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1558年4月 動き出す弓取り



永禄元年(1558年)四月 駿河国(するがのくに)今川館いまがわやかた




 山口教継(やまぐちのりつぐ)山口教吉(やまぐちのりよし)父子、死す。


 この報せは、その死から数日後に、今川館に鎮座する今川義元(いまがわよしもと)に知らされた。




「義元、教継親子が死したのは、真の事ですか?」


 その義元の居室でこう尋ねてきたのは寿桂尼(じゅけいに)であった。義元は寿桂尼の言葉を聞くと、それに答えた。


「はい…まさかこのようなことになるとは…」


 すると、その教継親子の死を知らせて来た今川一門衆筆頭の関口親永(せきぐちちかなが)が義元にその詳細を伝えた。


「聞くところによれば、教継親子は狩りに出ていた所を、何者かによって襲撃されたとのこと。」


「何者かに…ですか?」


 寿桂尼が親永の報告に、気になるところを見つけて聞き返すと、親永は寿桂尼にこう言った。


「はい…鵜殿長照(うどのながてる)よりの報告によれば、その襲撃者はどうやら…その場に「赤鳥紋(あかとりもん)」を落としていったとの事…」


「ほう、赤鳥紋をか…」


 その報告を聞いて義元は眉をピクリと動かし、不機嫌な表情を見せた。


「…母上、その教継親子を襲撃した者どもは、とても嫌らしい者どもですな。」


「親永、では長照が独断でやったことではないのですね?」


 寿桂尼の念を押す言葉を聞いた親永は、すぐに頭を下げて寿桂尼の不安を拭う様に返答した。


「滅相もありませぬ!長照がこの事を起こして、何の益がありましょうや!」


「…いや、これは好機じゃ。」


 とその時、その話の流れを断ち切るように、義元はその一言を発した。それを聞いた親永や寿桂尼はいきなりの発言に呆気に取られていた。


「まさかこのようなことになるとは、思いもよらなかったが、いずれは山口親子は粛清する事にしていた。その手間が無くなっただけだ。」


 その言葉を聞いて寿桂尼には、義元の母として、また義元の家臣に対する価値観の薄さを感じた。義元には、名門・今川家の出である自負からか、余所者の国衆たちに対する辺りは厳しすぎる物があった。その一面がまたも出たかと、寿桂尼は落胆した。


「泰朝!元信!おるか!」


 義元がその名を呼ぶと、その居室に譜代の家臣である朝比奈泰朝(あさひなやすとも)岡部元信(おかべもとのぶ)が入ってきた。


「太守、お呼びにございますか?」


「泰朝、そなた長照に使者を発し、直ちに鳴海城(なるみじょう)を接収し、高秀高(こうのひでたか)ら山口一門にその重臣、更にはその一門を(ことごと)く誅せよと伝えよ。」


「山口一族を…根絶やしですか?」


 その予想外の指示に泰朝も、そして今まで笠寺城(かさでらじょう)代として尾張(おわり)に在陣していた元信も一様に驚いた。


「そうだ。この際にあの男…高秀高は消す。そうすれば、今川家の天下は安泰となろう。直ちに使者を送れ。」


「…ははっ。」


 泰朝は義元の非情かつ冷酷なこの指示を、飲み込むように承諾して頭を下げた。その後、義元は続いて元信の方を向いてこう言った。


「元信、直ちに駿河(するが)遠江(とおとうみ)三河(みかわ)の三国に陣触れを発せよ。」


「陣触れ…?」


「義元、いったい何をするつもりですか?」


 元信がその義元の指示を疑問に思って聞いた後、寿桂尼が義元を問いただすようにその指示の真意を尋ねた。


「この際に、尾張を統一したばかりのうつけを討ち、尾張を手中に収める。」


 義元のこの発言はつまり、この機に尾張を制したばかりの織田信長(おだのぶなが)までも討ち取り、尾張国を一気に今川家の領国に組み込もうという物に他ならなかった。


「何を考えているのです!今は尾張の国衆を纏めるが先決。うつけなど後にしなされ!」


「母上は甘い。この隙にうつけをも打たねば、わしはいつまでたっても(みやこ)に上れませぬ!」


 義元は寿桂尼にこう言い返すと、すくっと立ち上がってこう言い放った。


「この隙に今川家の格の違いを、尾張の者どもに見せつける!」


 その義元の気迫は、今まで寡黙に努めていた義元ではなく、己の願望を剥き出しにし、その目標へと邁進しようとする表れでもあった。


「分かったか元信。二ヵ月だ。二ヵ月後の六月、尾張に向けて出陣する!」


 そう言った後、義元はその場から立ち去っていった。その場に取り残された重臣一同と寿桂尼は、義元の後姿をただ、見送る事しかできなかったのである。


 ともかく、義元が長照へと下した指令はすぐさま、早馬によって長照のいる大高城(おおだかじょう)へと送られていったのだった。




————————————————————————




 その頃、高秀高が城主となった鳴海城では、桶狭間(おけはざま)の旧秀高館からの諸々の引っ越し作業が終わり、正式な生活の場として機能を開始していた。


「秀高、沓掛城(くつかけじょう)近藤景春(こんどうかげはる)殿が来てるよ。」


 かつて教継が居室として使っていた一室。その場に妻の(れい)や子の徳玲丸(とくれいまる)、そしてその徳玲丸と一緒に遊んでいた静姫(しずひめ)と穏やかに過ごしていた秀高の元に、取次の役を担っていた小高信頼(しょうこうのぶより)がこう報告してきた。


