…」
長照は最期のあがきも届かず、無念に満ちた言葉を言い放つと、静姫を掴もうとした手が地面に落ち、そのまま息絶えた。
「あぁ…長照様が!」
その光景を見ていた大高城の守兵たちは、その光景に恐れおののき、後ずさりしていた。すると秀高はこの様子を察すると義秀にこう言った。
「義秀!これが今川への手切れとなる!お前の力を存分に奮ってくれ!」
「おう!この時を待ってたんだ…覚悟しやがれ!」
義秀はこう言うと、台車に隠してあった得物の槍を取り出すと、一番槍とばかりに守兵たちに襲い掛かった。
「ええい、怯むな!このまま戦い、秀高を生かして返すな!」
長持はこう言うと、用意していた鎧姿の武者を呼び寄せ、応戦を指示した。これを見た秀高勢も戦闘状態となり、大高城内は乱戦模様となった。
「盛政!重俊!静の護衛を頼む!」
「ははっ!さあ姫!」
「…秀高!あとは任せたわ!精一杯戦いなさい!」
秀高の指示を受けた山口盛政と山口重俊は静姫をその場から退避させ、静姫はそれを受け入れると秀高に激励の言葉をかけて去っていった。
「ええい!っ怯むな!」
やがて戦況は不意打ちに驚いた守兵に不利となり、秀高らは次々と倒していよいよ長持近くまで接近していた。
「おのれ秀高!このようなことをして…今川家が怖くはないのか!!」
長持が秀高に向かい、この一言を言い放つと、秀高はそれを一笑に付すように反論した。
「…俺たちは、今川も織田も超える!これは…その手始めだ!」
「ぐっ、この恩知らずがぁっ!!!」
長持が秀高に激高したその直後、その長持を義秀の槍が貫いた。長持は抜刀していた刀を手から落とし、それを見て槍から手を放し、刀を抜いた義秀によって首を討たれた。
「…残る今川の者に告ぐ!鵜殿父子は討ち取った!これ以上の抵抗は無意味、直ちに武器を捨てろ!そうすれば、命だけは保証してやる。」
長持を討ち取ったことを確認した秀高は、その場に残っていた今川方の兵たちに投降を呼びかけた。その呼びかけを聞いた兵たちは次々に武器を捨て、その場に頭を下げて恭順を誓ったのだった。
「…よし、皆聞け!奇襲は成功し、長持父子は討ち取った!これこそ、今川との手切れを示す証となる!勝鬨を上げろ!!」
その秀高の言葉を聞いた義秀ら一同は、夜空の中にこだまするように勝鬨の声を上げ、勝利を天高く示したのであった。
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「あ、秀高くん!お帰りなさい。」
やがて戦いの後、長照らがいた大高城に火を放った秀高らは、城の破却の任を受けた継意らを残し、ひとまず鳴海城へと帰還していた。その秀高らを玲たち女性陣が出迎えていた。
「ただいま…まずは無事、事を終えることが出来た。」
「うん。お疲れ様。」
大事を終えて帰ってきた秀高を労うように、玲は優しく言葉をかけた。
「お疲れヒデくん。よくやったわね。」
その玲に続き、華が秀高に声をかけてきた。
「はい。今回は特に、義秀の戦功が一番でした。」
「…いいのか?俺が討ち取ったのは、この長持だけだが…」
義秀が秀高の言葉を聞き、長持の首を首桶に収めてある物を叩いてこう言った。
「いや、それでいいのだ。大名当人が討ち取った者は、その戦功は分配されるが、今のところ、長持を討ち取ったそなたが戦功第一なのだ。」
そう言ったのは、秀高に代わって鳴海城の守備に就いていた佐治為景であった。その為景の言葉を聞いた義秀は秀高にこう告げた。
「…じゃあ、今回の戦功第一、ありがたく受け取っておくぜ。」
義秀が納得してこう言った後、静姫が今回の事を振り返ってこう言った。
「しかし、よくも今回の事を考え付いたわね。」
「…あぁ、これはな、元になったことがあるんだ。」
その言葉を聞いた静姫が、食い入るように秀高に近づいてこう言った。
「えっ、これ、何か元があるの?」
「ま、まぁ…三国志演義に載っていた、曹操が自身の死を偽装し、呂布を誘き寄せた計略が元なんだ。」
その話を聞いた静姫は、秀高が未来人であることを知っていたため、すぐに腑に落ちて納得したが、為景は逆に、その内容を聞いて感嘆し、秀高にこう言った。
「書物の事を元にし、それを組み替えて実行するとは…さすがは殿にございますな。」
「いや、それだけじゃない。城が燃えたと思わせるように、伊助に大高から鳴海が見える中間にある丘の陰で火を起こさせ、城が燃えたように見せかけたんだ。」
「…なるほど、だから連中、すんなり信じたってわけね。」
静姫が納得してこう言うと、秀高にある懸念を伝えるように念押しした。
「…でも、これが義元相手じゃ、通じたかどうかわからないわね。」
「あぁ。だからこそ、これからの動向はより注視しないとな。」
「…じゃあ秀高、義元の怒りに火を注ぎ、冷静さを失わせるために、こうしてはどうかな?」
そう言って献策してきたのは、側にいた小高信頼であった。その信頼の策を聞いた秀高は、やってみる試しはあると許可したのだった。