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1572年7月 宣戦布告



康徳六年(1572年)七月 山城国(やましろのくに)(みやこ)




 京・勘解由小路町(かげゆこうじちょう)にある将軍御所。そこで開かれていた鎌倉府(かまくらふ)並びに関東管領(かんとうかんれい)上杉輝虎(うえすぎてるとら)への対処を話し合っている最中に届けられた一通の書状。それこそ議題に上がっていた関東管領・上杉輝虎並びに鎌倉公方(かまくらくぼう)足利藤氏(あしかがふじうじ)から送られた連名での弾劾状であった。政所執事(まんどころしつじ)摂津晴門(せっつはるかど)より弾劾状を受け取った将軍・足利義輝(あしかがよしてる)はその場で開いて中の書状に目を通すと、そこには次のような内容が書かれていたのである。




—————————————————————————————



 幕府奸賊弾劾状



一つ、高秀高(こうのひでたか)並びにそれに与する者共、己が分を(わきま)えず徒党を組んで幕政を(わたくし)し、等持院(とうじいん)足利尊氏(あしかがたかうじ))殿以来の幕府の名を(おとし)めたる事。


一つ、将軍・足利義輝、源氏(げんじ)の正嫡である足利一門でありながらこれらの奸臣をのさばらせ、先祖代々の名に傷を付けたる事。


一つ、幕府に巣食う徳川(とくがわ)浅井(あざい)松永(まつなが)毛利(もうり)といった者共、いずれも守護の下に付くべき国人(こくじん)地侍(じざむらい)の分際でありながら時勢に乗っかり守護の土地を奪い、己が権威を誇示する様は見苦しく幕府を形骸化たらしめる一因である事。


一つ、古式奥ゆかしき寺社仏閣の権威を(いたずら)に削ぎ、僅かな寺領しか与えぬは仏を恐れぬ所業にてこれに各地の寺社は幕府へ要らぬ恐れを抱いている事。


一つ、幕府草創よりの伝統である「天下無為(てんかむい)」を捨て、先の法令を掲げて各地の事情に首を突っ込むは見苦しき限りにて、これこそ幕府の権威を地に落とす遠因である事。


 これらの事によって京に巣食う奸臣並びにお飾りの将軍に幕府を任せておけぬと判断し、ここに我ら幕府に忠節を尽くす義臣挙って挙兵して京の掃除を行う物なり。そして京の掃除成った(あかつき)には鎌倉公方・足利藤氏を新たな将軍として奉戴(ほうたい)し幕政を元の清らかな流れに戻すものである。よって鎌倉府は決然として京の幕府と決別し、ここに宣戦を布告する。




 康徳(こうとく)六年七月吉日

 鎌倉公方・足利藤氏

 関東管領・上杉輝虎…




—————————————————————————————


 この弾劾状の末尾に記された藤氏と輝虎の連名血判の後には、鎌倉府に従属する奥羽(おうう)関東(かんとう)の諸大名約六十名の連名血判が書かれていた。言わば幕府との断交を含めた仰々しい宣戦布告の書状を目にした義輝は、その書状を床の上に置くと将軍御所の大広間に(つど)っていた諸侯衆(しょこうしゅう)、そして幕臣たちに向けてぼそっと(つぶや)くように言葉を発した。


「鎌倉府が幕府に宣戦を布告して参った。」


「宣戦を布告!?」


 義輝から告げられた驚きの内容に、大広間の下段に居並ぶ諸侯衆(しょこうしゅう)の中から内藤宗勝(ないとうむねかつ)が声を上げて反応した。その宗勝の言葉を耳にした義輝は、床に置かれた宣戦布告の書状を扇で指しながらその中に書かれていた内容を口に出して伝えた。


