1572年1月 若き武者たちの元服
康徳六年(1572年)一月 尾張国名古屋城
明けて康徳六年一月。この年は多くの若武者たちが一斉に元服を済ませたこともあり、高秀高は名古屋城本丸表御殿の大広間にその者達を呼び寄せ、名古屋在留の重臣たち隣席の元でお披露目を行った。
「皆、今年は見所のある若武者たちが当家に加わる事となった。今回はその者達を是非皆に紹介したいと思う。まずは秀利!」
「ははっ!!」
「秀利」という名前で秀高から呼ばれ、それに相槌を打って反応したのは秀高の次子である熊千代であった。前髪を剃り落とし髷を結って総髪の上に立烏帽子を被った熊千代は、その場にいる山口盛政・山口重勝等の重臣たちに向けて自身の元服後の名を名乗った。
「熊千代改め、高源次郎秀利!兄上や父上のお役に立てるよう、粉骨砕身励む所存!」
「おぉ…これは何とも勇ましい。」
「うむ。殿のご次男ながらこの勇壮な出立は並々ならぬものがあるな。」
外見から漂う勇ましさに盛政と重勝が言葉を発して感嘆すると、その反応を見た秀高は上段の上座から熊千代…秀利に向けて訓戒を与える意味も込めて言葉を贈った。
「秀利、分かっているとは思うが、お前は俺の子供ではあるが家督継承の望みは無いものと思え。その代わり俺やこの輝高への忠誠を厚くし、当家の為により一層揮ってほしい。」
「御懸念ご無用!この秀利、必ずや父上の意に応えて見せましょうぞ!」
この秀高の言葉に秀利は勇ましい言葉を発して答えてみせた。この後に秀利は幕府を介して朝廷より正六位上・内蔵正の官位を賜り、対外的には「内蔵正秀利」の名乗りを使ったのだった。秀利の次に秀高が視線を向けたのは、秀利の隣に座していた大高義秀の嫡子である力丸であった。
「続いては力丸、名を名乗れ。」
「ははっ!力丸改め、大高小太郎義広にござる!」
「ほう、この者が義秀殿の…。」
力丸改め大高義広は、大高義秀と華が産んだ子であり、秀高から見れば義理の甥にあたる。その義広には既に秀高の娘である蓮華姫との婚姻が取り決められており、その事を踏まえて秀高は義広に訓戒を述べた。
「義広、お前の父や母は俺の血縁であり、数ヶ月後には俺の娘と婚姻を結んで一門衆の一人にはなるが、政務や戦場では一家臣として扱うつもりだ。父同様、いや父にも負けぬ活躍を期待しているぞ。」
「ははっ!この小太郎義広、ここにおられる秀利殿に後れを取る訳には参りません。父に負けぬ殿への忠誠をお誓いいたす!」
「言ったな義広!それを聞いたら俺も負けるわけにはいかねぇな!」
幼き頃から顔見知りでもあった秀利と義広が互いに火花を散らすように言いあうと、その光景を見ていた佐治為景が微笑ましく思って高らかに笑いながら秀高に話しかけた。
「はっはっはっ、殿。これは随分と勇ましい若武者にございまするな。」
「あぁ。この者たちならばきっと高家の為に力を尽くしてくれることだろう。」
為景の言葉を聞いて秀高は相槌を打つと同時に微笑み、秀利と義広が高家の為に力を尽くしてくれることを心の中で願った。後に義広もまた朝廷より官位を貰い受け、秀利と同じ正六位上の正親正に任じられたのだった。ここまでの秀利と義広は言わば秀高一門ではあったが、秀高が次に重臣たちに紹介した若武者は、秀高譜代の家臣の子供であった。
「続いてだが…勝三、名を名乗ってくれ。」
「ははっ!森可成が次子、森勝三高可にございまする!」
森高可…秀高たちがいた元の世界では「森長可」の名前で知られる勇将である。この年にめでたく元服を迎えた高可の姿を見た竹中半兵衛重治は、上座の秀高の方を振り向いて相づちを打つように言葉を発した。
「森殿のご子息にございまするか。」
「あぁ。可成いわく先に元服した可隆は身体が弱く、家督の激務には耐えられぬとの事で、この高可を嫡子として扱いたいとの事だった。そこで俺はその願いを聞き入れると同時に俺の「高」の字を与えて元服させたんだ。」
「なるほど…」
既に元服していた嫡子・森可隆は病弱ゆえ城主の激務に耐えきれぬと判断した父である可成の申し出によって、嫡子の座はこの高可に移っていた。その経緯を秀高が半兵衛に語ると、その言葉を聞いた後に高可は秀高に頭を下げると、元服を済ませた今の意気込みを秀高に語った。
「この森高可、嫡子を譲ってくれた兄の分も込めて、誠心誠意殿にお仕えいたす所存!」
「よく言った。その腕と働き、期待しているぞ。」
「ははっ!!」
こうして森高可は秀高から森家の家督継承者と認められ、父・可成の元で政務などの実務に取り掛かる事となった。それと入れ替えに嫡子の座から降りた可隆は名古屋へと下向し、高輝高付きの重臣として力を奮うことになったのは後の話である…
「そして最後の者になるが、伊介!」
「はっ!」
そしてその場にいる最後の人物となった伊介の名を秀高は呼ぶと、その場にて凛々しくも勇壮な出立をしていた伊介はその場にて頭を下げ、改めて自身の名を名乗った。
「吉田次兵衛が一子にして、亡き柴田勝家殿の養子となった柴田伊介勝豊にござる。」
「柴田…なるほどこの者が柴田家の?」
そう。この伊介こそ今は亡き勝家が秀高に託した遺児ともいうべき人物であった。この事をその場にいる盛政から尋ねられた秀高は、首を縦に振って頷いてから言葉を返した。
「そうだ。元服と同時に家督を継承し、勝家殿の「勝」の字を与えて名乗らせた。勝豊には若輩者ではあるが柴田家臣団の要望もあり、当家の家老職を与えて重臣として扱うことになっている。」
「盛政様、重勝様。並びにお歴々一同に申し上げまする。若輩者にはございまするが、殿への忠義は方々にも負けぬと自負しておりまする!何卒どうか、お引き立てのほどを切にお願い致しまする!」
秀高の言葉の後に勝豊はその場にいる盛政や重勝など、年上の重臣たちに頭を下げて改めて頼み込むように挨拶を述べた。この勝豊の挨拶を聞いた為景は勝豊など四名の若武者たちを見まわしてから感嘆するように言葉を秀高にかけた。
「なるほど…これは見所のある者達ばかりにございまするな。」
「そうだろう。この四名以外にも各家で元服を済ませた者達もいる。その者達にもこの俺や当家への忠誠を尽くして粉骨砕身働いてもらいたいと思う。皆、よろしく頼むぞ。」
「ははーっ!!」
この秀高の言葉に秀利や義広、そして高可や勝豊は他に元服した者達を代表するように勇ましい返事を秀高に返したのであった。後に勝豊は重臣に列したことにより朝廷から従六位上・修理大進に任じられ、亡き勝家の分も含めて秀高配下として行動することになり、こうした四人の若武者が加わったことによって高家の家臣団はより一層の厚みを持つことになったのである。




