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1572年1月 息子との論議



康徳六年(1572年)一月 尾張国(おわりのくに)名古屋城(なごやじょう)




 それから数日後、高秀高(こうのひでたか)はその日の政務を終えると単身で本丸表御殿の脇に広がる中庭の奥へと向かって行った。そこには旧那古野城本丸館の中庭にあった離れが改装移築されており、その名も「尾州閣(びしゅうかく)」と呼ばれる木造二階建ての楼閣が建っていたのである。この尾州閣を囲う生垣の中にある棟門を潜り、縁側を上がった秀高が障子を開けるとその中では嫡子・高輝高(こうのてるたか)が畳に座りながら書棚から本を取り出し、熱心に一字一句目を通していた。


「あぁ、輝高。来ていたのか。」


「これは父上。」


 尾州閣一階の中にいた輝高はやって来た父・秀高に挨拶を返すと、それを受けた秀高はその一室の中にある机の前に腰を下ろすと、目の前にいる輝高に向けて調子を尋ねるように言葉をかけた。


「どうだ?名古屋での政務はうまく行っているのか?」


「はい。盛政(もりまさ)重勝(しげかつ)の補佐を受けてではございまするが、領内の民政は安定しており昨年度の収穫も例年通りの蔵米を得ることが出来ました。」


 秀高は(みやこ)から在留期間を終えて本国・尾張に帰還してはいるが、取り掛かるべき民政は将来を踏まえて尾張を任せている輝高に一任しており、その成果を聞いて秀高は安堵するように輝高へ言葉を返した。


「そうか…上手く行っているのなら何よりだ。今後も二人や補佐役の重臣たちに分からない事があったら聞けよ?」


「ははっ。」


 秀高の言葉を受けた輝高は更なる精進を誓う意味合いを込めて返事を秀高に返した。その後に輝高は自身の手に持っていた書物を一目見た後、机に向かって書棚から本を取って読書をしようとしていた秀高に話しかけた。


「…ところで父上にお尋ねしたい事があります。」


「何だ?」


 息子でもある輝高からの尋ねを受けた秀高は、開こうとしていた書物を閉じて視線を輝高に向けた。その秀高からの視線を受けた輝高は、その内容を秀高に向けて単刀直入に尋ねた。


「父上は数年前より中央…(みやこ)での幕政に関与していると思いますが、その父上から見て幕府の欠点とは何でしょうか。」


「欠点か…」


 この輝高の尋ねを受けて秀高は相槌を打った後にしばらく考え込んだ。今、自身も幕政の中に身を置いている現状を踏まえ、こうした尋ねを受けて少し戸惑いもしたが、秀高は幕政に携わっているからこその幕府の欠点をすぐに見つけ、それを尋ねてきた輝高に向けて答えた。


「こんな事を言えば本末転倒だとは思うが、今の幕府は「外様」に気を利かせねばならないという所だろうな。」


「外様…確かここにある書物の中にその内容がありましたな。」


 輝高はそう言って右側にある書棚に視線を向けながら言葉を秀高に返した。ここで言う「外様」とは、秀高たちがいた元の世界において関ヶ原合戦(せきがはらかっせん)後に江戸幕府(えどばくふ)に従った旧織田(おだ)豊臣(とよとみ)系の大名や地方の有力大名を指しており、これらの大名家は大領を得る代わりに江戸幕府の要職に就けなかったとされている。そうした内容を知っている輝高の言葉を聞いた秀高は、今の幕府の内容に例えながら発言した。


「あぁ。今の幕府で言えば将軍家直参の家臣である摂津晴門(せっつはるかど)殿や三淵藤英(みつぶちふじひで)殿、柳沢元政(やなぎさわもとまさ)殿などが所謂(いわゆる)譜代(ふだい)」に相当し、俺や徳川(とくがわ)殿などは言わば「外様」の大名衆に過ぎない。そんな者が舵取りをするというのは幕政に不安要素を生み出しかねないだろう。」


「確か父上たちの世界では、戦国乱世を鎮めた江戸幕府が徳川譜代の家臣たちに幕政への関与を認め、それ以外の外様には所領のみを与え幕政には関与させなかったとか。」


 輝高が書物から得た知識を参考に言葉を秀高に返すと、秀高はこくりと首を縦に振って頷いてから輝高に向けて己の存念を語った。


「そうだ。今の幕府は草創期の過程で足利(あしかが)一門や南北朝(なんぼくちょう)の動乱で力を得た諸侯を取り込むために幕政への関与を認めた経緯がある。これは逆に言えば諸侯・一門衆が幕府を見放せば中央の幕府は空中分解しかねない危険性があるという事だ。これでは幕府の権威は限られた物にしかならないだろう。」


