1571年6月 一揆仲裁
康徳五年(1571年)六月 越後国新発田城
康徳五年六月二日、幕府の命を受けて越後北部・揚北衆にて起こった上杉輝虎に対する国衆一揆を仲裁すべく、小高信頼は同行する幕臣・京極高吉や輝虎重臣・直江景綱と共に一揆の根源地たる蒲原郡新発田城に入城。そこで一揆を起こした新発田長敦・本庄繁長らを呼び寄せた上で談合を開いた。
「さて…ここにいる長敦殿や繁長殿が一揆を起こした原因は、先の東北遠征に従軍した戦功である領地加増が為されなかった事だと聞いています。景綱殿、そこまで上杉家の台所事情は苦しいのですか?」
「はっ、お恥ずかしきながら…」
仲裁が行われている新発田城本丸にある本丸館。そこに一揆を起こした長敦や繁長の他に長敦の弟である五十公野治長、そして鮎川盛長や黒川清実ら主要人物が集まっている中で、信頼は一揆の遠因となった上杉家中の状況について景綱に尋ねた。すると景綱は少しばつが悪い表情を浮かべながら上杉家の厳しい状況を語った。
「揚北衆が所領を持つ蒲原・岩船両郡は大半がそれぞれ独自の所領であり、当家直轄地というのは僅か数千石ほどしかござらぬ。それに加え鎌倉公方の蔵入地も設定しておる農村もあれば加増というのは…。」
「そこじゃ景綱殿!その鎌倉公方の蔵入地、それを削って加増せよと申しておるのだ!」
上杉家の状況を語った景綱に対し、一揆に加担した治長がその場の中で声を上げて詰問すると、それを聞いた信頼は治長の怒りを鎮めるように言葉を返した。
「まぁまぁ治長殿。鎌倉公方の蔵入地に設定された以上は、そこを削って加増の足しにすることは容易ではありません。もしそれを行えばそれこそ輝虎殿の名声に傷が付くという物です。」
「では信頼殿は、我らの事情を踏みにじって輝虎に肩入れなされるのか!」
「そうではありません。」
信頼の返答を聞いて反論してきた繁長に対し、信頼は即座に返答して否定すると手にしていた一つの台帳に目を向けた。それは景綱が持参してきた上杉家、引いては越後国内の領地台帳であり、信頼はその領地帳に書かれていた石高や領地の詳細を目にすると反論してきた繁長らに対して言葉を発した。
「この領地帳を見ると、これ以上の加増は上杉本家の収入を圧迫することに繋がります。かといって東北遠征に従軍し苦役を耐えた方々の艱難辛苦を無碍にするわけにもいかない。となれば…解決策は一つです。」
「信頼殿…その解決策は?」
その信頼の言葉を聞いて長敦が問い返すと、信頼は目の前にいた景綱の方に視線を向けて解決策を提示した。
「…どこか別の場所に移封した上で加増とするしかありません。」
「移封ですと!?」
移封…この信頼が発した単語は、その場にいた繁長や長敦、そして上杉重臣の一人である景綱に大きな衝撃を与えた。つまり信頼が発した事とは、加増が苦しい越後国より別の国に所領を移した上で、その地で改めて加増を施し遠征の戦功に報いるという物であった。これ即ち一揆を起こした繁長や長敦・治長兄弟が上杉家の家臣から離れる事を意味しており、その言葉を聞いていた景綱はいの一番に反論を発した。
「信頼殿!それは我ら上杉に何の益もありませぬ!本庄も新発田も我らが家臣なれば、何卒他の思案をお示し頂きたい!」
「それではこの数週間で越後国の石高が二万石以上増加する見込みがあると?」
景綱の反論を聞いていた信頼は即座に景綱に問い返した。その内容である石高増加について問われた景綱はそれまでの勢いを無くし、提示された二万石という大きな数字に呆気に取られるように言葉を発した。
「に、二万石?」
「はい。一揆を起こした新発田・本庄・五十公野・鮎川・黒川。それに後から一揆に加勢した新津・下条などの所領加増には最大で二万石以上は必要な計算があります。これらの一揆を鎮めるには彼らに二万石以上の知行を加増させる必要がありますが、上杉家には農民に過度な負担を強いさせずに石高を増加させる見込みがあるのですか?」
信頼が語ったこの内容、上杉家にしてみれば無理難題ともいうべき内容であった。というのも石高の増加というのは単に荒れ地を開墾して終わりという訳ではなく、開墾する土地を取り決めてから開墾し、その開墾した土地に流民を招き入れて村を形成し、耕作する農民を割り振ってようやく知行地として認められるものである。それを信頼が提示した数週間という刻限では到底成し得る事は難しく、その複雑さを知っている景綱が黙り込むとそれを見ていた信頼は難易度が高いこの要求を踏まえてこう言った。
