1571年5月 躍らされた者の最期
康徳五年(1571年)五月 美濃国郡上郡内
「殿!郡上八幡が…郡上八幡城が反徒に攻め落とされたとの事!」
木越城を経ち、兄・遠藤胤俊が居城の郡上八幡城救援に向かう弟の遠藤胤基勢九百の所に、郡上八幡城より急行して来た早馬が火急の報せを馬上の胤基に伝えた。この報に接した胤基は馬の手綱を引いて脚を止めさせると、馬上にて驚愕した表情を見せながら言葉を早馬に返した。
「何…兄上は、兄上は如何した!!」
城からぼろぼろの身なりで落ち延びて来たかのような早馬は城主である胤俊の消息を尋ねられると、早馬は馬上で胤俊が死んだことを示すかのように首を横に振った。それを見て兄の死を悟った弟の胤基は、馬上にて手綱を強く握りしめ、兄の命を奪った不逞の輩に対する怒りを大きくさせるように憤った。
「おのれ逆賊が!!このままおめおめと返してなるものか!者ども、城から退却する反徒をこのまま叩く!行くぞ!!」
「おう!」
胤基は引き連れる将兵に号令を発すると、これに将兵たちも即座に返事を返した。兄・胤俊の敵討ちに燃える胤基の軍勢は一路郡上八幡城の方面に急行。途中で城から落ち延びて来た将兵や近くから集まった遠藤家配下の足軽たちを吸収し、千二百ほどの軍勢に膨れ上がった胤基勢が郡上八幡城下の辺りに着くと、そこには丁度胤俊の首を取った遠藤慶隆が手勢七百ほどが山頂の本丸から降りて来て城から去ろうとしていた所であった。
「おぉ、おったぞ逆賊が。皆、兄上の首を持ち帰らせるわけには行かぬ!このまま一気呵成に攻め掛かり、逆賊どもを根絶やしにせよ!」
「おぉーっ!!」
兄の命を奪った下手人・遠藤慶隆が手勢を見つけた胤基はすぐさま味方の将兵に号令を発すると共に、自身も馬を駆って敵に攻め込んでいった。この胤基勢の強襲ともいうべき攻撃を受けた慶隆は先ほどの時とは一転し、味方の将兵に退却を呼び掛けた。
「くそっ、敵には構うな!このまま退却せよ!」
しかしその号令が発せられた時には復讐に燃える胤基勢が慶隆の手勢に襲い掛かり、既に戦いが城下の中で始まっていた。元々城攻めで疲弊し数も減らしていた慶隆勢にとって、城の救援に駆けつけてきた胤基の軍勢と戦えるだけの余力は既に無くなっていたのである。
「殿、敵の勢いは凄まじいものがありまする!このまま戦わずに退却など…ぐうっ!!」
「どうした!?」
その乱戦の中で声を掛けて来た足軽が悲鳴を上げて倒れ込むと、慶隆は馬首を返して後方を振り向いた。するとその姿を見止めた胤基が馬上から慶隆に向けて声を上げて呼び掛けた。
「そこにいるは逆賊の大将と見える!兄の仇、神妙にせよ!!」
「くっ!!」
城を襲った大将・遠藤慶隆の姿を見た遠藤胤基は単騎で慶隆の元に近づくと、槍を数合打ち合って鍔迫り合いの形に持っていった。その中で胤基は目の前の慶隆をぎろりと睨みつけながら恨みの篭った言葉を投げつけた。
「よくも我が兄を…貴様の首、この遠藤新兵衛胤基が貰い受ける!」
「新兵衛胤基…?貴様も我が父の仇か!ここであったが百年目、討ち取ってくれるわ!」
「抜かせ小童ぁっ!!」
もう一人の仇である胤基の名を聞いて奮い立った慶隆が鍔迫り合いを解き、胤基に向けて刀を大きく振り払うとそれを見た胤基は慶隆を一喝、その次には払ってくる慶隆の刀を槍の柄で払うと次の瞬間には慶隆の胴体に槍を突き刺した。
「ぐはぁっ!!」
「ふん、たわいもない…この首は返してもらうぞ!」
突き刺した慶隆に向けて胤基がそう言うと、馬の鞍に括り付けられてあった胤俊の首を包んである布を片手で奪い取ってから槍を慶隆の胴体から抜いた。槍を胴体から抜かれた慶隆は馬上から力を無くして頭から転げ落ち、それを見た江馬輝盛が落馬した慶隆の名を叫んだ。
