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1571年6月 輝虎の悪手



康徳五年(1571年)六月 越後国(えちごのくに)春日山城(かすがやまじょう)




「何だこの仲裁案は!」


 越後国・春日山城。この本丸にある本丸館において大きな声が鳴り響いていた。声を発したのはここの城主である上杉輝虎(うえすぎてるとら)であり、その手には先に発生した揚北衆(あがきたしゅう)一揆の幕府による仲裁案が書かれた書状があった。輝虎はその内容を見て怒りを露わにし、その場で怒号を発すると仲裁の席にいた重臣・直江景綱(なおえかげつな)を指差してから更に怒鳴り散らした。


新発田(しばた)本庄(ほんじょう)らの加増要求に上杉が答えられない為、一揆を起こした面々を美濃(みの)に知行替えするだと!?この様な仲裁をそなたは黙って受け入れたと申すか!」


「殿!畏れながら信頼(のぶより)殿はまるで我らの事情を見透かすように差配を取り決め申した!それに幕府の意向ならば反論してはこちらの名声に傷が付くという物!」


「黙れ!」


 夜の薄暗い部屋の中で灯される蝋台(ろうだい)灯火(ともしび)の中で、輝虎は参上した景綱の言葉を聞くや手にしていた幕府の仲裁案が書かれた書状を景綱の方に投げつけ、スッと立ち上がると目の前に座す景綱に向けて怒りを大きくするように怒鳴りつけた。


「この様な仲裁案を出された時点で上杉の名は傷が付いておるわ!それに新発田・本庄などは紆余曲折(うよきょくせつ)があった後に従った面々である。それを見放すような事をすれば他の国人領主はわしを何と思うか!加増という小さな事に(こだわ)って国人領主を見捨てた冷酷な者と(とら)えられようぞ!」


 事実、輝虎が言った通りこの幕府の仲裁案は越後国内に知れ渡り、同じ蒲原(かんばら)岩船(いわふね)両郡に所領を持ちながら輝虎に味方した揚北衆(あがきたしゅう)国人領主の中には、新発田・本庄らの移封に衝撃を受ける物も少なからずおり、上杉家に従った色部顕長(いろべあきなが)竹俣慶綱(たけのまたよしつな)らには上杉家の差配に不安を感じ始めていたのである。そんな状況を怒りで露わにした輝虎は、はぁ、と一つため息を吐いた後にどしっと腰をその場に下ろしてこう呟いた。


「…わしは一揆を起こされたとはいえど、新発田や本庄らが頭を下げて来れば許してやるつもりであった。それをこのような仲裁を出されて奴らが越後を去ることになれば、越後国内にさらなる混乱を招きかねん!景綱!」


「は、ははっ!」


 輝虎の名指しを受けた景綱はすぐに返事を返すと、次に輝虎より発せられた内容を聞いて大きく驚いた。


軒猿(のきざる)に命じ、奴らが越後国内を出る前に始末せよ。」


「な、なんと仰せになられます!?」


 輝虎が発した軒猿というのは、言わば上杉家お抱えの忍び衆である。このお抱えの忍び衆である軒猿に長敦らを始末せよという命を聞いた景綱が輝虎を諫言せんとばかりに身を乗り出すと、その動きを見た輝虎は景綱の反論を封じるように矢継ぎ早に言葉を発した。


「もはや背に腹は代えられぬ。そこまで幕府の意向に従うのならば奴らに天誅を与えてやるまでよ。行けっ!」


「は、ははっ!」


 もはやこの言葉を受けては景綱ももはや口を挟むことは出来ず、すぐに一礼してその場を去っていった。やがてこの輝虎の命は景綱を通じて軒猿へと伝播され、彼らの魔の手が越後を去ろうとしていた新発田長敦(しばたながあつ)ら一揆加担の面々へと迫っていったのであった。




 一方、越後にて起こった揚北衆一揆を仲裁した小高信頼(しょうこうのぶより)京極高吉(きょうごくたかよし)らは六月七日には隣国である越中国(えっちゅうこく)に入り、神保長職(じんぼうながもと)の居城である富山城(とやまじょう)に入城。そこで城主・長職の歓待を受けた。


「長職殿、今回はこの様なもてなしを催して下さり誠に感謝いたします。」


「いえ、幕府にその名響く高秀高(こうのひでたか)殿の重臣でもあらせられる信頼殿がこの地に参られた以上は、盛大にもてなすのが我らの務め。ささ、どうぞ召しあがってくだされ。」