「…まず無理でしょうね。ならば残された道は他国に知行地を移し、そこで改めて加増させる事で彼らの戦功に報いるしかありません。」
「の、信頼殿。移封とは申せ我らはどこに加増を?」
するとその場で黙する景綱に代わって、一揆の首謀者の一人である長敦が信頼に代替え地の場所を尋ねた。すると信頼はこの問いかけを受けると持参してきた簡易的な日本地図を広げるとその場にいる長敦ら一揆参加者に向けて代替え地の場所を告げた。
「場所はあります…ここ、美濃郡上郡。」
「美濃…郡上郡?」
信頼が提示した場所というのは、先月に「康徳郡上の乱」によって改易された遠藤胤基の領地があった美濃国郡上郡一帯であった。ここ、越後蒲原郡より遥か遠く離れた美濃のこの地を提示した信頼は言葉を発して反応した繁長に対し、首を縦に振ってから言葉を返した。
「えぇ。ここは現在前の領主だった遠藤家が改易され、今は秀高が幕府の命を受けてここの代官を請け負っています。郡内の石高は五万石ほど。方々の越後国内の所領に加えて加増分も合わせれば、十分に宛がえるだけの余力はあります。」
「長敦殿、こちらは幕府よりの書状にござる。美濃郡上郡は幕府直轄地としていたが、此度もしこの申し出を受けるのであれば、方々の所領として設定するとの事。」
「な、なんと…」
信頼の言葉に続いて、背後にいた高吉が懐からその場に取りだしたのは京の幕府政所執事である摂津晴門直筆の書状であった。内容は高吉が告げた通り、申し出を受けるのであれば郡上郡一帯を一揆を起こした面々の知行代替え地とするものであった。この書状を片目で見た信頼はその場にいた長敦ら一揆を起こせし面々に対して言葉をかけた。
「如何でしょうか?現時点で一揆の要望を満たすには、我々はこれしかないと思いますが?」
「…長敦殿、如何致す?」
と、この幕府からの提案を受けて繁長が長敦に問いかけると、長敦はその場で腕組みをしてしばらく考え込むと、目を開けて目の前に置かれた幕府からの書状を見つめつつ、その場にいた繁長や弟の治長らに向けて自身の存念を語った。
「たとえ断って輝虎殿の家臣に戻ったところで、我らの立場は前より悪化するのは目に見えておる。ならば残された道は一つ。この幕府の仲裁を受けて遠い美濃に赴こうと思う。皆はどうか?」
一揆の代表格であるこの長敦の考えを聞くと、その場にいた治長や繁長は即座に返答するように長敦の問いかけに答えた。
「兄上がそう申されるのならば上杉に未練はない。このわしも同道しよう。」
「うむ。我ら本庄の為にはこの移封を受けるしかあるまい。」
「か、方々…。」
治長や繁長らが長敦の意見に賛同するような反応を見せると、それを見ていた景綱はどんどん顔が引きつるように言葉を失っていった。言わばこの瞬間、新発田・本庄ら一揆に加担した面々は上杉家を見放す様に遠い美濃への移封を受け入れたのであった。そんな状況を察している景綱に対し信頼は慰めるような言葉をかけた。
「景綱殿、そう案ずることはありません。彼らが移封した後の土地は上杉家の直轄地となります。収入も増加するこの対策で上杉家に何の損もないと思いますよ?」
「そ、それは…」
信頼が発したのは移封した後の所領のことであった。信頼が言った通り彼らが移封した後、その地は上杉家直轄の土地となり加増分の土地が確保できるのは間違いないが、景綱はそれ以上に新発田・本庄らが半ば離反するように上杉家を去る事に一番の衝撃を受けていたのである。そんな景綱の様子を片目で見ながら、信頼は目の前にいる長敦らに向けて言葉を発した。
「では…長敦殿、それに治長殿や他の皆さま、この幕府の仲裁をお受けいただくという訳ですね?」
「ははっ!」
この長敦らの返答を聞いた信頼は満足そうに微笑み、その後に傍らにいた高吉の方を振り向いて互いに頷きあった。ここに幕府によって揚北衆一揆はひとまずの解決を迎え、一揆を起こした面々は遠い美濃への移封に向けて動き始めたのだった。しかしこの仲裁をその場で見ていた景綱は仲裁が終わると、数日後の六日夜には信頼らと別れ、主君・輝虎がいる春日山城に足を運んだのである。




