１５７１年５月 幕府問注所 伊達・相馬の弁論
康徳五年（１５７１年）五月 山城国京
康徳五年五月六日。京の将軍御所において領土紛争を裁定する「幕府問注所」が開催された。ここには先の幕政会議において議題に上がった「伊達・相馬による伊達稙宗隠居領差配」。並びに「島津・肝付・伊東による領土紛争」の二つを解決するべく、それぞれの当事者たちが遠路はるばる京に上洛して来てこの会議に出席。対して主催した幕府も諸侯衆や幕臣から選抜された評定員数名が列席し裁定を行ったのである。
「ではこれより裁定を始める。まずは伊達・相馬両家にて起こった隠居領裁定についてである。双方の代表者をこれに！」
「ははっ！」
幕府問注所は、この管領・畠山輝長の一声で始まった。輝長の一声を聞いた幕府側近たちは、問注所が開かれた将軍御所の大広間にまずは伊達・相馬間の当事者たちを連れてきた。側近たちがこの大広間に当事者たちが連れてくる様子を、評定員として加わる吉川元春に松永久秀、長野藤定等の諸侯衆、そして柳沢元政や京極高吉といった幕臣、それに輝長と同じ上座に就く政所執事・摂津晴門に侍所所司・高秀高は黙して見つめていた。そして双方の当事者が座ったのを確認した晴門は口を開いて発言を促した。
「ではそれぞれに名を名乗ってもらおう。まずは伊達家の方から。」
「伊達家当主・伊達輝宗が名代・伊達実元にござる。」
「同じく、伊達筆頭家老・桑折伊勢守景長にございまする。」
伊達側として遠い米沢から来訪したのは、東北遠征後に隠居した伊達晴宗の弟であり、一門衆の筆頭を務める実元と昨年に謀反のかどで粛清された中野宗時に代わって伊達家筆頭家老の座に就いた景長である。この実元と景長の名乗りを聞いた晴門は、首を縦に振って頷くと続いて相馬方の面々の方を振り向いて言葉を発した。
「うむ。では続いて相馬家の方々、名乗っていただきたい。」
「はっ。相馬家当主、相馬長門守義胤にござる。」
「相馬家臣、佐藤好信と申しまする。此度は我らが意見を取り上げて頂ける場を用意していただき、誠に恐悦至極に存じまする。」
この相馬方の代表として参列した当主の義胤は、血縁上では伊達家の血が入っており、前妻は何を隠そう稙宗の末娘である越河御前であった。東北遠征終了後に隠居領の騒動が起きてから越河御前とは離縁し、別の正室を迎えるほど相馬・伊達間の領土紛争は根深いものとなっていたのである。その当事者たちである伊達・相馬両家の代表者による名乗りを受けた後、晴門は双方に対して本題を切り出した。
「さて、双方より領土紛争の根拠となっている先代・伊達稙宗公の遺言状を受け取り、こちらで精査した所この遺言状に幾つかの相違点が浮き上がった。」
と、晴門が手にしていたいわゆる「稙宗公遺言状」と呼ばれる双方から受け取った稙宗の遺言状を両手に持ちながら発言すると、晴門は双方の眼に見えてあからさまな違いから、遺言状の相違点を両者に向けて語った。
「まず、相馬方から貰った稙宗公遺言状は紙面そのままに保存されていたが、伊達方から貰った稙宗公遺言状は何故か巻物に貼付されておる。これは何故か？」
「畏れながら、それは稙宗公の遺言状なればその正統性を示すために巻物に致した次第。」
書状そのままに幕府に送られてきた相馬側の遺言状とは違い、伊達側の遺言状はご丁寧に巻物に貼付されて保存されていた。その事を問われた一門筆頭の実元が簡潔に返答すると、晴門はその言葉を受けた後に相馬側から貰った遺言状の封を解きながら言葉を続けた。
「まぁ巻物にするだけならば問題は無いが、問題はその内容にある。相馬方の遺言状には末尾にある稙宗公の花押署名の前にこう書かれてある。「伊具郡・宇多郡にある隠居領を相馬に譲る」と。」
「…！」
この文言こそ、両者の領土紛争の直接的な原因となっている物であった。同時にその文言を秀高から聞いた実元がその場で大きく驚くと、晴門は慣れた手つきで伊達側の巻物の封を解き、それをその場で開いた後に両者に内容を見せながら言葉を発した。
「…だが丁寧に巻物になっている伊達方の遺言状には稙宗公の花押署名の前に、この文言が一切書かれていない。遺言状は双方同じ内容を書いて送るはずである。実元殿、何故伊達方の遺言状にはこの隠居領に関する文言が無いのだ？」