「…では父上は、ゆくゆくは幕政を譜代の幕臣たちに返上するつもりであると?」


 秀高の存念を聞いて輝高が父・秀高の考えを予測して尋ねると、その予測を聞いた秀高はこれまた首を縦に振って頷いた。


「あぁ。俺は上様(足利義輝(あしかがよしてる))の妹でもある詩姫(うたひめ)を娶ってはいるが一門衆ではなく外様の一大名。上様から幕政への関与を命じられただけの存在だ。その論理に従うのならば幕政の主導権は幕臣たちに返すのが筋だろう。」


「確かにそうするのが道理ではあると思います。そして父上の論理も決して間違ってはいません。」


 秀高が元の世界での成り行きを元に身の振り方ともいうべき方針を輝高に語ると、輝高はその考えを否定せずにやんわりと肯定したが、しかし次には今の幕府の内情を踏まえた厳しい現状を秀高に叩きつけるように続けた。


「しかし、今の幕府は最早死に体であるに等しいかと。」


「…何?」


 輝高のこの言葉を聞いて秀高は呆気に取られたかのように相槌を打った。そして輝高は名古屋にいながら得た上方…京での情勢を踏まえて幕府の厳しい現状をつぶさに語り始めた。


「聞けば上様は昨年、ご正室との間に子を宿しその子の誕生は春ごろと噂になっています。もしその子が男であれば将軍家嫡子となりましょうが、その間に上様に万が一の事があれば、跡を継いだ幼君を補佐する為に諸侯衆が積極的に幕政に関与する事態になりましょう。これは正に、父上の世界で起こった豊臣秀吉(とよとみひでよし)没後の事態に酷似する(おそれ)があります。」


「…五大老(ごたいろう)か。」


 五大老…太閤(たいこう)・豊臣秀吉亡き後、跡を継いだ豊臣秀頼(とよとみひでより)を補佐する為に設けられた役職で、有力大名である徳川・前田(まえだ)上杉(うえすぎ)宇喜多(うきた)毛利(もうり)の五名で構成されていた。しかし構成員の一人である徳川家康(とくがわいえやす)の力が抜きんでていた為に豊臣家中で内部紛争が勃発。これが後に江戸幕府成立の要因の一つにもなったのである。そうした事実を秀高が呟くと、輝高は父の顔をじっと見つめながら今の幕府に照らし合わせて見通しを語った。


「それ即ち今の幕政会議(ばくせいかいぎ)よりも権力が構成員である諸侯衆に分散され、それぞれが一定の発言権を得ることになればそこで争いとなるのは必定の事。やがて構成員たちが幕府の名のもとで勝手に戦を起こす事態となれば…」


応仁(おうにん)の乱よりも酷い事態になるな。」


 かつて将軍家の後継者争いに端を発した応仁の乱以上の事態になりかねない事を秀高が悟って相槌を打つと、それに輝高は首を縦に振ってから自身の考えを秀高に語った。


「そうなってしまっては今まで幕政を主導した事の無い譜代の幕臣たちに制御できるはずがありません。そうならない為に(しばら)くは父上や管領(かんれい)畠山輝長(はたけやまてるなが))様などが幕政を主導する形を取り、後々になって法度などの法整備を行ったうえで主導権を幕臣に返すのが宜しいかと思います。」


「なるほどな。お前の言う通りだ。」


 輝高の考えを聞いて得心するように秀高が言葉を発すると、秀高はスッと立ち上がって障子の方に足を進め、障子を開いて中から外の風景を見つめながら背後にいた輝高に向けて念を押すような言葉を贈った。


「…輝高には言っておくが、おそらく近いうちに上杉(うえすぎ)が何か仕掛けてくるかもしれない。」


「上杉が?」


 先の謁見以降、将軍家と上杉の間が不和になり始めている現状を踏まえて秀高は輝高にそう言うと、輝高の相槌を聞いてから後ろを振り返り、輝高と顔を見合わせるとそれへの対処を輝高へ授けた。


「そうなった時に迅速に対処できるようにしておきたい。輝高、お前にはそれに備えて民政のイロハに加えてある程度の知恵も付けておいてくれ。その知恵はいつかきっと役に立つ時が来るだろう。」


「ははっ、心得ました。」


 この父からの言葉に輝高は粛々と従い、それを受けた秀高もまた後ろを振り返って一室の中から曇天の空をじっと見つめた。この時秀高の中には先程の輝高との会話が反芻(はんすう)されるように脳内に流れ、輝高の言う万が一の事態も考慮するようになっていた。秀高は上杉が不和になった幕府に何を仕掛けてくるのかを特に警戒していたが、実はこの時、秀高も知らない水面下である工作が進行していたのであった…。





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