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1572年7月 東国戦役<東海道side> 蒲原城の戦い



康徳六年(1572年)七月 駿河国(するがのくに)蒲原城(かんばらじょう)




 数刻後、蒲原城一帯は日も暮れて夜となり、大森勝頼(おおもりかつより)三浦義季(みうらよしすえ)ら包囲する鎌倉(かまくら)勢は松明(たいまつ)を煌々と焚き、明日に城が降伏開城という事もあってか、気が緩んだように陣中に酒食が振る舞われていた。その中で包囲陣の外にて歩哨に立つ足軽にも一杯の酒を振る舞おうと侍大将が歩んで来て(さかずき)を差し出した。


「ほれ、その方らも一杯飲むが良い。」


「は、はぁ…されど我らは。」


 歩哨に立つ足軽たちは本来寝ずの番を受け持ち、尚且つ敵である城方の監視を行う者達であるため、眠気を誘う酒など本来は厳禁であった。しかしその断りを聞いた侍大将は自身も酒を呷っていたのか、顔を赤らめながら断ってきた歩哨たちに対して強く酒を勧めた。


「何を言うか。降伏開城と決まった以上は戦にはならぬ。明日以降の為にもここは英気を養うべきぞ。」


「そ、そこまで言われるのであれば…」


 自身たちの上司でもある侍大将からの強い勧めを受けて、さすがに断り聞けなかった歩哨の足軽たちは侍大将から盃を受け取って酒を注いでもらった。するとその時、別の歩哨の足軽が蒲原城の異変に気が付いた。


「…ん?あ、あれを!」


「む?」


 指をさして自身に語ってくる歩哨の足軽の声を聞き、侍大将がやや(うつ)ろ目になりながら城の方角を見ると、その視線の先に広がっていた光景を見て酒が抜けるように青ざめていった。そこには山城である蒲原城のいたるところから火が立ち込め、櫓や柵などの構造物を炎に包んでいく光景が広がっていた。


「城…城から火の手が上がったぞ!」


「どういう事じゃ!降伏開城ではないのか!?」


 この蒲原城の自焼ともいうべき光景に侍大将や歩哨に立っていた足軽たちは大いに驚き、また盃を持っていた足軽も手から地面に盃を落として立ち尽くしていた。この様子は酒食に(あずか)っていた包囲陣の足軽たちを混乱状態に陥れ、やがてその知らせは包囲陣の中枢部にある本陣へと届けられた。


「申し上げます!蒲原城より火の手が上がりました!おそらく海風によってさらに燃え広がるものかと!」


「何っ!?城が!?」


 この報告を受けた義季は床几(しょうぎ)からスッと立ち上がるとその足で陣幕の側に駆け寄って城の方角を仰ぎ見た。これに勝頼や嫡子の三浦義時(みうらよしとき)が追いかけて義季の背後に立つと、その目の前に広がっていた蒲原城の大炎上ともいうべき火災を目の当たりにした。


「何と言う事じゃ…あれでは蒲原城が燃え落ちてしまうではないか!」


「恐らく、城方で何か騒動でも起こったのか…。」


 慌てふためく勝頼の言葉の後に、少し茫然となりながらも義季が言葉を発して勝頼に返した。するとその時、包囲陣の中に遠くの方から法螺貝の音が何度も鳴り響き、それを耳にした義季が空を仰ぎ見ながら言葉を漏らした。


「な、なんじゃこの法螺貝は?」


「も、申し上げますっ!」


 この法螺貝の音の中でまた別の侍大将が駆け込み、陣幕の側にいた三浦父子や勝頼に向けて火急の報告を告げた。


「城方が打って出て参りました!城の裏手の谷間から左右に分かれてお味方の両翼に攻め掛かって来まする!」


「お、おのれ!やはり降伏開城とは嘘であったか!」


 この報告を受けて城方の降伏開城の申し出に疑義を呈していた勝頼がいの一番に反応した。それとは別に降伏開城を信じていた義季はその報告を受けてなおも半信半疑でいたが、やがて遠くの方から聞こえてくるどよめきを耳にするとその報告の真実を悟り、手にしていた盃を地面に向けて叩き割ってから侍大将に対して下知を下した。


「ええい!各自応戦せよ!城方の敵の数、決して多くはないぞ!」


「ははっ!」


 義季の下知を受けた侍大将は直ちに(きびす)を返して前線へと戻っていき、勝頼も陣幕を出て自身の部隊の元へと戻っていった。しかしこの時、城方の夜襲は味方の前線を突破しようとしており、この状況が指し示すものは寄せ手である大森・三浦勢に極めて劣勢であるという事であった。そう、これこそが徳川家康(とくがわいえやす)が城主・青山忠門(あおやまただかど)らに授けた秘策であり、ここに至ってその策は完璧という程に成功したのである。




