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1572年7月 徳川領救援策



康徳六年(1572年)七月 山城国(やましろのくに)伏見城(ふしみじょう)




 将軍御所において対上杉(うえすぎ)戦の評議を決した高秀高(こうのひでたか)は夕刻に居城の伏見城に帰還。(みやこ)にいて()つ幕府の軍議にも加わった大高義秀(だいこうよしひで)小高信頼(しょうこうのぶより)北条氏規(ほうじょううじのり)滝川一益(たきがわかずます)ら城持大名たちや三浦継意(みうらつぐおき)など京に集まっていた重臣たちを集めて高家としての軍議をその日の夜に始めた。秀高はその席にて継意など軍議に参加していなかった重臣たちに対し、昼間の軍議にて決まった大まかな迎撃方針を伝えた後にこう言葉を続けた。


「…対上杉の概ねの迎撃方針は今言った通りだが、ここから伝える事は俺たち高家としての軍議だ。何しろ十一ヶ国以上ある所領の軍勢全てを動かすわけには行かないからな。」


「確かにな。貫堂(かんどう)と進めている軍事教練も道半ばだし、どれくらいの兵を連れて行くかが肝心な所だからな。」




 この頃、大高義秀は軍奉行(いくさぶぎょう)として現代からの転生者であった中村貫堂(なかむらかんどう)と話し合い、実践的な軍事教練の方向性を固めていた所であった。即ち武士…足軽を中心とした常備兵を元とする軍隊を組織し、行軍の歩幅や騎馬の速度を一定に揃える事で作戦計画を立てやすくすることが可能となるなど、後世の西洋式軍隊の軍制確立を押し進めていた所だった。未だ内容を練っていた途中で今回の戦が起こったので軍事教練の導入を見送ってはいたが、既に義秀配下の軍勢は騎馬鉄砲隊…竜騎兵(りゅうきへい)の配備を完了しており先の軍制を完全に導入していた当時の大名家の中でも異様な軍勢となっていたのである。


 こうして事を踏まえた義秀の発言を聞いた秀高は、改めてその場に結集していた重臣たちの方を振り向いて今回の戦における指示をそれぞれに飛ばした。




「そこでこれからそれぞれに差配を伝える事とする。まず継高(つぐたか)!」


「ははっ!」


 まず、秀高が下知を下したのは観音寺(かんのんじ)城主を務める三浦継高(みうらつぐたか)であった。この時、秀高は先の軍団制を導入すると同時に主要な城を中心とした城領制(じょうりょうせい)と呼ぶ一つの領地を形成させていた。それを踏まえて秀高は観音寺城を中心とする領内の将兵を管轄する継高を呼んで指示を飛ばした。


「お前は観音寺領内の将兵を率い北陸道(ほくりくどう)を進む管領(かんれい)畠山輝長(はたけやまてるなが))殿の軍勢に加わってもらいたい。副将として勝久(かつひさ)長康(ながやす)、それに旗本から毛利長秀(もうりながひで)の部隊も回す。」


「ははっ!」


 継高が秀高の下知に服して意気込むように返事を発した。それを受けた秀高はこの軍議にいた旗本の長秀の方を振り向き、自身の旗本として編成した四家の一つ、「毛利家軍(もうりかぐん)」の頭領でもある長秀に対してこう指示した。


「長秀、お前は日野(ひの)領内の兵を率いて参陣してもらう。城将の賢秀(かたひで)らの補佐を受けて継高の進軍に遅れないようにな。」


「ははっ、お任せくださいませ!」


 長秀は秀高より、日野城(ひのじょう)の城主でもあり日野領内を統括する蒲生賢秀(がもうかたひで)を副将に据えてその軍勢を率い、北陸道へ進軍せよとの命を受けて意気込むように返事を秀高に返した。それを受けた秀高はこくりと頷くと、続いてその場にいた重臣で稲葉山(いなばやま)城主の安西高景(あんざいたかかげ)の方を振り向いて下知を伝えた。


「続いて高景!お前には可成(よしなり)綱景(つなかげ)と共に東山道の抑えを命じる。」


「東山道の抑え…美濃(みの)の国境にて木曽(きそ)小笠原(おがさわら)などの動きを阻めばよいのですな?」


 秀高は高景に対し、遠山綱景(とおやまつなかげ)森可成(もりよしなり)と共に東山道に現れるであろう信濃(しなの)諸将の抑えを命じた。その命令を受けた高景が秀高の意図を汲み取って言葉を返すと、それに秀高は首を縦に振って頷いた。


「そうだ。お前には稲葉山(いなばやま)領内の兵を光治(みつはる)道勝(みちかつ)を副将として参陣してもらう。そして大垣(おおがき)領内の兵は安藤守就(あんどうもりなり)に率いてもらい、副将に良通(よしみち)直元(なおもと)を据える事とする。」


「ははっ、かならずや殿のご期待に沿うて見せまする。」


「なるほど…(それがし)が上杉輝虎との決戦に加われぬは口惜しき限りなれど、我が思いは若様付きの可隆(よしたか)が果たしてくれることでしょう。」


 高景が秀高に言葉を返した後、自身が東海道(とうかいどう)に現れる見込みが高い上杉輝虎との戦に加われない事を悔しがった可成は、この時秀高の嫡子である高輝高(こうのてるたか)の側近になっていた森可隆(もりよしたか)に思いを託すようにその場で言葉を発した。それを聞き秀高は微笑みながら頷くと瞬時に表情をキリっと引き締めてその場にいた重臣たちに向けて一言、こう言った。


