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1572年5月 京の情勢と対抗策



康徳六年(1572年)五月 山城国(やましろのくに)伏見城(ふしみじょう)




 それから数日後の五月六日、伏見城に五摂家(ごせっけ)の一人である二条晴良(にじょうはるよし)が数名の堂上公家(とうしょうくげ)を引き連れて来訪。これを秀高は本丸表御殿の大広間にて引見し、来訪の用向きを伺った。


前久(さきひさ)殿の動きが?」


 この伏見に来訪した晴良が秀高に申した来訪の用向きとはまさに、先月来よりその動向が怪しまれている関白(かんぱく)近衛前久(このえさきひさ)の行動そのものであった。越後(えちご)春日山かすがやまより帰還した後の前久の動きが慌ただしくなっていると晴良は大広間の上段にて向き合う秀高に対して言葉を続けた。


「如何にも。関白殿は春日山より帰還せし後、押小路(おしこうじ)壬生(みぶ)といった地下(じげ)の公家たち、並びに阿野(あの)小倉(おぐら)四辻(よつつじ)といった堂上家(とうしょうけ)の公卿たちとしきりに面会しておるとの由。」


「前久殿がそんなに盛んに…。」


 前久が春日山より帰還して以降、ここ二か月の間に前久はひっきりなしに京中の堂上・地下の公家屋敷を訪れていた。その数は二ヶ月の間に三十もの公家を訪れ、中には何回も同じ屋敷を往来していたのだ。この動きを見て不穏な気配を感じていた晴良は秀高の反応を聞くと首を縦に振ってから言葉を返した。


「うむ。麿はその動きを見て尋常ならずと悟り、直ちに兼孝(かねたか)内基(うちもと)と協議して仲が深き清華(せいが)大臣(だいじん)家の堂上公家と連携を深めて前久の陰謀に乗らぬことを確認した。だが関白と仲厚き徳大寺(とくだいじ)久我(くが)大炊御門(おおいみかど)は関白に同調するであろうな。」


「これに対抗するためには、我らも朝廷内で派閥を形成する事が肝要となりまする。そこで二条卿は既に自身に賛同する者達を集めて関白様の謀略に対抗しようとしておりまする。」


「…それを聞いた上で帝の事を思えば、心苦しい物です。」


 前久の行動によって下手すれば帝を支える臣下の最上位である公家が分裂しかねない事態を受け、秀高は帝の心情に思いを馳せながら言葉を晴良に返した。


「帝の臣下の首座である関白が武家の陰謀に乗っかり、世を騒がせる動きを率先して行うとは不届き至極と言うにふさわしい物。晴良殿、我らは朝廷の事に表立って介入は出来ませんが朝廷内の事はお任せします。」


「うむ。朝廷の事はこの麿に任されよ。」


 この言葉を受けて晴良は秀高を安心させるように心強い言葉を発して答えた。この後晴良ら九条流摂家(くじょうりゅうせっけ)五摂家(ごせっけ)の立場を有効活用し、三条(さんじょう)西園寺(さいおんじ)等の清華家や正親町三条(おおぎまちさんじょう)中院(なかのいん)三条西(さんじょうにし)三大臣家(さんだいじんけ)と連携。更には羽林家(うりんけ)にも工作を行って近衛流摂家(このえりゅうせっけ)とそれに賛同する勢力とは別の勢力を形成した。これによって朝廷は裏で公卿たちが二つの派閥に別れて分裂する事態となったのである。


「それとのう秀高殿。今日はもう一つ申したい事があって参った。具教(とものり)?」


「はっ。」


 そんな中、晴良は話題を切り替えるようにもう一つの来訪の要件について触れると、この場に同道して来ていた権中納言(ごんちゅうなごん)(さき)伊勢国司(いせこくし)でもある北畠具教(きたばたけとものり)に話を振った。具教は晴良から話を振られると上座の秀高に対してもう一つの要件の事について語った。


「秀高殿、実は浪岡(なみおか)浪岡顕範(なみおかあきのり)殿より輝虎が野心を発露させ、万が一にも挙兵に及べばこれに反旗を翻すとの事。同時に浪岡殿の挙兵に南部(なんぶ)安東(あんどう)なども応じるとの由。」


「南部に安東が挙兵すると?」


 具教の北畠家(きたばたけけ)とは同族でもある浪岡北畠家(なみおかきたばたけけ)。その現当主である顕範が具教に届けた密書というのは、東北遠征に置いて最後まで頑強に抵抗していた南部・安東といった東北奥地の諸大名が輝虎に挙兵の動きあらば、浪岡家に連動して輝虎の鎌倉府に反旗を翻すという内容であった。この密書の内容を聞いて秀高が具教に聞き返すと、具教はその密書に書かれていたもう一つの内容を秀高に伝えた。