「よ、慶隆殿ぉっ!!」
「慶隆…?という事はこいつがあの三郎四郎か!!」
輝盛の絶叫ともいうべき叫び声を聞いて討ち取った者が自身にとっての仇・遠藤盛数の遺児である三郎四郎であると知った胤基は、下馬して地面に倒れ込んでいる慶隆の首を素早く取ると、その場にて戦う者達に向けて声を上げた。
「逆賊・遠藤慶隆はこの遠藤新兵衛胤基が討ち取った!者ども、このまま残る敵を掃討せよ!!」
「おぉーっ!!」
慶隆の討ち取りを胤基が告げると、その場にいた慶隆配下の兵たちは四方へと散り散りに敗走し始めた。これを見た胤基は配下に追い打ちを命令。ある者は敗走の中で討ち取られ、またある者は敗走する中で胤基配下の軍勢に捕縛されたのであった。その数刻後、郡上八幡城の城下にて戦の後始末に当たっていた胤基の元に、配下の足軽たちがある武将を縄にかけて引っ立ててきた。
「殿!捕縛した逆賊の中にこの様な者が居りました。」
「うん?き、貴様は!?」
「…」
その武将の顔を見た胤基が驚いて声を上げると、胤基と視線を合わせた武将は他所を向いて視線を逸らした。この胤基の声を聞いた足軽たちは胤基に対して尋ねた。
「殿、こ奴を御存じで?」
「あぁ…こ奴は数年前、金森可近殿の飛騨遠征に同行した際、我らに従属した江馬時盛殿に反抗して出奔した江馬輝盛だ。その時の顔と姿、忘れたことはない。」
「…くそっ。」
今を去る事数年前の永禄七年(1564年)。美濃を制圧した高秀高の命を受けて金森可近が飛騨侵攻に向かった際、胤基も兄の胤俊と共にこれに従軍。その中で江馬家の救援を行った際にここにいる江馬輝盛と互いに顔を合わせていたのである。その後は胤基の言葉通り、輝盛は従属策を取った父と反発して出奔。そして今、慶隆の反乱に同調しこうして縛に付いているのである。そんな情けない輝盛の姿を見た胤基は、輝盛を扇で指しながら言葉を発した。
「貴様がこの慶隆を扇動してかかる凶事を起こしたとは思えぬ。きっと裏があるはずだ。城に連れて行け!みっちりと扱いて洗いざらい白状してもらうぞ!」
「…」
その命を受けた足軽たちが輝盛を郡上八幡城へと引っ立てていくと、輝盛は地面を俯きながら足軽たちにずるずると引きずられていった。その姿を見た胤基は視線を戦の跡が残るその場の地面に向け、嘆息するように言葉を発した。
「さて…この一件、殿や幕府にも奏上せねばなるまいな。」
ここに遠藤慶隆が引き起こした「康徳郡上の乱」と呼ばれる一連の騒動は幕を閉じた。兄・胤俊の代わりに乱を鎮圧した胤基は捕縛した輝盛を拷問にかけて情報を引き出し、乱の顛末書を記してそれを京の主君・秀高や幕府に報告し処遇を託すと、自身はある程度の戦始末をつけた後に単身で京へと向かって行った。
「…国綱殿、よくぞご無事で。」
「あぁ。そなたらが助けてくれなければ、わしはあそこで死んでおったぞ。」
その騒ぎがあった郡上八幡城下より少し離れた廃屋の軒先で、一連の乱を扇動した三木国綱は自身を助けてくれた主君・織田信隆配下の虚無僧たちに声を掛けると、虚無僧は周囲を警戒しながら国綱に向けて手短に声を掛けた。
「さぁ、我が主の元へ参りましょう。」
「うむ…。」
乱の扇動という大功を挙げた国綱は、信隆配下の虚無僧に護送されながらその場を後にしていった。この国綱、ひいては信隆が糸を引いた秀高領内の攪乱は秀高の足元を少なからず崩させるほどの効果を上げたと言っても過言ではなかった。そしてその余波は、数日後に京にいる秀高にも届いたのであった。