「そうか、ここに通してくれ。」


「分かった。」


 秀高の指示を聞いた信頼は、その居室へと二人の人物を案内してきた。


 一人は、教継の代から協力関係にあった沓掛城主の近藤景春(こんどうかげはる)であった。教継死後、教継一門の山口盛政(やまぐちもりまさ)の説得を受けた景春は、引き続き秀高に仕えることを誓い、ここにもう一人の人物を連れてきていたのだ。


「これは秀高殿、お初にお目にかかります。沓掛城主・近藤景春にございます。」


「景春、よくぞ来てくれた。その名前、耳にしていたぞ。」


 部屋の外で名乗った景春を、秀高は声をかけて中へと誘った。景春はそれに応えると、その人物と共に中に入って秀高に一礼した。


「この度は、先代薨去(こうきょ)につき、鳴海城主への就任、祝着至極に存じます。」


「お言葉、かたじけない…そうだ、景春に申し渡すことがある。信頼。」


 その秀高の言葉を受けた信頼は、用意してあった書状を広げ、その内容を読み上げた。


「近藤景春、先代への忠勤見事につき、引き続き沓掛城主の職を命じ、同時に家老職に任ずる。」


「なんと…某を家老職に…ははっ!身に余るお申し出。謹んでお受けいたしまする!」


 その言葉を聞いた秀高は頷き、信頼は書状をたたみ、紙の中にしまうとその書状を景春に手渡しした。


「ありがたい…これよりは、誠心誠意お仕えしますぞ!殿!」


 景春はそう言うと、話を変えるように景春の後ろに控える人物を秀高に紹介した。


「殿、これに控えるは、沓掛近辺の土豪の簗田政綱(やなだまさつな)にございます。


 この人物の名は簗田政綱。沓掛近辺に住む土豪の一人である。その名前を聞いた秀高と信頼には聞き覚えがあった。なぜならこの人物こそ、義元を討ち取る重要人物のひとりであったからだ。


「簗田政綱にございまする。景春殿より殿のうわさを聞き、是非ともお仕えしたいと思い、罷り越しましてございます!」


「そうか。その力、頼りにするぞ。」


 そう言うと秀高は、政綱にある事を頼んだ。


「そうだな…じゃあ政綱はこれよりこの領内一帯、特に三河方面からの街道筋を見張り、早馬等を見かけたらすぐに捕えてくれ。それが俺たちの今後を決める。頼んだぞ。」


「ははっ!!我らにお任せを!」


 その指示を聞いた政綱が返事をした後、景春ら二人は頭を下げてその場を去っていった。その後、その一連の動きを見ていた静姫が先ほどの秀高の依頼についてこう聞いた。


「秀高、今の申し出って今川の…」


「あぁ。早馬対策だ。もう亡くなってから三日。恐らく義元の早馬がこの尾張に来る頃だろう。」


「うん。恐らく今日明日、その早馬が来るかもしれない。これを捕まえれば、一気に勝ちは見えてくる。」


 信頼が秀高の意見に賛同するようにこう言うと、静姫は秀高にこう告げた。


「それに、あんたの指示のおかげで、民たちは大きな混乱もなく従ってくれるって言うじゃない。」


「…あぁ、これも、盛政らのお陰だ。」



 既に教継父子の死後、盛政らは旧山口領内を渡り歩き、教継の死と秀高への忠誠を求めることを言った。これに桶狭間の領民だけではなく、徐々に恩恵を受けるようになっていた山口領の領民も、引き続き秀高に尽くすことを誓った。


 さらにそれだけではなく佐治為景(さじためかげ)親子が旧佐治領でも同じなようを説き伏せ、これらすべてを納得させていた。この出来事も全て、秀高の器量と将来性を信じた、民衆たちの判断そのものであった。




「これだけの民衆の支持があれば、たとえ今川や織田が相手でも太刀打ちできる!…だがしばらくは、畑仕事も出来そうにない日々が続くがな…」


 秀高が民たちのことを思ってこう言うと、静姫はその言葉につられてこう呟いた。


「そうね…しばらくは、じい様や父上の葬儀は出来そうにないわね。」


「すまない…時局が落ち着いたら、教継さまの葬儀をする。それまでは…」


 秀高がこう言うと、静姫は秀高に近づいてこう言った。


「ほら、そんな顔しないの。葬儀が遅れても、きっとじい様なら「生き残ることを先決にしろ」って言うに違いないわ。」


「そ、そうだよ秀高くん!」


 と、静姫の距離の詰め方に驚いた玲も、負けじとその隣に近づいた。


「あら?正妻の割には慌ててるじゃない?」


「そ、そんなことは…」


 その反応を見ていた秀高はぷっと吹き出し、二人に向かってこう言った。


「…ありがとう、二人とも。そうだな、俺がくよくよしてちゃいけないもんな。」


「…うん。秀高くんならきっと、大望を為せるって皆信じてるよ。」


 玲が秀高にこう言うと、そこに伊助(いすけ)が現れた。


「殿!恐ろしいことがわかりました…」


「どうした伊助…何があった!」


 すると、伊助は教継父子暗殺の真実を告げた。それはつまり、教継父子に手を下したのが、高山幻道(たかやまげんどう)とその配下の虚無僧たちであることを、示すものに他ならなかった。


「…そう、じい様たちは信長に…」


 静姫は伊助の報告を聞いて小さくこう言うと、頭を上げて秀高にこう言った。


「秀高、なら私は、今川と信長を仇として思うわ。これで…私もあんたと一緒に戦うわ。」


「あぁ。必ず…今川と信長を倒して見せるさ。」


 その静姫の覚悟を受け取った秀高は、こう言って共に戦うことをここに誓ったのだった。こうして決意を新たにした秀高たちの元に、新たな報告が入ったのは翌日の事であった。





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