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1571年7月 覚慶と光秀



康徳五年(1571年)七月 大和国(やまとのくに)興福寺(こうふくじ)




 七月下旬、ここ興福寺の中にある別院、一乗院(いちじょういん)の庭先に一人の僧侶が庭掃除を行っていた。この僧侶こそ現室町幕府(むろまちばくふ)将軍・足利義輝(あしかがよしてる)の実弟であり、この一乗院の門跡を務めている覚慶(かくけい)その人であった。覚慶が一人庭先で黙々と(ほうき)を扱って庭掃除を行っていると、そこに笠を被った一人の侍がやって来た。


「これは、この暑いのに精が出ますなぁ。」


「…どなたか?」


 一乗院の本堂がある庭先に現れた隻腕(せきわん)の侍の姿を見て覚慶が不審がりながら素性を尋ねると、侍は笠を被ったまま歩を進めて本堂の縁側に座り込むと尋ねて来た覚慶に向けて言葉を返して返答した。


「いや、怪しい者ではござらぬ。ここにいるという貴人に会いに来た者にござる。」


「貴人ですと?」


 侍が発した言葉に引っ掛かるように覚慶はオウム返しで尋ねた。すると侍は笠の隙間から覚慶の顔を見るように顔を上げると、覚慶の現状を比喩するようにこう言って答えた。


「えぇ。ここに現将軍の弟君にあらせられながら、不遇をかこっている貴人に会いに来たのです。」


「この私を知っているとは、そなた何者か?」


 その言葉を受けて覚慶が改めて侍の素性を尋ねると、侍はようやく笠の紐を解いて笠を取り、覚慶に向けて初めて総髪(そうはつ)(なり)をした顔を見せた。


「名乗るほどの者ではございませぬ。遥か美濃(みの)から参った一人のしがない浪人にござる。」


 覚慶に向けて名乗ったこの侍こそ、遥か遠くの越後(えちご)にいる織田信隆(おだのぶたか)の密命を受け、密かに接触を図ってきた明智光秀(あけちみつひで)であった。光秀は覚慶に対して名前をはぐらかすような返答を返すと、その返答を聞いた覚慶は先ほど、光秀が発言したある単語に引っ掛かってそれを光秀に聞き返した。


「…貴殿、先程この拙僧を不遇をかこっていると申したが、何が不遇だと言うのか?」


「おや、ご自覚がありませぬかな?本来この一乗院は興福寺の別院であり、貴僧は興福寺別当の未来が確約されておる立場。されどその興福寺の権威は先年の三好(みよし)侵攻の際に大きく削られ、今は僅かな領地を持つ一寺院に転落してしまい申した。仮にも将軍家の一門が入る寺院にしては、随分とみすぼらしい物に成り果てたと思いましてな。」


「…」


 この光秀が語った内容こそ、今の覚慶の苦しい現状を露わにしていた。本来であれば将軍家の血筋でもあり、南都北嶺(なんとほくれい)の言葉通り寺社勢力の中でも有数の権勢を誇っていた興福寺別当に収まってその地位が安泰であることを約束されていたが、紆余曲折(うよきょくせつ)あってそれらの権威を無くすのみならず、今後の将来に暗雲が立ち込めるような状況を悲観するような光秀の言葉を覚慶は黙して聞き入っていた。そんな覚慶に対して光秀は更に言葉を進めた。


「貴僧はそれを憂慮して(みやこ)の幕府に単身赴いたが、結局のところ将軍には会えず、のみならず幕閣重臣に邪険に扱われてなしのつぶてであったとか。さぞ心の奥底に据えかねる物をお持ちであろう。」


「そなた…そこまで知っておるのか?」


 光秀が自身の行ったことを見透かすような発言を聞き、覚慶が少し怖れを抱きながら光秀に尋ね返すと、光秀は座っていた縁側から立ち上がり覚慶の方に歩を進めながら、今の幕府の状況をまるで悲観視するように語った。


「今や幕府はかつての伝統をかなぐり捨て、諸国に点在する諸大名を統制しようと積極策を打ち出しておりまする。今の幕府を見て幕府を設立なされた等持院(とうじいん)足利尊氏(あしかがたかうじ))殿は何と仰られるのでしょう?」


