1572年2月 覚慶の決断
康徳六年(1572年)二月 大和国興福寺
康徳六年二月某日。ここは興福寺の別院である一乗院。ここの門跡を務めている将軍・足利義輝の弟である覚慶を二人の人物が訪れていた。一人は僧侶の姿に扮していた明智十兵衛光秀。そしてもう一人は尼僧の扮装を纏っていた光秀の主君・織田信隆その人が覚慶の目の前に座していたのである。
「既に室町幕府は改革派と称する不逞の輩たちによって見るに堪えぬ姿に成り果てようとしております。我らの庇護者でもある上杉輝虎殿は既に、今の上様に内心見切りを付けておりまする。」
「…それをどこまで信じてよいのやら。」
一乗院の本堂の中に置いて、薄暗い室内を照らす蝋台の灯火の中で密談が行われている中、覚慶は目の前に相対す信隆より幕府の現状を伝えられると、訝しむような反応を見せて自身が耳にした噂を元に信隆に言葉を返した。
「このわしの耳にも、兄と輝虎殿の蜜月は入ってきておる。兄を信奉する輝虎殿がいきなり見切りを付けるとは到底思えぬが?」
「それが今現在、輝虎殿はその上様から越後国への蟄居を命じられておるのです。」
と、この密談に同伴していた光秀が輝虎の現状について語った。去る昨年の上洛以降、輝虎は義輝より越後での蟄居を命じられると、幕命には逆らえぬと渋々その蟄居を受け入れていた。しかしこの蟄居が輝虎に与えた心への影響は大きく、それが光秀の言葉によって覚慶へと伝えられたのである。
「この蟄居を受けた輝虎殿は内心大きな衝撃を受けており、重臣である本庄実乃殿や直江景綱殿に幕府や上様への失望を大いに漏らされておるとか。」
「このような事態になったのも全て、改革派の筆頭たる高秀高が上様を誑し込み、輝虎殿の信任を全て奪ったことに起因しておるのは必定です。今の幕府の惨状を救うのは弟君であらせられる覚慶さまが立ち上がり、上様に代わって新しい上様になる他道はありません。」
信隆は光秀の言葉の後にこう諭した。この言葉を受けて覚慶はようやく、信隆の来訪の用向きに確信が持てた。つまりこの目の前にいる尼僧の格好をした姫君は、自分に対して畏れ多くも兄を追い落として将軍職に就くべきだと言ってきているのである。その申し状を受けた覚慶は兄への想いよりもまず、この様な現状に追いやられた秀高ら幕臣たちへの怒りを先に出して信隆に言葉を返した。
「…このわしとて秀高への不満や憤りはある。だが周囲を秀高に心寄せる諸大名に囲われている今、上杉殿を初め鎌倉府の傘下に入る諸大名の後押しがなければ将軍位に付くことは到底出来ぬ。」
「覚慶さま、ご案じなく。」
この覚慶の発言を聞いた光秀は覚慶の苦悶を消し去るように言葉を発すると、懐から一通の書状を取り出してそれを覚慶の前に置き、その書状について語り始めた。
「これは内々に受け取ってきた輝虎さまの親書にございます。この中には「もし万が一に立ち上がるのであれば、上杉家や鎌倉府傘下の諸侯は挙って覚慶さまにお味方する」との旨が書かれています。」
無論この光秀の発言は真っ赤なウソであり、覚慶の目の前に置かれたのは輝虎からの親書ではなく偽の書状であった。なぜ光秀がこのような行動を取ったのかといえば、それはただ単に覚慶を説得し将軍職への野心を焚きつけるに他ならなかった。現に先程の光秀の発言を受けた覚慶はその言葉に関心を示し、それを見た光秀は好機を見つけたとばかりに畳みかけるように覚慶を煽った。
「現在の鎌倉府は奥羽二ヶ国に加え関東八カ国に伊豆と甲斐に信濃。それと輝虎さま本領の越後合わせて十四ヶ国もの大領を有しております。これらが覚慶さまの味方に付けばさしもの秀高も苦戦する事は間違いないと思います。」
