1558年4月 早馬来たる
永禄元年(1558年)四月 尾張国鳴海城
その翌日。鳴海城の城内に朝日が照らされ、朝の訪れを告げるように鳥が鳴いていた。
「殿、殿!!」
その中の静寂を破るように、一人の者が馬に乗り城内へと駆け込んできた。それは誰でもない、高秀高に命じられて領内の街道筋を固めていた簗田政綱、その人であった。
「おぉ、政綱か!ついに見つけたか!」
その声に反応するように、秀高が寝間着姿で現れ、政綱に用件を尋ねた。
「ははっ!先刻、我が配下の者、沓掛から鎌倉街道を通ろうとしていた今川方の早馬を捕らえ、尋問したところこのような書状が!」
政綱はそう言って早馬より没収した書状を秀高に手渡しし、秀高はそれを受け取ると直ちに書状を開いて中身を見た。
「やはり、そうだったか…」
秀高が得心したその内容とは、次のようなことが書かれていた。
【鵜殿長照に命ず。先般の山口教継父子死去に伴い、直ちに鳴海城を接収せよ。その際、三浦継意、高秀高以下重臣、並びに山口一門やその妻子に至るまで悉く根絶やしにせよ。 永禄元年四月三日 今川治部大輔義元より】
「はっ、やっぱりそう来ると思ったぜ。」
それから数刻後、秀高は重臣一同を評定の間に集め、その席上で小高信頼に代読させてその内容を重臣一同に伝えた。それを聞いて、重臣の席に列する大高義秀があざ笑う様に言った。
「殿、如何なさる?」
「如何、とは?」
秀高はそう尋ねてきた、家老の佐治為景にこう尋ね返した。
「このまま座して死を待つか、それとも一戦あるのみか…」
「既に決まってるぜ!このまま戦うしかねぇだろう!」
「義秀、お主それを正気で言っておるのか?」
こう言ったのは、義秀と相対する家老の近藤景春であった。
「大高城の手勢は鳴海城の足軽よりも数が多い。まともに戦えば、負けは必須であろう。」
「だからって、このまま座して死を待つっていうのかよ!?」
「…落ち着け義秀、何も黙って死を待つわけがない。」
その話し合いを聞いて、義秀に対して秀高がこう言うと、義秀は秀高の方を向いて更に言葉を続けた。
「じゃあ秀高、ならばすぐにでも攻撃を!」
「話を聞いていたのか?俺たちは戦うが、何も正攻法で戦うなど愚かなことはしない。」
「殿、では…」
その秀高の発言を聞いた三浦継意が秀高に言うと、秀高は忍びの伊助を呼んだ。
「伊助、お前、馬は乗れるか?」
「はっ、馬は乗りこなせますが…それが?」
すると秀高は伊助にある事を指示した。
「お前は直ちに今川の早馬に変装し、この書状をもって大高城に駆け込め。そして長照にこの書状を渡して来い。」
「な、それはどういうわけですか!」
それを聞いた景春は驚いて秀高に問うたが、秀高にはすでに、ある策を思いついていたのだ。
「良いか伊助、大高城に入ったら、長照にこの書状を見せ、次の事を伝えておけ…」
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「良くぞ来た。太守からのご命令か?」
それから数刻後、長照のいる大高城に、早馬に変装した伊助が来ていた。
「はっ!これなるは太守様よりの書状にございます!」
伊助はそう言って長照にその書状を見せると、長照はほくそ笑んで頷き、伊助にこう言った。
「太守様の意思、しかと承った。直ちに明日乗り込むと、太守様にお伝えを。」
「長照様、その事につき、太守様より言伝を預かっております。」
伊助が太守の言伝を預かってるとの嘘を伝えると、長照は襟を正して伊助にその内容を伝えるよう催促した。
「太守様におかれては山口家息女である静姫の事を大層気に入っており、もし静姫が後難を案じ降伏してきたときには静姫のみの命を助けよと申しておりました。」
「静姫の…なにゆえ静姫の命を助けになられる?」
伊助にたいして長照がこう聞き返すと、伊助は言葉を続けた。
「昨今のうわさでは、静姫は高秀高を快く思っておらず、三浦継意共々討ち取るつもりであると噂されております。太守様は静姫の行動を殊勝であると申され、静姫のみは助命せよと仰せでございます。」
その話を聞いた長照はしばらく考え込んだが、早馬に対してこう言った。
「良かろう。その話心得たとお伝えあれ。」
「ははっ!では!」
その用件を伝え終えた伊助は長照に一礼すると、すぐに城内から馬を駆けて去っていった。そして城から離れたところで早馬の変装を解き、伏せていた配下に次々と指示を下した。
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「…長照、太守はなんと?」
早馬に変装した伊助が去った後、そう言って長照に声をかけたのは、ちょうど城に逗留していた長照の父・鵜殿長持であった。
「あぁ、父上。いよいよ秀高の首を見る日が近くなったようですぞ。」
「ほう?それはどういうことだ?」
長持が長照にこう尋ねると、長照は伊助から貰った書状を手に持ちながらこう話した。
「いよいよ、鳴海城を接収し、山口の一族郎党悉く根絶やしにせよとの仰せでしたが、太守のご意向で息女だけは助命せよと申してきました。」
「何…それはまことか?」
長持が長照に疑問を突きつけるようにこう言うと、そこに家臣が駆け込んできてこう言った。
「殿!ただ今鳴海の方角に火の手が!」
その言葉を受けた長照と長持が櫓に上り、その鳴海の方角を見ると、確かに城の方角で大きな火の手が上がっているように見え、黒煙が何本も立ち昇っていた。
「おぉ…これぞまさしく太守の申された通り!父上、あれはおそらく静姫が決起したに間違いありませぬ!」
「長照…」
その光景を見て、喜び勇む長照とは対照的に、どこか不安な物を感じ取っている長持はどこか冷めていた。櫓を降りて長持は、側にいた家臣にこう言った。
「これ、直ちに城に向かえ。そしてもし静姫が決起したのなら、直ちにこの城に来るように伝えよ。」
「はっ!」
家臣はそう言うと、すぐさまその場を去っていった。だがこの時、長持は長照にこう諫言した。
「長照…わしはどうもこの話、出来すぎているように感じる。すこし状況を見守るのはどうであろうか?」
「ははっ、父上も老いられましたな。」
その長持の懸念を一笑に付すように、長照は長持にこう言った。
「人というのは単純なもの。案外簡単に事が決まることがあるのです。憎き教継の一党が滅ぶ様、とても楽しみとは思いませんか?」
この時、長照の頭の中には、静姫が裏切った事の真偽がどうかよりも、今までコケにしてくれた教継とその一党が悉く根絶やしになる様子に支配されていた。そんな長照に、長持の不安など、入ってくる余地はなかったのである。
(これは…最悪の事も想定せねばな…)
長持は戦国武将の直感を信じ、妄信している長照とは対照的に、出来るだけの事をしようと思ったのであった。
「…殿!静姫は事を終えれば、今夜中には大高城に参るとの事!」
その後、城に向かった家臣が長照に報告に来ると、長照は更に喜んでこう言った。
「そうかそうか!はっはっはっは!あの憎たらしい小僧共の首を見るのが楽しみじゃ!」
「………」
その報告を聞いて更に喜び踊る長照を見て、長持は更に不安を募らせていった。その対照的な感情を抱いたまま、気づけば夕暮れ時を迎えていたのだった。