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1571年5月 郡上八幡の惨劇



康徳五年(1571年)五月 美濃国(みののくに)郡上郡(ぐじょうぐん)




 康徳(こうとく)五年五月六日。(みやこ)にて幕府問注所(ばくふもんちゅうじょ)が開かれたその日、高秀高(こうのひでたか)の配下である美濃・郡上郡、遠藤胤俊(えんどうたねとし)の所領において不穏な動きが起こっていた。領内の山間部にある廃寺にて一人の若武者がその場にそろった武者たちを前に名乗りを上げていた。


「良いか!これより郡上八幡城ぐじょうはちまんじょうに攻め込み父の仇、遠藤胤俊を討ち取る!そしてこのわしが遠藤家の家督を継いで高家より独立する!」


「おぉーっ!!」


 この名乗りを上げた鎧姿の若武者の名を、遠藤三郎四郎慶隆えんどうさぶろうしろうよしたかという。そう、数年前の東常慶(とうのつねよし)が滅ぼされた郡上郡騒動(ぐじょうぐんそうどう)を引き起こした遠藤盛数(えんどうもりかず)の遺児である。三郎四郎は織田信隆(おだのぶたか)のもとで庇護を受けており数年前に元服。そして今、父の仇である遠藤胤俊を討つべく兵を挙げようとしていたのである。


三木(みつき)殿、江馬(えま)殿。滅ぼされた姉小路(あねこうじ)の残党を引き連れて来てくださり感謝申し上げる。これだけの兵数があれば郡上八幡を落とすことも叶おう。」


「如何にも。慶隆殿、是非とも父の仇を(そそ)がれよ。」


 その慶隆の側にいて慶隆と会話を交わした武将こそ、織田信隆の下で客将となっていた三木国綱(みつきくにつな)であった。国綱は信隆の命を受けてこの慶隆の挙兵を補佐すると共に、江馬家内で立場を失った江馬輝盛(えまてるもり)飛騨(ひだ)侵攻によって滅亡となった旧姉小路家の残存兵を慶隆のもとに結集させるなど暗躍。義隆の挙兵を(けしか)けて秀高の勢力を削らんとしていたのである。そんな裏の事情など露とも知らず、ただ(かたき)討ちに燃える慶隆は腰の打刀を鞘から抜くと、それを上に掲げて居並ぶ将兵に号令を発した。


「行くぞ!このまま夜に紛れて郡上八幡城に乗り込むぞ!」


「おぉーっ!!」


 こうしてこの慶隆の号令一下、結集した九百ほどの軍勢は夜に紛れて廃寺を出立。松明(たいまつ)もつけず月明かりを頼りに粛々と進軍。そして道を進んで目標である郡上八幡城を見定めた慶隆は、馬上から采配(さいはい)を振るって引き連れる軍勢に号令を発した。これを受けて慶隆が手勢九百は戦備えをしていない郡上八幡城を急襲。瞬く間に大手門を突破し目標の城主・胤俊がいる居館部の曲輪に攻め込んでいった。


「と、殿っ!何者かの手勢が攻め込んで参りました!」


「何だと!?敵の数は!?」


 この騒ぎを受けた胤俊が居館にて配下の侍大将より報告を受け、片手に打刀を携えながら侍大将に聞き返すと、侍大将は胤俊に攻め込んできた軍勢の大まかな数を伝えた。


「多くて千はおるかと思われまする。一刻も早く山頂の本丸へ!」


「相分かった。その方、直ちに木越(きごえ)の弟に急報を伝えて参れ!」


「承知しました!」


 この命を受けた侍大将はすぐさま会釈すると、攻め込まれていない別の城門から外へ出て行き一路、木越城にいる胤俊が弟・遠藤胤基(えんどうたねもと)の元へ馬を走らせていった。その後、急襲を受けた郡上八幡城はものの僅かな間に居館部の曲輪を落とされ、陥落寸前に曲輪を脱した胤俊は僅かな供周りと共に山頂の本丸へと向かって行ったのである。




「胤基さま!一大事にございまする!」


「如何したか!?」


 胤俊が山頂の本丸部に着いて防衛態勢を整え始めた頃、ようやく八幡城を発した胤俊配下の侍大将が数里離れた木越城に到着。城主である胤基の元に駆け込むと血相を変えて火急の要件を伝えた。


