1572年2月 再建の発議
康徳六年(1572年)二月 山城国京
それからしばらく経った二月二十二日。京の上京にある帝の御所・土御門東洞院殿の清涼殿にて帝の隣席の元五摂家の面々が朝議を行っていた。その議題こそ数年前に焼失した王城鎮護の要たる比叡山延暦寺再建のことであり、発案者でもある関白・近衛前久は清涼殿の謁見の間にて脇に居並ぶ二条晴良ら九条流の五摂家に改めて再建の意義を発言した。
「先の兵火によって延暦寺が焼失して以降、民衆の恐れや不満は日に日に大きくなっており、また周辺諸国の諸寺院に多大なる悪影響を及ぼしておりまする。これらの不安を除く為にも延暦寺の再建は早急に行わねばならぬ一大事である。」
「それは分かるのだがのう…。」
と、謁見の間の脇に控える晴良は前久の言葉を受けると表情を曇らせ、前久が発言した延暦寺再建の事について反対意見を述べた。
「延暦寺には幕府からの悪僧追討要求の際、勅令を発して朝敵に指名したばかりなのじゃ。延暦寺その物に罪はないが朝敵を発して日も経たぬうちに再建を行えば朝廷の面目は損なわれようものぞ。」
「さにあらず。その様な事情があるのならばこそ延暦寺を再建し、民衆の心を落ち着かせるべきに非ずや?」
前久は謁見の間の脇に控える二条、九条、そして一条内基ら九条流摂家の面々に対して民衆の心情を持ち出して説得した。確かに今現在において延暦寺の焼失に京の民衆は恐れ戦いてはいたが、前久の言うような不満というのはそこまで起こっていなかった。そんな現状をよく知っている兼孝は前久に向けて自身も反対意見を述べた。
「関白殿、既に帝がご宸翰を発し勅令を持って朝敵となした以上は、例えどのような事情があろうと再建は差し控えるべきであろう?」
「何を仰せになられる。既に新たな延暦寺の住持として覚恕様をお迎えする手はずとなっている今、天台座主でもある覚恕様の為にも直ちに朝敵指名を解き、延暦寺を再建させるが筋に非ずや!」
先の延暦寺僧兵による強訴を受けて、朝廷は延暦寺僧兵に対して朝敵指名を行いそれによって焼失という憂き目にあった。前久は再建のためには朝敵指名を解くべきだと言って晴良らを説得しようとしたが、次にその晴良から発せられたのは天台座主に就く皇族・覚恕に関する一つの噂についての事だった。
「…ならば掻い摘んで申し上げるが、その覚恕殿に良からぬ噂があるとか。」
「良からぬ噂?」
この晴良からの言葉を受けて前久は呆気に取られた様な声色をして反応した。そして晴良は前久に対して昨今噂として広まりつつある覚恕についての事について言葉を発した。
「覚恕殿は密かに上杉輝虎殿の手下と密会を重ね、京にてひと騒ぎ起こす腹積もりであるとか?」
「二条卿…一体何の確証があってそのような事を?」
晴良が言った「覚恕と上杉家臣と思しき人物との密会」を聞いて、前久は驚きの表情を見せて反応した。前久からすれば皇族である覚恕と上杉家臣の密会は正に寝耳に水のことであり、全く聞き及んでいない情報でもあったのだ。この意外な事を聞いて前久が事の根拠を尋ねると、晴良はその根拠について語った。
「確証…というよりはその覚恕殿が京の外れにある三十三間堂にて上杉家の家臣と思しきものと面会しているのを我らの家人が目にしておる。」
「もしそれが噂通りの密会であれば由々しき事!更に言えばそれを知りつつ延暦寺再建を押し進めようとする関白殿の事も疑わねばなりませぬ!」
「一条卿!それは余りにも心外な仰せ!」
晴良に賛同するように内基も前久に対して厳しい言葉を投げかけると、前久は即座に反論したがその場の空気は前久に対して厳しい視線を浴びせるような雰囲気となり、そして上座にかかる御簾の奥からも冷たい視線を感じた前久は、御簾の奥にいる帝に対して改めて再建の意義を説くように発言した。
「帝!この臣が再建を説くは単に王城鎮護と朝廷の為にございまする!その事しかと、ご留意くださいますよう切にお願い致しまする!」
「…」
するとこの反論を受けた御簾の奥から一回、鈴の音が鳴り響くと御簾が上がって上座の奥にいた帝が姿を見せた。それをみて晴良ら九条流摂家の面々や前久は頭を下げて一礼すると、その中で帝は自身に対して発言して来た前久に対して言葉をかけた。
「…前久、そなたの申す事は分かった。今日の所は下がるが良い。」
「帝…。」
「さぁ、関白殿。」
帝から謁見の間からの退出を促された前久に対して晴良が声を押し殺して同じく退出を促した。それを聞いた前久は帝に対して一礼をすると座ったまま後ずさりをし、暫く下がった後に腰をかがめて立ち上がり謁見の間から下がっていった。その姿を見送った後に帝はその場にいた晴良に意見を求めた。
「…晴良、そなたの率直な意見を申すが良い。」
「畏れながら言上仕りまする。この晴良、延暦寺再建そのものには反対致しませぬが、先にも申し上げた通り勅令が発せられたばかり。ここで再建の綸旨を発せればそれこそ世の失笑を買う虞がありまする。」
晴良は帝に対して発議の内容について己が所存を述べると、再び頭を下げて視線を落とした後に改めて自身の考えを発言した。
「よってここは当面の間時勢の移り変わりを待ち、しかる後に再建の綸旨を発せればよろしいかと臣は思慮いたしまする。」
「…兼孝に内基も同じか?」
晴良の言葉を受けた帝は、頭を下げているほかの両名に対して意見を尋ねた。この帝の言葉に両名は言葉を発さずに、賛同する意味を込めて頭を深く下げるとそれを見た帝は自身の弟でもある覚恕の事を思いながら言葉を発した。
「…覚恕には可哀想ではあるが、当面の間は見合わせるが良かろう。」
「ははっ、それが宜しいかと存じまする。」
こうしてここに帝から延暦寺再建の当面の間見送りが決まり、それを受けた晴良ら九条流摂家の面々は深々と頭を下げて返事を返した。そして延暦寺再建の見送りが改めて宣告されると失意の前久は朝廷から下がるとその足で伏見へと向かって行った。目的は伏見にいると思っていた幕府重臣・高秀高と面会する為であった。
「…秀高殿がおられぬ?」
「関白様のお越し誠に恐縮なれど、我が主は未だ上洛の途上にて、あと数日すればこの伏見に参る手はずとなっておりまする。」
しかし、伏見城に到着した前久に告げられたのは、城主・秀高の不在であった。伏見城代を務める高家筆頭家老・三浦継意より秀高が本国・尾張から上洛途中であるとの事を聞いた前久は、少し残念な表情を浮かべたがすぐに顔を明るくさせて継意に返答した。
「左様か…ならば秀高殿がお越しになり次第、この近衛が面会をしたいとお伝え願いたい。」
「承知仕った。その儀しかと我が主にお伝えいたしまする。」
継意にそう言った前久は、僅かな供と共に重い足取りで洛中の自邸へと帰っていった。前久にすれば今回の秀高への面会は正に藁にも縋るような想いであり、そんな前久に秀高上洛の一報が届いたのは、それからわずか数日後のことであった。