「鎌倉公方、関東管領、そしてそれに従う諸大名の連署血判がこの書状に記されているのだ。そしてここにはこう書かれている。「新たな将軍として足利藤氏を立てる」とな。」


「足利藤氏を将軍職に!?」


 この足利藤氏を将軍職に奉戴するという事を聞いていた侍所所司(さむらいどころしょじ)であった秀高は、自身の隣にて声を上げた管領(かんれい)畠山輝長(はたけやまてるなが)とは対照的にただ黙って脳内で考えを巡らせていた。秀高には先月に家臣でもある小高信頼(しょうこうのぶより)から将軍職の挿げ替えを行ってくるかもしれないという予測を聞いていたが、その対象は藤氏ではなく一乗院(いちじょういん)の門跡であった覚慶(かくけい)であると聞いていた。しかしこの場で挿げ替え候補として挙がった藤氏の名前を耳にし、秀高はこれは何か裏があるのではないかと勘繰りをしていたのである。その秀高とは対照的に、諸侯衆の一人として加わっていた松永久秀(まつながひさひで)は藤氏擁立の事を聞いた上で得心がいくように頷きながら発言した。


「なるほど、これで話が繋がったな。関白(かんぱく)近衛前久(このえさきひさ))殿下は足利藤氏を将軍職に立てる下準備を公家たちに説いていたという訳か。」


「上様!ここに至っては京にも敵を抱えることになりましたぞ!」


狼狽(うろた)えるな!」


 久秀の言葉の後に幕臣・三淵藤英(みつぶちふじひで)が義輝に向けて発言すると義輝はその場で起こり始めたざわつきを鎮めるように一喝すると、その場が静まった事を確認した上で上座から一同に向けて発言した。


「関白殿が一件は二条晴良(にじょうはるよし)殿に伝えて関白の罷免に動いてもらうにしても、目下の課題は鎌倉府が我らに反旗を翻したことである!」


「如何にも…鎌倉府が寝返ったとなれば関東や奥羽、のみならず輝虎によって旧領に戻った信濃(しなの)の諸大名も応じたと見て宜しいかと。」


「そうなれば、日ノ本を二分する大戦となるぞ!」


 徳川家康(とくがわいえやす)が義輝に賛同するように発言すると、それに秀高家臣でもある長野藤定(ながのふじさだ)が同調するように口を挟んだ。するとそれを耳にしていた義輝は上座にて手にしていた扇を見つめながら口惜しい感情をあらわにした。


「輝虎…そうまでして古き幕政に固執するという訳だな?」


 そう言うと義輝は扇を肘掛けに一回パシッと叩くとスッと立ち上がり、その場にいた諸侯衆一同に向けて号令を発した。


「ならば奴には古き慣習と共にこの世から去ってもらうしかあるまい!諸侯衆、並びに幕臣一同に改めて申し伝える!輝虎が兵を挙げた以上は一刻も早くこれに対処する必要がある。徳川家康以下、鎌倉府傘下の諸大名と領地が近い諸侯衆は直ちに帰国し戦支度を早急に整えよ!」


「ははっ!」


 義輝の号令を受けて家康はじめ東海地方に所領を持つ諸侯衆は皆一様に頭を下げて承服の意を示した。その中には前年に越後(えちご)から移ってきた美濃郡上八幡(みのぐじょうはちまん)城主・新発田長敦(しばたながあつ)の姿もあった。この長敦を含めた東海の諸侯の返事を受けた義輝はこくりと頷くと、続いて下段にて義輝の近くにいた細川藤孝(ほそかわふじたか)に視線を向けて指示を出した。


「藤孝、石山本願寺(いしやまほんがんじ)に使者を派遣し、加賀(かが)一向衆徒(いっこうしゅうと)が輝虎に呼応せぬよう厳重に取り締まるべしと伝えよ!」


「心得ました。」


 この義輝の命を藤孝が頭を下げて受けると、義輝は視線を輝長や秀高など幕府の軍事面を統括する面々に向け、扇で二人を指しながら号令を発した。


「管領!並びに侍所所司には先の擾乱(じょうらん)康徳播但擾乱こうとくばんたんじょうらん)同様、幕府軍の総指揮を命ずる!両名とも軍議を開き早急に鎌倉府が謀叛に対処せよ!」


「ははっ!」


「ははっ。」


 義輝の命を受けた輝長の意気盛んな返事の後に、秀高は自身の不安な感情を悟られぬように気丈に返事を返した。それを見た義輝は再び下段に控える一同を見渡すように視線を向けると、改めて号令を発した。