「先ごろ胤俊殿の八幡城に何者かの軍勢が攻め掛かりました。既に敵勢は麓の居館曲輪を攻め落とし、山頂の本丸に攻め掛からんとしておるかと!」


「何っ!?いったいどこの誰が攻め込んだと申すか!」


 この報を受けた胤基が驚いて報告に来た侍大将に尋ねると、侍大将は頭を上げて困り果てた表情を浮かべながら答えた。


「それがどこの軍勢か皆目見当がつきませぬ…。」


「ええい、このまま兄上の窮状を見捨てておけぬ!たとえ幕府に詰問されようとも構わん、兵を集めよ!準備が整い次第出陣する!」


「ははっ!」


 胤基の決断は早かった。兄・胤俊の窮状を受けて救援を決断し城内に出陣の準備を行わせた。そしてしばらくして戦準備が整うと僅かな城兵を残し、八百ほどの兵を率いて木越城を出立したのである。しかしこの動きは木越城の監視を行っていた国綱配下の密偵の目に留まり、やがてその情報は郡上八幡城に侵攻している慶隆に付随する国綱の元に届けられたのである。




「慶隆殿一大事じゃ!対岸の木越城の動きが慌ただしくなっておる!おそらくこちらの動きを悟られたやも知れぬ!」


「ええい、余り時はかけられぬか。」


 八幡城の居館部を制圧し、城兵の掃討を行っていた慶隆に対し国綱が迅速な行動を促すと、慶隆はそれを聞いて声を上げ、その場にいた味方の将兵に向けて声を発した。


「良いか!このまま余勢を駆って一気に山頂の本丸を攻め落とす!本丸を攻め落とし、胤俊の首を挙げし後はすぐさまここを引き払うぞ!」


「おう!」


 慶隆の言葉を聞いた足軽たちは声を上げると、居館部より奥の山頂にある八幡城本丸に攻め掛かった。この様子を本丸にて一応の防衛態勢を整えた胤俊が目にすると、胤俊はその場にて防衛の督戦を行った。


「怯むなっ!駆け上る敵には存分に矢玉を喰らわせてやれ!」


「はっ!」


 この号令一下、本丸に詰めていた百ばかりの兵たちは弓や鉄砲を手にして山頂を駆け上がってくる慶隆が手勢に矢玉を浴びせた。これを受けてバタバタと寄せ手の足軽たちは倒れていくが、慶隆はその中で山頂にいる胤俊を睨みつけるように鋭い眼光で山裾を駆け上がる兵たちに声を掛けた。


「怯むなぁーっ!!一気に攻め込めぇーっ!!」


 この号令を受けて慶隆が手勢は鬼気迫る様に奮い立つと、城兵の少なさも相まって僅かな間で本丸の城門を突破。中にいた守兵たちと交戦を始めた。こうなっては多勢に無勢であり慶隆が手勢は守兵たちを打ち倒しながら、本丸館に踏み込んで胤俊がいる広間へと攻め込んでいったのである。


「と、殿!ここまで踏み込まれては…」


「くそっ、これでは大殿に申し訳が立たぬ…」


 広間にまで攻め込んできた様子を見て胤俊が鎧姿に身を包み、槍を片手に攻め込んでくる敵を薙ぎ倒していると、その場に大将である慶隆が配下の手勢を引き連れて現れ、目の前に父の仇である胤俊の姿を見るやその場で大声を上げて名乗った。


「貴様が遠藤胤俊か!我こそは亡き遠藤盛数が遺児、遠藤慶隆なり!」


「な、遠藤慶隆だと!では貴様が三郎四郎か!?」


 慶隆の名乗りを受けて胤俊は槍を構えなおして言葉を返す。それを聞いた慶隆は刀の切っ先を胤俊に向けて言葉を胤俊に返した。


「おうよ!貴様に殺された我が父の仇、(そそ)ぎに参ったぞ!!」


「ぐっ!!」


 その言葉の後、胤俊の脇腹に別の足軽が槍を突き刺し、これを受けて苦悶の声を上げた胤俊は槍を突き刺した足軽を腰の鞘から抜いた刀で薙ぎ倒すが、その胤俊に対して慶隆の後方にいた足軽が槍を何本も突き刺した後、槍が胤俊から抜かれたと同時に慶隆は胤俊に向けて刀を一気に振り下ろして斬り捨てた。


「ぐはっ…と、殿…」


 これを受けて胤俊は地面に伏せ、地べたに倒れ込んだまま言葉を発した後に息絶えた。胤俊が息絶えたのを確認した慶隆はその場で胤俊が首を上げると、その場にて戦っている味方に向けて大声で言葉を発した。


「遠藤胤俊、討ち取ったり!!者ども、勝鬨を挙げよ!!」


「おぉーっ!!」


 ここに高家の城持大名であり幕府の諸侯衆(しょこうしゅう)に列していた遠藤新右衛門胤俊えんどうしんえもんたねとしは呆気ない最期を迎えた。その胤俊を討ち取った慶隆は城内の敵兵を討ち果たすと、すぐさま残った味方の手勢七百ほどと共に城を脱し、胤俊の首を持って亡き父・盛数の墓がある寺へと向かおうとしていた。しかし郡上八幡城を後にしようとした慶隆の目の前に、別の敵が姿を現したのであった。





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