1558年3月 旗揚げの時
永禄元年(1558年)三月 尾張国鳴海城
山口教継・山口教吉父子が死去してから数刻後、高秀高ら家臣は密かに教継父子の亡骸を棺桶に納め、密かに埋葬するように家臣の山内高豊に命じた。
「もう、棺桶は運ばれたのか?」
元の城主が亡くなった鳴海城の評定の間、虚空を見つめている秀高に対して三浦継意がこう言った。
「…あぁ。家臣の高豊に命じて、ひとまず近隣の菩提寺に埋葬することになった。」
秀高はそう言うと、部屋の中に入り、かつて教継が座っていた上座に立った。そして新たな妻となった静姫が頷くと、秀高は意を決して上座に座った。
「一同、新たな鳴海城主に拝礼せよ!」
継意の号令を聞き、下座に控えていた一同はすべて頭を下げた。無論、大野城から来ていた佐治為景・佐治為興父子もそれに続き、悉く秀高に向かって頭を下げた。
「面を上げよ。」
秀高の声を聴いた一同は、すべからく頭を上げた。その顔触れを見た秀高はあらためて、一城の主になったのだと実感したのだった。
「先代・教継殿のご意向を受け、今日よりは鳴海城主の職、並びに旧山口領一帯の支配を、この高秀高が受け継いだ。これよりは、この俺が当主だ。よろしく頼むぞ。」
「ははーっ!!」
その言葉を受け、継意以下家臣一同は改めて頭を下げ、その内容を承諾した。それを受けた秀高は頭を上げさせ、近くに控える小高信頼に目配せをした。
「…つきましては先代ご逝去に付き、改めて家臣団の再編を言い渡します。」
信頼はそう言うと、目の前にあった書状を開き、そこに書かれてあった事柄を読み上げた。
「先代・山口教継家老、三浦継意の職をそのままとし、高秀高の筆頭家老を申しつける。」
「ははっ!先代に変わらぬ忠勤、見事果たして見せましょう!」
そう言った継意の目には、秀高への忠節に燃える心と、先代の無念を晴らそうとする闘争心の炎が見えるようであった。信頼は、更に言葉を続けた。
「次に以下の者を家老職として任命する。山口盛政、山口重俊、佐治為景、大高義秀、それに私、小高信頼。」
「ははっ!!」
その名を呼ばれた面々は一斉に返事をし、秀高にその任を受けたことを示した。ここで一同に驚かれたのは、今までは別々の城主であった佐治為景が、高秀高の家老として任命されたことであった。
「なお、佐治為景父子は先代との約束に付き、大野城並びに常滑一帯の佐治領を我らに差し出すとの事だ。今後は一家老として、共に仕えてもらうことになるが、頼むぞ。」
「ははっ、お任せくだされ。」
その秀高の言葉を佐治父子が受け取ると、信頼は頃合いを見計らって言葉を進めた。
「滝川一益を軍目付兼傅役とし、山内高豊を馬廻の長に任命する。」
「ははっ!!身に余る任、しかとお受けいたしまする!」
乳母である徳の縁もあって、一益は軍目付を兼ねた傅役として重臣の席に列することになった。
「…最後に、不肖この信頼は取次としての任を拝命しました。以上、これが新たな家臣団編成です。」
信頼がそう言って書状をしまうと、秀高が変わって言葉を発した。
「なお、名が呼ばれなかった三浦の二人の子と為興殿はそれぞれ父の元の副将として属することになる。くれぐれもよろしく頼むぞ。」
「ははっ。」
その言葉を聞いて代表して為興が返事をすると、秀高はそれを受け入れて改めて言葉を発した。
「さて、先代のご遺志は言うまでもなく、今川家からの自立である。さて、これよりはどう動いたらいいだろうか。」
「知れたことだぜ。」
と、その秀高の問いに対して、開口一番で意見を言ったのは他でもない義秀であった。
「まずは、大高城の鵜殿長照を討つしかねぇだろう?」
「はっはっはっは、確かに一理あるが、我らはまず兵が整ってはおらん。」
義秀の言葉を聞いて、継意が笑いながらも反論すると、義秀は負けじと言い返した。
「だが、何も直ぐに攻め掛かるわけじゃねぇ!早いうちに手を下さねぇと、打ってくるのはあっちの方だぜ!」
「まぁ義秀よ、焦ることはあるまい。」
するとそんな義秀に反論したのは、真向かいに座る為景であった。