「…もし万が一にそうなったとしても、京の公家たちが代替わりを認めるのか?」
光秀の言葉を受けて段々と心の中に燃え上がり始めた野心を抑え込みながら、覚慶はもう一つの懸念事項である将軍宣下の事を尋ねると、光秀は覚慶の疑問に対して即答して答えた。
「それはご案じなく。今の関白は我らに近い近衛前久公にて、関白・近衛公のご推薦あらば他の五摂家を始め諸公家は従う他ありませぬ。」
「…ここまでの勝算があるのです。あとは覚慶さまの御心次第にございます。」
光秀の言葉の後に信隆は覚慶に対して念を押すような言葉を送った。この言葉を受けた覚慶はしばらく下を俯いて考え込んだ。自身は兄・義輝の将軍職継承の後、仏門に入って幕府の繁栄を願っていたがここに至って自身を慕う者達が代替わりを望んできている。この思いに応えてやりたい気持ちと野心が段々と燃え上がり、やがて決心したかのように顔を上げると、その場にいた信隆や光秀に対して問いかけた。
「一つ尋ねたい。そなたらは本心からこのわしが将軍家の長に就くべきだと思っているのか?」
「はい。今の幕府を救うのは覚慶さまを置いて他にはありません。」
「然り!覚慶さまならば各国の武家も我先に従うは必定にございまする!」
覚慶の問いかけに対して信隆や光秀は即答した。覚慶からすれば自身が将軍に就くべきだとの返答だと受け取ったが、二人からすればその即答は忠義心から来る答えではなく、それとは別の思惑を込めた即答であった。そんな二人の腹の内など知らない覚慶は、この返答を受け取ると覚悟を決めたように首を縦に振り、信隆らに対してこう言った。
「…分かった。そこまで言うのであればこの覚慶、兄から将軍家の座を奪う事に賛同しよう。」
「良くぞ仰せになられました。その返答を受けただけでも恐悦至極にございます。」
この返答を受けた信隆は満足そうに微笑みながら返事をした。言わば信隆からすれば自身の策略に覚慶がものの見事に引っ掛かったのである。そんな喜ばしい気持ちを覚慶に悟られぬように押し殺しつつ、覚慶に対して光秀を指差しながら言葉を返した。
「では覚慶さま、詳しい事はこの光秀を通じて連絡いたしますので、それまではどうか秀高の忍びに動きを悟られぬようお願い致します。」
「うむ。そなたも帰路は気を付けて帰るが良いぞ。」
この言葉を受けた信隆と光秀は覚慶に対して会釈を返し、そのまま立ち上がって本堂の外へと出て一乗院を後にしていった。それを見送る覚慶は将軍職継承に身を乗り出す覚悟を決め、決心した表情で信隆らを見送ったが、その見送られる信隆らは覚慶に背中を見せて一乗院を後にしながら、ニヤリとほくそ笑んだ光秀から信隆は話しかけられた。
「…殿、まずは重畳にございますな。」
「えぇ。あとはこれを元に輝虎を説得すれば盤面をひっくり返す準備が始まるという物です。」
信隆にすればこの覚慶の返答はただ単に、自身が今後打っていく謀略の序章に過ぎず、いわば追い詰められた碁盤の盤面をひっくり返す一歩に踏み出しただけのことであった。そして微笑む信隆は畿内に留まる光秀に対して指示を下した。
「光秀、早ければ今年の秋ごろに行動を起こします。それまでは地下の公家たちを通じた折衝を含めた畿内の工作、任せましたよ。」
「ははっ!」
この返事を受けて光秀は承諾の意を込めて返事をした。この一乗院での会談は幸運なことに秀高配下の忍びである稲生衆に察知されることはなく、覚慶との会談を終えた信隆は虚無僧の護衛の下密かに越後へと帰還していった。そしてこの信隆・覚慶との極秘裏に会談後、信隆らに風が吹くような事が今度は京の中枢で起こったのである。




