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1571年5月 輝虎怒る



康徳五年(1571年)五月 越後国(えちごのくに)春日山城(かすがやまじょう)




「それで輝虎殿、続いて二つ目の事ですが…」


 春日山城の本丸館において、上座に座る関東管領(かんとうかんれい)上杉輝虎(うえすぎてるとら)への糾問は次の話題に進んだ。詰問する幕府の使者・京極高吉(きょうごくたかよし)小高信頼(しょうこうのぶより)は輝虎の厳しい視線を浴びながらも、信頼が脇から宿敵・織田信隆(おだのぶたか)の眼光を向けられる中で発言した。


「輝虎殿、聞けば越中(えっちゅう)射水郡(いみずぐん)神保長職(じんぼうながもと)殿に支配下の村々を椎名康胤(しいなやすたね)殿に返すよう勝手に命令されたとか?」


「…それの何が悪い?長職は我ら長尾(ながお)の一族である長尾景直(ながおかげなお)が養子に入った椎名家に、村を掠め取るなど横暴の限りを尽くしておった。先の命令も長職を戒める為に行ったのだ。」




 越中…越後より親不知(おやしらず)子不知(こしらず)と呼ばれた断崖の難所の先にあるこの国は、東部の新川郡に椎名、その他越中国の大半を神保が領する地であった。輝虎の父・長尾為景(ながおためかげ)の頃より従属関係にあった椎名家は敵対する神保家と長きにわたり抗争をつづけ、先の康徳法令(こうとくほうれい)発布まで国内で戦を繰り広げていた歴史があった。その椎名家に一門である景直が入った関係上椎名家にひいき目の裁定を輝虎は下しており、それを幕府によって問題視されるとは無論思いもしなかったのである。




「畏れながら幕府に断りもなく勝手に国衆に命じ、村々の支配を変える行為はお控えいただきたい。」


「何…?貴様らはこのわしに何か落ち度があると申すか!」


 その自身が下した裁定を幕府から遣わされた高吉から改めて問い(ただ)されると、輝虎はその言葉を聞くなり再び怒りを露わにして反論した。するとその怒りを受けた信頼は怒っている輝虎に向けて高秀高(こうのひでたか)配下の忍びである稲生衆(いのうしゅう)が調べた情報を元に輝虎に言葉を返した。


「我らの調べによればその村々は元々、郡境にあった神保家代々の領地であったものを、国内の混乱の中で椎名家に奪われていたとか。それを椎名家から取り返した長職殿にそれを命じるのは酷な物かと思います。」


「貴様らは、横暴な長職の側に付くというのか!?」




 ここまで輝虎が長職を敵視するのには訳がある。今を去ること数十年前、輝虎の祖父にあたる長尾能景(ながおよしかげ)般若野(はんにゃの)の戦いにて討死した際、その原因として神保勢が引き上げたことを問題視した輝虎の父・為景が父の仇として当時の神保家当主・神保慶宗(じんぼうよしむね)を討ったことに起因し、その子である長職は父を討った長尾家(上杉輝虎の血筋)に少なからぬ因縁を持っていた。それによって長職は輝虎と敵対していた武田信玄(たけだしんげん)と通じて椎名・輝虎と戦っていた経緯(いきさつ)があり、それから時が経って法令施行となった今でも椎名・輝虎と神保は対立心を裏で秘めていたのである。




 そんな経緯から信頼たちに食って掛かるように反論した輝虎に向けて、信頼は反論して来た輝虎に向けてある事を伝えた。


「輝虎殿、幕府は今月管領(かんれい)畠山輝長(はたけやまてるなが)殿を越中守護に任じられました。言わば越中は輝長殿の任国。どちらかの側に肩入れして勝手に介入するのはお控えいただきたい。」


「今…何と申したか!?」


 信頼が伝えた事…それは自身が影響力を持つ越中国の守護がかつての守護家である畠山家の物になったという事であった。これが意味する事は即ち越中国への輝虎の影響力が喪失する事であり、それを聞いた輝虎はその場で怒りの感情をこめて言葉を発した。


「越中を…あの畠山にくれてやると言ったのか!?」


「その通りです。それ以外にも武蔵(むさし)成田家(なりたけ)上州(じょうしゅう)横瀬家(よこぜけ)の家督争い介入は鎌倉公方(かまくらくぼう)の職務を簒奪する越権行為となります。どうかこれらもお控えいただきたい。」


「…。」


 輝虎は関東管領の名のもとに成田・横瀬などに強引な家督介入を行っており、それを問題視した幕府の意向を信頼が伝えると輝虎はその場で再び肘掛けをドンと(こぶし)で叩いた。その反応を目にした後に信頼は続けて残る一つの内容について輝虎に問い(ただ)した。