「駿府に先代の訃報が入るのが恐らく三日から四日。そして往復を考えれば一週間以内には諸々の準備を終えねばならん。」
「…為景の言う通りだ。」
「秀高!」
なおも食い下がろうとする義秀に対し、秀高は義秀を宥めるように言葉をかけた。
「…まだ訃報が入るには余裕がある。焦って動けばことを仕損じるだろう。」
「そう。それにまだ、こっちは地固めも終わってないからね。」
信頼が秀高の意見に賛同するようにこう言うと、義秀は頭をかきながらこう言った。
「分かったぜ。じゃあ、一週間以内に動く。ってことだな?」
「あぁ。そのつもりでいい。その間に俺たちは、全ての領民の心を掴まなきゃならない。」
秀高はそう言うと、迅速にそれぞれに主命を下した。
「盛政、重俊。二人は山口家の人間。山口領直轄地の説得は二人に任せた方がいいだろう。直ちに民の掌握に移り、民心の確保に努めてもらいたい。」
「ははっ。承知いたしました。この我らにお任せを。」
盛政と重俊が秀高の命令を受け入れ、頭を下げると秀高は次に佐治父子に命じた。
「佐治父子は佐治領全ての領民を頼む。おそらく佐治領はこちらの名を知っているはず。それで安堵させてほしい。」
「確かに、先の戦いにおける秀高殿の武勇は皆知っておりまする。説得ならばお任せを。」
為景がこう言うと、秀高は一益の方を見てこう言った。
「一益は足軽たちの規律を整えるように頼む。この混乱の隙に逃げ出そうとする者もいるだろう。くれぐれも頼むぞ。」
「ははっ!」
あらかたの指示が出し終わったことを確認すると、秀高は一同に向かってある事を告げた。
「では、それぞれの仕事にかかる前に…筆頭家老と姫に話がある。我が館に来てくれるか?」
「桶狭間の…館に?」
その話を聞いた静姫は疑問符を浮かべたが、何か大事な話があると悟った静姫は、継意と共にそのまま桶狭間の館へと向かって行った。
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それから数刻後、夜もさらに更けた頃、場所は桶狭間の高秀高の館である。
既にこの場では女中の梅と蘭が鳴海城への引っ越し準備に夜通し追われており、主殿の部分はおおむね荷物がまとまり終えていた。その中を秀高一同は、信頼と舞が書物を作っていた一室のある棟へと通され、ある部屋へと入った。そこは静姫が、襖越しにその作業を見ていた場所であった。
「皆、入ったか?」
その部屋には秀高夫妻をはじめ、義秀夫妻に信頼と舞。そして継意とその場に来たことがある静姫が集まっていた。その場の周囲を見張るように、伊助配下の忍びが周囲を固めていた。
「うん。みんな揃ったよ。」
信頼の言葉を聞き入れると、秀高は開口一番、こう言い放った。
「実は、信頼できる二人に対し、一つ言い渡すことがある。」
その次の瞬間、二人は衝撃の告白を受けた。
「実は俺たち六人は、この世界の人間じゃない。今より四百年後から来た、未来人なんだ。」
「え?未来人…?」
その言葉を聞いて、静姫は呆気に取られていた。だが徐々にではあるが、今までの事がつじつまが合う様にはまっていった。つまりこの秀高の本当の原動力は、未来を知っているが故の強さだったのだ。
「…じゃあ、じい様の未来も、知っていたの?」
その静姫の問いかけを聞いて、一番困惑したのは、信頼と舞であった。なぜなら姫の気性ならば、未来を知っていたといえば歯向かうことは予想出来ていたからである。だが、秀高は静姫にこう告げた。
「…あぁ。」
「なら…どうして変えてくれなかったのよ!!」
そう言った秀高に対し、予想通り静姫は怒って反抗した。だが秀高は静姫の両肩を持ち、宥めるように言った。
「聞いてくれ、姫!確かに俺たちは教継さまの未来を知っていた。だが教継父子の最期は襲撃による死じゃない。「織田信長の讒言によって、今川義元に切腹に追い込まれる」ことなんだ。」
「なによ…何よそれ!結局は死ぬんじゃない!」
「姫!落ち着かれよ!これは秀高殿の断腸の想いであったであろう!」