「…畏れながら、それを直したのは今は亡き中野宗時が隠居した我が兄・伊達晴宗の命を受けて行った物にて、我らは一切与り知りませぬ。」
「これは異なことを仰せになる物だ。」
と、その実元の返答を受けて反応したのは、同じ上座にてやり取りを聞いていた輝長であった。輝長は上座の上に広げられた伊達側の遺言状を扇で指しながら、目の前にいる実元に向けて詰問した。
「貴殿は伊達家一門の中でもその立場は上にあるはずであろう。その者が遺言状の内容を一切知らぬなど全く以て奇怪至極ではないか。」
「…何と言われましても、貼付を行った宗時亡き今では何も申すことが出来ませぬ。」
「ではこれも宗時殿の一存で行ったというので？」
実元が苦しい返答をその場で行うと、ここまでのやり取りを黙して聞いていた秀高が口を開き、伊達側の遺言状にある不審な箇所を指差しながら実元に向けて詰問した。
「この伊達家から貰った遺言状の巻物、その稙宗公の花押署名と本文の末尾の間に僅かな切れ目があります。もしかして元々この遺言状も相馬家に渡ったものと同様の内容が書かれていたのを、伊達家の不利益になると判断し当該の項目を削ったと推察できます。ここまでの改竄を流石に一門衆の重鎮である実元殿が、一切知らぬというのは無理があると思いますが？」
「何と…それが真であれば由々しき仕儀じゃ！」
「如何にも！実元殿、これの疑義に何とお答えなさるのか！」
この秀高の問いかけを聞いて下座の脇に控えていた藤定と高吉が反応し、実元の方を振り向いて次々と詰問せんばかりに問い詰めた。するとこの問い詰めを受けて実元の隣に座していた景長が代わりに秀高の方を向きながら、毅然とした態度で発言した。
「所司殿！それは言いがかりに等しい物であろう！所司殿は我ら伊達家を蔑ろになされるおつもりか！」
「今は伊達実元殿に返答を乞うておる！景長殿は口を慎まれよ！」
この景長の発言に対して晴門が厳しい口調で反論すると、その言葉を受けた景長はその場で口をつぐんだ。するとそれまで下を向いていた実元はようやく顔を上げると、目の前の上座にいる輝長らに向けて率直な言葉を語った。
「…ならば、有り体に申し上げまする。我が兄・晴宗は父である稙宗の遺言状を拝見した際、その文言を見つけるや腹心の宗時にそれを削除せよと仰せられた次第。」
「実元殿！？」
「その場でそのやり取りを見ていたという事は、遺言状の内容を実元殿は知っていたという事ですね？」
秀高がこう実元に問い返すと、実元はただ黙って首を縦に振って頷いた。その実元の言葉通り、この遺言状が伊達家の勢力削減に繋がると判断した当時の当主である晴宗は、腹心の宗時らと謀って遺言状の偽造を決行。同時に遺言状を元に相馬が隠居領割譲を請求すると隠居となっていた晴宗は後を継いだ輝宗に、毅然と反抗するように促した。この晴宗の独断によって引き起こされた領土紛争の顛末をその場で知った輝長は視線を相馬側の義胤らの方に向けると同時にこう発言した。
「ならば元々は双方同じ内容が書かれていたと見て間違いなかろう。相馬側はこの事何と思われる？」
「畏れながらその一件は卑しき伊達の奸計にて、我ら相馬は先年来庇護して来た伊達稙宗公の遺言状に沿い、隠居領の所有権を主張する権利がございまする！」
「然り！伊達家は直ちに稙宗公隠居領を相馬に引き渡していただきたい！」
この義胤と好信の主張を上座で聞いた輝長は側にいた秀高や晴門と互い視線を交わし、頷きあった後に両家の代表者たちの方を振り向いて言葉をかけた。
「…相分かった。ともかく後で差配を申し渡す故、双方とも控室に下がるがよい。」
「ははっ。」
「…ははっ。」
この言葉を受けた義胤がしっかりとした口調で返事を返す一方、実元は気持ちがやや落ち込んだ返事をその場で発し、側近たちに連れられて大広間からそれぞれの控えの間へと戻っていった。これらのやり取りを見て上座にいた輝長らはある程度の裁定を思い浮かべていたが、結論はひとまず先送りとし続いて次の裁定の代表者たちを呼び寄せたのである。