「…何が言いたいのか?」


 光秀が自身の祖先である等持院…足利尊氏の事を揶揄するような発言を聞いて覚慶が発言の真意を尋ねると、光秀は覚慶の目の前に立って発言の真意を率直に語った。


「…この道を外れた幕府を再度あるべき姿に戻せるのは、今の将軍ではなく貴僧しかおりませぬ。覚慶殿?」


「…」


 この光秀の言葉を聞いて覚慶は心の中で驚いた。自身の目の前に立つこの隻腕の侍は、僧侶に身を落としている自身に兄を押しのけて幕府の頂点に立つように(うなが)している。それはきっと自身を巻き込んだ大きな陰謀であると同時に覚慶にしてみれば、この自身を取り巻く苦境を打破できる魅力的な言葉にも聞こえていたのだ。そんな様子を見せている覚慶に対して光秀は初めて、自身の素性を正直に語った。


(それがし)は越後国主であり関東管領(かんとうかんれい)に就かれている上杉輝虎(うえすぎてるとら)殿、並びにその庇護を受けている我が主・織田信隆の命を受けてここに参った、明智十兵衛光秀あけちじゅうべえみつひでと申す。覚慶殿、先程の言葉に一切の嘘偽りはありませぬぞ?」


「…光秀、このわしに兄を討てと言うのか?」


 初めて自身の目の前に立つ侍…光秀の名前を知った覚慶は自身に兄・義輝を暗に討つように促してきた光秀にその事を聞き返すと、光秀は覚慶の顔をじっと見つめたまま少し否定するような発言をした。


「我らは兄君である現将軍を討てなどと畏れ多くて申せませぬ。ただ我らは今の将軍を押し込めて将軍職を奪い、その座に覚慶殿が就かれるべきだと申しておるのです。」


「押し込め、か…」


 光秀は兄・義輝の命を取るという表現ではなく、少し語気を弱くした「押し込め」という表現を(もち)いて覚慶に将軍の座を奪取するように諭した。それを聞いて覚慶がその場で箒を片手に持ちながら考え込むと、その様子を見た光秀が覚慶を後押しするようになおも言葉を重ねた。


「覚慶殿、貴僧はこの全ての権限を奪われた興福寺の別院である一乗院の門跡にずっと甘んじておるおつもりなのですか?この様な立場に追いやられたのは全て、侍所所司(さむらいどころしょし)たる高秀高(こうのひでたか)の陰謀に他なりませぬ!ここは将軍家に巣食う奸臣佞臣(かんしんねいしん)を払い除け、将軍家を正しきに導かねばなりませぬ!」


 光秀が申した「高秀高」という名前。その名前を聞いて覚慶にもメラメラと湧きあがる様に敵対心が露わになった。秀高こそ自身がこうなってしまった元凶であり、目の前にいる光秀とは言わば共通の敵でもあったのである。そんな光秀の言葉を受けて覚慶がそれまでの発言を聞いた上で確認するように尋ねた。


「光秀よ、ならばそなたはこのわしに将軍になる資格があると申すのか?」


「ははっ、今の将軍家のなさりようは諸国の信を失うに等しき行いにござる。このまま行けば将軍家は瓦解し日ノ本にさらなる混乱を招くのは必定にございまする!それを救うには覚慶殿、貴僧しかおりませぬ!」


「…そなたの申す事は分かった。」


 この、まるで覚慶に頼み込むような光秀の説得を受けた覚慶は納得するような返事を光秀に返すと、まだ自身の中で踏ん切りがつかない事を光秀に向けて言葉で露わにした。


「光秀、その事すぐには返事できぬ。(しばら)く心の整理を付けさせてはくれぬか?」


「…承知いたしました。我らもすぐにご返事を頂けるとは思っておりませぬ。覚慶殿、その事よくお考えくださった上で色よい返事をお待ちしておりまするぞ。」


「うむ…。」


 この覚慶からの返答は、光秀からにしてみればまずまずの成果であった。将軍の挿げ替えにすぐ賛同はしてくれなかったものの、全く手ごたえがなかったという訳でも無く、光秀は時期を見計らったうえで再び接触することにしたのである。同時に覚慶もまた光秀の言葉を受けて、心の中に押し殺していた野心を露わにして将軍の座を望む決心を固めていったのであった。


 覚慶と光秀。この僅かな間に交わされた接触が後に大きな波紋となって幕府、そして日ノ本中に広がろうとしていたのであった…。





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