そう言って宥めるように言ったのは、他でもない継意であった。継意は激高している静姫に代わり、秀高にこう言った。
「…秀高殿、教継さまの未来を知っていながら、なぜ助けなかったのですか?」
「それは…この世界は、僕らが知っている世界ではないんです。」
その答えを聞いた二人は、一瞬驚いて言葉を失った。やがて静姫が、言葉を発して反論した。
「どういうことよ…じゃあ、あんたたちが知る歴史には、存在しない人物がいるの?」
「あぁ。その最たる例が…あなたたち二人だ。」
そう言われた継意と静姫は驚いた。つまり秀高が来た世界の歴史には、この二人が存在しないことを言われたのである。
「そんな…私たちが…存在しない?」
「厳密にいえば、「歴史書に書かれていない。」と言うべきかと。」
その秀高に代わって、信頼が代理で言葉を発した。
「あなたたち二人の名は、戦国時代のどの資料にも存在しない。二人だけじゃない。信長の姉の織田信隆。その禅師の高山幻道も僕たちの世界では存在しないんだ。」
「…話は聞いた事がある。怪僧・高山幻道が、尾張で何やら術を使ったと。なるほど、それがそなたら六人と言う訳か。」
継意は納得させるようにこう言うと、静姫はなおも食い下がって言葉を発した。
「じゃあ、つまりこの世界の歴史は、もう変わってしまった後だとでもいうの?」
「…あぁ。もしかすれば、教継殿は九死に一生を得て、生き延びていたのかもしれない…。教継殿たちを殺したのは、俺たちだ…。」
秀高が悔いるようにそう言うと、静姫は段々と冷静さを取り戻し、秀高に向かってこう言った。
「…頭を上げなさい。秀高。」
「静…」
すると、静は一発秀高の頬を叩き、それを見た一同は呆気に取られた。すると静姫は秀高に向かってこう言った。
「…この一発でもう恨みは無しよ。せめてじい様たちの遺志を継いだなら、悔やまずに前を向きなさい。それが貴方の務めよ。」
「静姫様…」
継意が静姫の言葉を受けてこう言うと、静姫は秀高の手を取っていった。
「私はあんたにすべてを賭けたわ。山口の家再興も、天下への野望も全てね。あんたもその大望があるなら、前を向いて一緒に戦うしかないのよ。」
「…分かった。そうだな。」
秀高は静姫の言葉を受け取ると、改めて静姫に向かってこう言った。
「静…俺はお前を玲と同様に大事にする。だから俺の大望…このそばで見届けてくれ。」
「ふふっ、そうでなきゃ面白くないわ。あんたの天下への道、この私がじい様に代わって見届けてやるわ。」
その静姫の言葉を聞いた一同は安堵し、何とか場の空気は戻った。そして秀高は信頼に命じて、編纂させていた書物のすべてを舞に持ってこさせ、二人に見せた。
「…これが秀高殿の世界のこれからの歴史か。」
「はい。私たちの世界で、最終的に天下を取るのは徳川家康。今の松平元康です。」
「なるほど、じゃあまずはこの書物の通り、最初は今川を?」
「あぁ。それが狙いだ。」
静姫の言葉を聞いた秀高がこう返事をすると、奥にいた華が二人に言った。
「ヒデくんの考えは、信長が義元を討つ前に、ヒデくんの手で義元を討つことよ。」
「そうだ。義元の討ち取りは、天下への道が開けることに繋がる。そう考えたんだ。」
華の意見に続いて秀高が言葉を発すると、静姫はふふっと笑ってこう言った。
「これは、面白くなりそうね。」
「あぁ。だからこそ、今から打てる手を打とうと思っている。継意、これからも無理難題を言うと思うが、くれぐれも承知しておいてほしい。」
その秀高の言葉を聞いた継高は頭を下げ、敬意を示してこう言葉を発した。
「ははは、お任せを。それを聞いては、わしも一蓮托生のつもりで付いて行きますぞ。」
「そうね。この私も、一蓮托生で付いて行くわよ。」
静姫の意見も聞き、二人の同意を得た秀高は、ここに心強い仲間を得たと思っていた。
こうして秀高とその仲間たちはこの世界に来て、紆余曲折がありながらもついに一国一城の主に昇り詰めた。そしてここからが六人の、いや八人が力を合わせた、後に「高秀高挙兵」と言われる天下取りの第一章が始まるのである…