 富山城本丸館にて開かれた歓待の席。城主でもある長職は目の前の上座に座す信頼や高吉にそう言って用意した御膳を召しあがるように促した。それを受けて信頼が盃を取って侍女より酒を注いでもらっている最中、宴の空気を切り裂くように一人の忍びが現れて信頼に言葉をかけた。


「信頼様、申し上げます!」


「ん?貴方は伊助(いすけ)の…」


 信頼はその場に現れた忍びを見て、この忍びが稲生衆(いのうしゅう)頭目である伊助(いすけ)配下の忍びであると悟ると、忍びは返事を発さずに懐に仕舞っていた一通の密書を信頼に受け渡すと、姿を消す様に颯爽とその場から去っていった。忍びが去っていった後に信頼は密書の封を解いて中身を見ると、その中身に衝撃を受けて驚いた表情を見せて同じ場にいた高吉や長職に聞こえる声で発言した。


「…越後国内にて長敦ら移封に応じた面々が、軒猿の襲撃を受けたらしい。」


「なんと!?して長敦殿らは?」


 信頼の口より美濃(みの)への移封(いほう)に賛同した長敦と五十公野治長(いじみのはるなが)の兄弟、並びに本庄繁長(ほんじょうしげなが)らが軒猿の襲撃を受けた旨を聞き、高吉がそれを聞いて長敦らの安否を信頼に尋ねると、信頼は密書に書かれてあった内容を元に長敦らの安否を高吉に向けて答えた。


「長敦殿や繁長殿など、主だった一族郎党に被害はないけど、新津(にいつ)下条(げじょう)の一族、並びに黒川清実(くろかわきよざね)殿や鮎川盛長(あゆかわもりなが)殿の一族郎党が討ち果たされたらしい。」


「黒川殿に鮎川殿が!?」


 今回の軒猿の襲撃によって、一揆に加担した新津・下条ら一族郎党、そして一揆の首謀者でもあった清実に盛長らの死が信頼から告げられると、高吉はさらに大きく驚いた後に言葉を失った。そんな高吉の代わりに言葉を発したのは長職であり、告げられた情報の中に遭った軒猿という単語に引っ掛かってそれを信頼に尋ねるように言葉を発した。


「畏れながら、軒猿というのは輝虎が配下の忍び衆!その軒猿が彼らを狙ったというは…!?」


「…上杉輝虎、ここまでするのか。」


 軒猿を使った今回の一件を受け、信頼は軒猿を暗躍させた輝虎の思惑を看破してその命令を忌み嫌うような反応を見せると、その場にて驚きに支配されていた高吉や長職らに向けて安堵させるように同時にこの情報を伝えた。


「一応、本庄殿や新発田・五十公野(いじみの)兄弟を狙った軒猿は伊助たちが排除し、その中で軒猿の数名を捕縛して尋問を行っているとの事。もしその軒猿が事の詳細を吐けば…」


「上杉家の立場はさらに苦しくなりましょうな。」


 幸いにして、一揆の首謀格である新発田兄弟や繁長らの命に別状はなく、それに加えて襲撃してきた軒猿を捕縛した事はこの裏に上杉家がいる事の証左でもあった。この事が上杉家の立場を悪化させかねない予測を高吉が言葉にして発すると、それを聞いて信頼は首を縦に振った後に、目の前にいた富山城主の長職に向けてこう言葉をかけた。


「長職殿、先に幕府が管領(かんれい)畠山輝長(はたけやまてるなが))殿に越中守護を任じたのは上杉輝虎の動向を監視する為もあります。長職殿も今後は椎名康胤(しいなやすたね)殿と融和に勤め、越中より越後の監視をお願いしたいと思うのです。」


「…承知いたしました。輝虎の行動を見て内々で争っている場合ではありませぬな。この神保長職、謹んで幕命の意に従い上杉監視を行い申す!」


 この命を受けて長職は信頼に意気込むようにして返答した。長職に取って上杉輝虎は不俱戴天の敵でもあり、今回の一件を傍らで聞いていた長職は輝虎への不信感をさらに増大させた。そして信頼から上杉監視の命を請け負った長職は率先して越中国内の統制に乗り出し、同時に相争っていた椎名家との和睦を成して上杉家への監視体制を構築させたのであった。


 そして信頼は輝虎が軒猿を使って一揆の面々の粛清に乗り出したことに対し、輝虎を詰問できる題材を得たことに心の中でほくそ笑み、この事を利用して上杉家の権威失墜を図ることが出来ると確信していた。事実これ以降、上杉家は幕府から再度の詰問を受けることになるが、それはまた後の話である…。






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