1571年5月 幕府の提案
康徳五年(1571年)五月 越後国春日山城
「お初にお目にかかります。幕府の使者として罷り越しました、小高中務少輔信頼と申します。」
「…」
上杉輝虎の居城・春日山城本丸の館において、幕府の使者として京極高吉と共に来訪した小高信頼は、目の前の上座に敷かれた茣蓙に座る輝虎に挨拶を述べた。この挨拶を輝虎の脇で因縁深い織田信隆が信頼の顔をじっと見つめる中で、信頼の隣にいた高吉が輝虎に向けて自己紹介を述べた。
「京極長門守高吉にござる。此度こうして来訪したのは、輝虎殿に幕府より幾つか問いただしたき儀がござる由。」
「ほう、この関東管領であるこのわしに何の不都合があると?」
高吉の言葉を聞くなり輝虎は自分の役職をその場に持ちだして逆に問い返した。するとこの問いを受けた信頼ははぁ、と一回ため息を吐いてから目の前の輝虎を見つめて言葉を返した。
「輝虎殿、あなたこそ何か勘違いをしているようですが、関東管領は今度の幕政改革によって鎌倉府の下に付くことが決まっております。今までのように幕府へ影響力を発揮できなくなっているんですよ。」
「それが納得いかぬ!」
この信頼の言葉を聞いた輝虎は思わず側にあった肘掛けを拳で強く叩き、目の前にいる信頼や高吉に向けて指を指しながら、自身が就いている関東管領の存在意義について己の存念を語った。
「貴様ら、先の永享の乱の折、時の関東管領・上杉憲実公が足利持氏殿の決起を諫め続けたことを知らんのか!関東管領は鎌倉公方の補佐役でありながら、鎌倉と京の橋渡しを務めておったのだぞ!それを鎌倉府の下に付けるとは、貴様らはどういった了見でそのような事を決めたのだ!」
「畏れながら、その儀は上様(足利義輝)がお決めになられた事。上様がお決めになられたのならば、それに従うのが筋という物かと。」
「上様は大いに騙されておる!」
上様こと義輝の事を持ち出して反論した高吉に対して、輝虎は言葉を被せるようにすぐさま言葉を返すと、目の前に座る信頼の顔を睨みつけながら言葉を吐き捨てた。
「貴様らのような君側の奸がのさばるからこそ、上様のお考えは乱されてかかる事を招いておるのだ!貴様らこそさっさと上様の側から去るが良かろう!」
「…輝虎殿、我らは幕府の事についてお叱りを受けに来たのではありません。」
この輝虎の乱暴な言葉を受けた信頼は、その場で一切感情を見せずに冷静な面持ちで言葉を返すと、逸れた話題を元に戻すように来訪の要件である詰問の内容を語った。
「話を元に戻しますが、こうして輝虎殿を詰問しに来たのは三つの事について問いただしたいからです。一つ、領内で起きた新発田長敦・本庄繁長らの一揆に際して勝手に軍勢を起こして鎮圧しようとしている事。二つ、先の東北遠征の後に関東管領の名で独断で差配を取り決め、それによって各地で混乱が起こっている事。そして三つ目は…」
信頼は輝虎や景綱らの視線を浴びながら用件の内二つに触れた後、信頼は側にいた信隆の顔をちらっと見た後に再び視線を輝虎に向けてもう一つの事を口に出した。
「康徳播但擾乱を初め長島一向一揆・康徳郡上の乱等の内乱に輝虎殿の関与が疑われることです。」
「…!」
この言葉を聞いた信隆は、信頼の顔を見つめながら一瞬驚いたように身体が反応した。信頼は言わば敵地であるこの春日山に乗り込んで来ただけではなく、既に黒幕を知っているにも拘らずそれを微塵も感じさせぬように振舞いながら改めて輝虎にその一件を含めて詰問に訪れたことに、信隆は一抹の恐ろしさを感じていた。しかし、そんなことなど考えも及ばぬ輝虎は最初に上がった一揆の一件について信頼らに怒りを込めて反論した。
「ふん、新発田や本庄の事を我らで差配して何の問題がある!言わせて貰うが、先の法令に従って何もせねば内乱の火は拡大し、取り返しのつかないことになるぞ!」
「されば、その様な戦にならぬよう立ち回っていただくと同時に、幕府に使者の派遣をお願いしたいのです。」
輝虎の反論を受けて幕臣の高吉は法令に順守する事を暗に要請するような発言をした。するとこの言葉を聞いた輝虎は意見を挟んできた高吉に対して声を荒げて反論した。
「そんな悠長な事を言っておる場合か!こうして手をこまねいておれば、我らの権威はどんどん落ちていく事になる!それが幕府の望みだというのか!」
「…であるからこそ、我らがこうしてその事案の解決に参ったのです。」
「…何?」
信頼の言葉を受けて輝虎が驚いた反応を見せると、その場で信頼は持参して来ていた一個の桐箱を前に出すと、紺色の紐を解いて蓋を開けて中に入っていた一通の書状を取り出した。
「これは越後国内で起こった新発田・本庄らの一揆を裁定し鎮めよとの上様からの委任状です。これが我らの手元にあるという事は即ち、これらの裁定を我々幕府が行うという事です。」
「委任状とな!?」
その信頼の発した内容を聞いて側にいた直江景綱が声を上げて反応すると、これに高吉が首を縦に振った後に言葉を続けた。
「左様。それ故輝虎殿には直ちに戦備えを解いていただき、直ちに裁定の席についていただきたい。」
去る五月初頭の「幕府問注所」開催後、幕府は越後国内で起こった一揆を殊の外問題視し、秀高や管領・畠山輝長らの発議によって幕府による仲裁を決定。そして信頼の目の前にある将軍・足利義輝による委任状によってこの裁定を行うべく輝虎糾問と同時に来訪していたのである。その事を知った輝虎はすぐにでも声を荒げたかったが、将軍の名前の手前声を荒げることも出来ず、怒りを堪えるようにして言葉を信頼らに返した。
「…振り上げた拳を下ろせと、そなたらは申すのか。」
「はい。関東管領様にはどうか、上様の意に従って頂きたく存じます。」
輝虎の返答を受けた信頼は輝虎の顔をじっと見つめながらすぐに返答。これを聞いた輝虎は歯ぎしりをした後に側にいた景綱の方を向いて言葉をかけた。
「…わかった。景綱、ただちに伊達や大宝寺へ直ちに早馬を走らせ、直ちに引き返し国元に帰れと命じよ。」
「ははっ…。」
こうして輝虎は不本意ながら幕府の命を受けて戦備えを解除。一揆の起こった蒲原・岩船両郡に向かっていた伊達・大宝寺両軍は早馬を受けて本国へと帰還していった。これによって越後国内の戦雲はひとまず落ち着く事となり、その後は幕府による裁定を待つのみとなったのである。