「さて…ここからが少し大事な話になる。」


「大事な話?」


 その一言を聞いた筆頭家老・三浦継意(みうらつぐおき)がオウム返しをするように聞き返すと、秀高はその場にいた重臣たちに向けて肝心な内容を口に出して発言した。


「先の軍議で言ったとおり、目下の急務は多数の敵を抱える三河(みかわ)殿(徳川家康(とくがわいえやす))の救援と補佐だ。輝虎本軍が動くまで鎌倉府(かまくらふ)傘下の諸大名は人海戦術をもって駿河(するが)蹂躙(じゅうりん)するつもりだろう。」


「駿河を蹂躙?されど律儀な性格である輝虎ならば宣戦布告の文書を出してから兵を集めるのでは?」


 秀高の考えを聞いて一益は反論するように言葉を発した。確かにこの場にいた重臣たちの多くは「輝虎は義将である」という考えが頭の中にあり、それに基づいて律儀に宣戦布告の文書を京に届けてから軍勢を集めるのではないかという目論見を抱いていた。しかし秀高はそんな重臣たちとは違い、より厳しい見通しを含めた現実論ともいうべき見通しを重臣たちに語った。


「輝虎は兵を操る上で速戦を得意とする武将だ。先ごろ入っていた関東諸将への徴兵令発布といい、武具の供出指示といい、おそらく宣戦布告の文書を出してきた時点で戦支度を終えているはずだ。もしそうだとしたら今日明日にも鎌倉府の軍勢は箱根(はこね)の山を越えて駿河に侵攻してくるだろう。そうなれば富士(ふじ)山麓に近い駿東郡(すんとうぐん)富士郡(ふじぐん)は見放さなくてはならない。」


「それにこちらの軍勢が出陣するのは早くて五日はかかりまする。そうなれば距離の関係上、薩埵峠(さったとうげ)以西の駿河西部も無事とはいかぬかと。」


 秀高に続いて氏規がこの場で厳しい見通しを口にして語ると、それらを聞いた重臣たちは今まで抱いていた楽観論を捨て、悲観的な見通しをせねばならないと改めて思慮するようになった。その中で自身と同じ考えの氏規の意見を聞いた秀高は、こくりと首を縦に振ってから言葉を発した。


「その通り。よって俺たちは駿河を除いた三河・遠江(とおとうみ)に長く伸びるように布陣し、どこかに敵が攻め掛かってきた時には直ちに急行し迎撃できるようにしておきたい。」


「なるほど…防衛地点をその両国に絞っておくわけですな?」


 秀高の策を聞いた継意が相槌を打つように発言すると、秀高は継意の方を振り向いてから首を縦に振った。


「そうだ。この事は既に一昨日、領国へと急ぎ帰還した三河殿に了解は得ている。よってこれからは各々の領内の軍勢をもって各城に点在するように布陣する。(まい)、絵図を。」


「はい。」


 秀高の側…即ち同じ上座で待機していた信頼の妻・舞は秀高からの言葉を受け取ると、その場で吊るし台に一つの絵図を掛けた。その絵図は駿河・遠江・三河三国に(またが)る徳川領が書かれており、秀高は先ほどの自身の意見に(のっと)って遠江や三河の箇所を指示棒(さしぼう)で指しながらその場の重臣たちに見えるように説明を始めた。


「駿河の蹂躙はやむなしとしても、遠江で重要拠点とされているのはこの犬居(いぬい)二俣(ふたまた)掛川(かけがわ)高天神(たかてんじん)井伊谷(いいのや)、そして家康殿が今の居城としている浜松(はままつ)の六つだ。このうち三河殿より犬居・二俣は防備に適さずとの情報を得ているため、布陣するのならばそれ以外の四つだろう。」


「なるほど…ならばどのように布陣なさるので?」


 重臣の一人・織田信澄(おだのぶずみ)が秀高に布陣の詳細を尋ねると、秀高は首を縦に振ってから指示棒で一つ目の箇所を指しながら布陣を発表した。


「まずこの浜松には俺の嫡子である輝高が名古屋(なごや)領内の兵を率いて布陣する。」


「なんと、ご嫡子様が!?」


 秀高は重臣たちに、前線にほど近い家康が居城・浜松に自身の嫡子である輝高を大将とする軍勢を配置すると告げた。これに義秀・信頼以外の重臣たちの中にどよめきが起こる中で、秀高はそのどよめきを鎮めるように言葉を続けた。


「それぐらいの事をしなければ徳川殿に申し訳がない。他に掛川には信澄が清洲(きよす)領内の兵を、高天神には氏勝(うじかつ)犬山(いぬやま)領内の兵を、そして井伊谷には為景(ためかげ)鳴海(なるみ)領内の兵を率いて布陣してもらう事とする。」


「なるほど…尾張(おわり)本国の兵を遠江に派遣するという訳ですな?」


 秀高は輝高を補佐する為に尾張の軍勢…即ち信澄や佐治為景(さじためかげ)丹羽氏勝(にわうじかつ)といった高家本軍ともいうべき軍勢を付けて遠江の徳川領防衛に充てると発表した。これを聞いて一益が言葉を発して反応すると、秀高は一益の方を振り向いてから首を縦に振って頷いた。


「そうだ。信頼、この事直ちに本国の輝高に伝えて出陣準備にかからせてくれ。」


「うん。分かった。」


 信頼は秀高からの命を受けて相槌を打って反応した。その後、秀高が命は早馬によって一目散に尾張へと伝達され、それを受けた輝高によって即座に軍勢が招集されることとなった。そして尾張国内にて四つの軍団が組織されると輝高は父に代わって軍団に遠江への進軍を命令したのであった。





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