「それと最後の一つ…輝虎殿には康徳播但擾乱こうとくばんたんじょうらんを始めとした幾つかの紛争に肩入れした形跡があり、我ら幕府はその真偽を疑っておりまする。」


「それはでっち上げであろう!何故このわしを疑うか!」


 信頼が先に起こった康徳播但擾乱の他、何件かの内乱に輝虎が関与していた疑いを口にすると今まで以上に大きな怒りを輝虎はその場で見せた。するとこの怒りを受けた信頼は、その場でずっと黙して事の成り行きを見守る信隆の顔をその場で初めてじっと見つめながら、言葉を輝虎に向けて返した。


「…畏れながら、先の長島一向一揆ながしまいっこういっきの際、そこにおられる信隆殿の手下の者が遺体となって発見されました。これ即ち、輝虎殿の関与を疑うには十分かと。」


「貴様ら…死人に口なしという言葉を知らんのか!!」


 輝虎が信頼の言葉を受けてその場で声を荒げると、信頼は顔を再び輝虎の方に向けると目の前に置かれていた委任状を桐箱の中に収めながら幕府の意向を輝虎に伝えた。


「ともかく、幕府としてはこれらの嫌疑をもって輝虎殿には一年の間、この越後にて蟄居を申しつけると、これは上様(足利義輝(あしかがよしてる))のご意思にございます。」


「蟄居だと!?」


 この蟄居というのは正に罪人に対しての処置と同様であり、関東管領の要職でありながら幕府より蟄居の沙汰を受けた輝虎はその場から立ち上がって反応した。その立ち上がった輝虎に向けて信頼の側にいた高吉が自身の口で幕府、引いては将軍・義輝の意向を伝えた。


「左様。一年間己が非を認め、蟄居して心を入れ替えるのであれば許すとも上様は仰せでございまする。何卒どうか、この差配を御受入れ頂きたい。」


「話にならん!!」


 そう言うと輝虎は言葉をかけてきた高吉に向けて先程拾っていた扇を投げつけると、立ち上がりながらその場に座している信頼らを見下ろし、幕府の沙汰に反抗するように言葉を発した。


「関東管領であるこのわしがなぜに蟄居せねばならん!幕府の使者である(ゆえ)今日は見逃すが、今度はその命無いものと思え!」


「…畏れながら、国内で起こった揚北衆(あげきたしゅう)一揆の一件、どうなされるお積もりで?」


 言葉を吐き捨ててその場から去ろうとしていた輝虎に信頼が顔を前に向けたまま尋ねると、輝虎はその場で足を止めた後に振り返らずにその場にいた重臣・直江景綱(なおえかげつな)の名前を上げて言葉を返した。


「…それはこの景綱と話すが良かろう!分かったらとっとと去るが良い!」


 そう言うと輝虎は再び歩き始め、どかどかと大きな足音を立てながら広間を去っていった。その後を追うように景綱が立ち上がって去った後、一人残った信隆がゆっくりと立ち上がって信頼とすれ違う手前で足を止め、信頼を見落としながら言葉をかけた。


「…秀高の配下である貴方が、ここまで単身来るなんて見上げた物ね。」


「今は幕府の使者です。そこに私情を差し挟むわけにはいきません。」


 秀高の事について触れた信隆に対して信頼は見下ろす信隆の顔を見上げ、じっと視線を交わして言葉を返すと、その言葉を聞いた信隆はふふっと微笑んだ後に言葉を信頼に返した。


「安心なさい、私も貴方たちの命は取らないわ。帰って秀高によろしく伝えなさい?」


「…ははっ。」


 信隆は信頼の返事を聞くとニヤリと笑いながらその場を去り、やがてその広間の中には信頼と高吉がポツンと取り残されていた。その中で高吉は先ほどの出来事を思い出して少し不安に思ったのか、前にいた信頼に声を掛けた。


「の、信頼殿…。」


「構いません。輝虎殿がああ言ったのなら、我らで一揆の差配を取り決めましょう。」


 高吉の不安そうな問いかけに信頼は高吉の方を振り向き、柔和な表情を見せながら言葉を返したのだった。そして広間からどかどかと去っていった輝虎は縁側の廊下の途中で立ち止まると、側にあった柱に手を掛けて先程の事を思い返しながら怒りを募らせるように(つぶや)いた。


「おのれ秀高…覚えておくが良い…。」


 輝虎は先ほどの一件を受けてより秀高への憎しみを募らせ、やがて心の中で秀高を生かしておけぬと決心するに至ったのである。そんな怒りを募らせた輝虎とは対照的に詰問に来た信頼らはある程度の役目を果たしたと判断すると、輝虎の言葉通り景綱と共に越後北部へと急行。一揆を起こした新発田(しばた)本庄(ほんじょう)らの裁定に当たることになったのである…。





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