 包囲陣に攻め掛かる城方の軍勢、即ち夕方過ぎに蒲原城の搦手(からめて)から密かに出陣した大久保忠員(おおくぼただかず)とその兄である大久保常源(おおくぼじょうげん)の軍勢合わせて三千余りであり、それぞれ左右に分かれて伏兵していた。


「行けぇっ!敵の虚を突き、一気に突き崩すぞ!」


「おぉーっ!!」


 忠員は城に残っていた忠門ら五百によって蒲原城に火が上がったのを確認し、頃や良しと見て一気呵成に寄せ手に襲い掛かっていた。これに兄の常源も右翼から攻め掛かって敵を混乱状態に陥れ、ここに寄せ手の鎌倉勢はその数を大いに打ち減らしつつあったのである。


「むっ、貴様は!」


「お、大久保忠員!」


 その最中、敵の左翼に攻め込んだ忠員は馬上からある武将を見止めた。この武将こそ徳川を離れ鎌倉府に恭順した富士信通(ふじのぶみち)その人であり、忠員は馬上にいた信通に槍の切っ先を向けて呼び掛けた。


「富士信通!ここで会ったが百年目!神妙に覚悟致せ!」


「くうっ!」


 声を掛けられた信通は馬上にて打刀を鞘から抜くと、挑みかかってきた忠員と数合打ち合った。しかし元よりその武勇に自信がある忠員の前では富士山本宮浅間大社ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ大宮司(だいぐうじ)でもある信通など全く歯が立たず、やがて忠員によって刀を弾かれた一瞬に胴体を忠員の槍が貫いた。


「ぐはっ!!」


「富士信通、討ち取ったり!!」


 忠員は信通の胴体に槍を突き刺しながらそう言うと、槍を引き抜いて信通を馬上から落馬させた。これによって寄せ手である鎌倉勢の混乱はさらに深まり、城方によってその首を打たれる者、またはその場から逃げ去る者などが出始めた。やがてその劣勢は本陣にも届けられて義季は嫡子の義時から撤退の進言を受けた。


「父上!ここは一刻も早く離脱を!」


「義時!ここで退くわけには行かぬ!」


 義季は義時の進言を受けても負けを認めんとばかりに反抗し、なおもその場に踏み止まって味方に抗戦を指示した。しかし夜襲という事も相まって旗色の劣勢は覆せず、やがて右翼にて常源の軍勢と戦っていた葛山氏貞(かつらやまうじさだ)は最早戦局覆せずと見るや味方の将兵に対して退却を指示した。


「ええい、ここは退くしかあるまい!退けっ、退けぇっ!!」


「逃がすか!!」


 とその時、この氏貞の声を聞いていた垪和氏続(はがうじつぐ)が馬上から弓を引き絞り、数里先にて馬上から撤退を下知していた氏貞に狙いを定めると矢を放って見事に氏貞の首に命中させた。


「ぐあっ!!」


「不忠者・葛山氏貞め、思い知ったか!!」


 氏貞への命中を確認した氏続が数里先にいる氏貞へ呼び掛けるように言葉を発すると、その言葉の後に氏貞は力が抜けたようにゆっくりと馬上から地面へと落ちていった。この氏貞討死の一報はすぐさま中央部にいる義季の元へと届けられた。


「申し上げます!右翼にて葛山氏貞殿、討死!」


「何じゃと!?」


「父上、このままでは全滅致しまするぞ!」


 氏貞討ち死にの報を受けて嫡子の義時が改めて撤退を進言すると、ここに至ってはじめて義季は敗北を悟り、その場にてようやく見方に対して撤退を下知した。


「ええい!退き鐘を鳴らせ!富士川の向こうまで撤退せよ!」


「ははっ!!」


 この報を受けて寄せ手の鎌倉勢はようやく撤退を開始し、義季は嫡子の義時や勝頼ら主だった軍勢と共に富士川向こうへと算を乱して撤退していった。この様子を馬上から見ていた忠員の元に城から城主の忠門が兵を引き連れてやってくると、互いに目を合わせて頷きあった後に忠門が腰から太刀を抜いてその場にいた味方に対して号令を発した。


「…よし、深追い致すな!勝鬨を挙げよ!」


「えい、えい、おぉーっ!!」


 この勝鬨はその場にいた三千数名による僅かな勝鬨の声であったが、その衝撃はそれ以上の物があった。事実この敗戦によって三浦・大森勢は蒲原城より西への進軍を取り止めてしまい、徳川勢に時間的猶予を大きく与えてしまう格好となった。一方、この勝利を収めた忠門ら蒲原城の将兵は、焼け落ちた蒲原城を放棄し清水(しみず)付近に築城されていた江尻城(えじりじょう)へと後退していった。ここに、東海道での戦いの緒戦を徳川勢は勝利を以て収めることが出来、今後に向けた大きな弾みを得ることになったのであった…。





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