「浪岡殿からの密書によれば、輝虎の気性からすれば鎌倉府傘下の諸大名に宣戦布告の文書に連署を迫る恐れがあるとの事。そうなった際には輝虎に挿げ替えられた南部や安東などの諸大名はそれに連名し、挙兵となればかつての当主を擁立して実権を掌握。その上で挙兵に及ぶと申しております。」


「確か…南部は南部信直(なんぶのぶなお)殿、安東は安東茂季(あんどうしげすえ)殿が当主になっているはずでしたね?」


 先の東北遠征の結果、頑強に抵抗した南部家の家督は養子の信直に、そして安東家の家督は弟でもある茂季へと交代させられていた。具教からの申し城を聞いて秀高が両家の当主の名を出して晴良に尋ねると、自身も浪岡家からの密書に目を通していた晴良は首を縦に振ってから秀高に言葉を返した。


「如何にも。浪岡の密書が正しければ挙兵と同時にそれらの当主はかつての当主に交代するという事になる。即ち南部は信直から養父の南部晴政(なんぶはるまさ)、安東は茂季から兄の安東愛季(あんどうちかすえ)へと…」


「そうなれば輝虎はそちらに軍勢を割かなくてはなりませんね。」


 もし、浪岡家からの密書の通りに南部・安東といった東北奥地の諸大名が代替わりして鎌倉府へ反旗を翻す事態となれば、輝虎が時間を割いて行った東北遠征の成果は水泡に帰し、のみならず再び北から輝虎を苦しめる存在になるのは明らかな事であった。これに具教は秀高に対してそのような事態になった際の影響を語った。


「南部や安東のみならず、元々地方で割拠していた戸沢(とざわ)小野寺(おのでら)、それに斯波(しば)稗貫(ひえぬき)がこれに同調すれば輝虎の出鼻を挫くことも出来まする。」


「秀高殿、もしもの時に備えてこれらへの工作を行っては如何か?」


「なるほどな…信頼(のぶより)、どう思う?」


 と、具教に続いて発言した中納言(ちゅうなごん)姉小路頼綱(あねこうじよりつな)からの言葉を受けた秀高は、この席に同伴していた小高信頼(しょうこうのぶより)に工作の可否を尋ねた。


「確かに魅力的だとは思うけど、問題はどれほど工作の人員を向けられるかだと思うよ。今現在、稲生衆(いのうしゅう)の中だと伊助(いすけ)越後(えちご)一政(かずまさ)関東(かんとう)甲信(こうしん)の情報収集に、そして光俊(みつとし)孫六(まごろく)、そして弥之三郎(やのさぶろう)たちは領内の防諜に当たっているからね。」


「そうか…」




 この時、稲生衆は忍び頭と呼ばれる頭の下に四~五十名ほどの忍びを編成しており、それぞれが役目を請け負って各地の情報収集や工作、並びに領内の防諜任務に当たっていた。実際この頃、伊助や中村一政(なかむらかずまさ)は五十名ほどで多羅尾光俊(たらおみつとし)は配下の鵜飼孫六(うかいまごろく)含めた四十名ほど、そして尾張(おわり)にて高輝高(こうのてるたか)の護衛に当たる望月千代女(もちづきちよのじょ)は三十名ほどのくノ一を抱えていた。


 言わば一種の諜報機関に成り代わっていた稲生衆の工作状況を信頼から聞いた秀高は、その中の一人の忍び頭で同じく領内の防諜活動に従事していた鉢屋弥之三郎(はちややのさぶろう)について触れた。




「信頼、弥之三郎配下の忍びはどれくらいいる?」


「ざっと三十名ほどだと思うよ。」


 信頼から弥之三郎配下の忍びの数を聞いた秀高は、頭の中ですぐに考えを巡らせると、矢継ぎ早に決断を下して信頼に指示を飛ばした。


「よし、弥之三郎に命じて南部や安東、それにさっき名前が上がった者達に接触し離反を促してくれ。褒賞を求められた時には幕府が本領安堵のみならず場合によっては加増も認めるとな。」


「分かった。じゃあその様に動くよう命じておくよ。」


 信頼が秀高の下知を受けて言葉を発して承諾すると、秀高は顔を晴良の方に向けると頭を下げて謝意を晴良に示した。


「晴良殿、有意義な情報を頂いて感謝申し上げます。」


「何の、秀高殿こそご健勝をお祈りいたしておりまするぞ。」


 晴良は秀高の挨拶を受けて互いの健勝を祈るように言葉を秀高に返したのであった。春日山の謀議のことについて、この時秀高らは確かな情報を得ていなかったものの並々ならぬ気配を察知しこれに対抗する手段に出た。果たしてこの手段が一体どのような結果を生み出すのであろうか。それが分かるには今しばらくの時が必要だったのである…。





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