「良いか!この謀反を対処してこそ幕府による日ノ本の完全なる統治が実現する!各諸侯はこの乱を鎮圧する事に全身全霊を捧げよ!」


「ははっ!!」


 ここに京の幕府は宣戦布告を叩きつけて来た鎌倉府並びに傘下の諸大名を討伐する方向に舵を切り、幕府傘下の諸大名に戦備態勢を取るように命じたのであった。これを受けて諸大名は領国に戦支度を命ずる一方で総大将である輝長・秀高両名の軍議に備えるべく各々の屋敷へと帰っていったのである。




「秀高、どうかしたの?」


 その将軍御所での会議が終わった後、秀高は将軍御所の大広間から退出する途中の渡り廊下で足を止め、そこから中庭の方を振り向いて夕暮れ時の空をじっと見つめた。その姿を大高義秀(だいこうよしひで)と共に秀高の後を追いかけて来た信頼が声を掛けると、秀高は山向こうに太陽が隠れる風景を見つめながら信頼の問いかけに答えた。


「ついに、起こるべくして起こったな。」


「…うん。」


 秀高と横並びで義秀と信頼が並び、秀高と同じように夕陽を見つめながら信頼は秀高に返事を返した。すると秀高は夕陽をじっと見つめたまま信頼に対してこう尋ねた。


「なぁ信頼、お前数ヶ月前に関白殿が京で公家たちと会ってるって話になった時、輝虎は覚慶を擁立して首の挿げ替えを狙っているんじゃないかと言ったよな?」


「うん。でもさっきの話だと、輝虎は藤氏を将軍職に就けようという話だったね。」


 秀高から振られた将軍職挿げ替えの一件について、先月に予測を語った信頼は先ほどの会話を思い返して返事を返すと、自身の中にも残っていたモヤモヤを露わにするように秀高へ言葉を返した。


「でも、それだったら関白殿がここまで公家との密会を重ねる必要はないと思うよ。おそらくだけどさっきの話はブラフの可能性も…」


「覚慶擁立もあり得るわけだな?」


 それまで二人の会話をずっと黙って聞いていた義秀が口を開き、信頼にそう尋ねると信頼はこくりと頷いた後に言葉を義秀に返した。


「まぁそれも確証はないけどね…現状幕府は輝虎が言って来た藤氏擁立を真実としてるけど、輝虎や信隆(のぶたか)たちの本当の狙いが覚慶の擁立だった場合、手薄になった京でもしもの事があれば全てがひっくり返る恐れがある。」


「…ならば今回の戦い、幕府直轄の軍勢は動かせないな。」


「となると、諸大名の軍勢だけで鎌倉府の軍勢と戦うのか。」


 万が一の可能性を危惧する信頼の言葉を受け、幕府軍の総大将でもある秀高が大まかな陣立てについて発言すると、義秀の言葉の返しにこくりと頷いて視線を義秀の方に向けながら言葉を返した。


「あぁ。だがどちらにしろ今の幕府従属の諸大名と鎌倉府傘下の諸大名、軍勢の兵数で見れば鎌倉府が勝っている。これから先はかなり厳しい戦いになるだろうな。」


「あぁ。だがようやく上杉と戦えるんだ。腕が鳴るってもんだぜ。」


 義秀が秀高に対して意気込むように言葉を発すると、秀高はふっとほくそ笑んだ後に再び視線を沈みゆく夕陽の方に向けてじっと見つめていた。果たしてこの夕陽が指し示す者は幕府の将来なのか、それとも今まで誠心誠意生き抜いてきた自分たちの未来の暗示なのか、はたまたこのような暴挙に出た輝虎たちの将来なのか…それの答えを知る者は誰一人いなかった。だが一つだけ確かな事は、輝虎も織田信隆(おだのぶたか)も己の存亡を賭けて挙兵し、これに秀高たちも己の存亡を受けて立ち向かうという事であった。




 康徳六年七月四日。後の世に「東国戦役(とうごくせんえき)」と呼ばれる一連の大戦乱がこの日より起こった。そしてこの大戦乱によって秀高たちの運命は大きく変わることになるのである…。





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